第23話 夜に灯りを
夜が訪れた。世界は暗闇の中に沈む。
神の言葉を告げるための光の玉が闇の中にポツリと浮かんでいる。月も無い。今夜は新月である。
大地に灯が一つ。小さな一軒の家がある。今や無人となった村からいくらか離れた場所に、木製の家がひとつ。
窓から漏れる灯の光は生活の光か。大柄な老人はその家の扉を強く二度叩いた。
「おーい! 帰ったぞ!」
家の中から物音がする。一つや二つではない。沢山の音が家から溢れる。
音を立てて開く扉。扉の隙間から出てきたのは、小さな少年の顔だった。
「おかえりなさいダナン様!」
「おお? 今日はマークが一番か。早かったの。わはは」
「はい! あれ、お客様ですか?」
「うむ。ワシの友人たちじゃ。皆を食卓まで呼んでくれるか? 紹介しよう」
「はい!」
少年の歳は10に満たないだろう。それでもしっかりとした言葉で返事をした。
扉を開けて笑う老騎士ダナン。大剣を玄関の外に立て掛け、ダナンはその禿げた頭を手で擦った。
「ほれ入れ。ああ、アルクァード。槍はそこに置け。ワシの家に武器は持ち込まんでくれな。ああ火砲もな。なぁに盗られはせんよ」
「本当かよ。ちっ、しょうがねぇな」
大剣の横に置かれる大槍。並ぶとわかるその大槍の異様さ。夜の闇においても、その槍は光を失わない。
アルクァードの腰に差していた火砲もその横に置かれる。刃物と弾丸が入った鞄も投げ捨てられる。
これで丸腰。アルクァードの装備は着ている鎧以外何もない。
扉に手を掛けるアルクァード。扉を開き、彼は遠慮することなく入っていく。
少女ミラと、少年リオンもその後ろに続く。そして最後、黒いローブの裾を払って土埃を落として、家に入ろうとするユーフォリア――
「お待ちをユーフォリア様。武器は持ち込んでもらっては困りますな」
「え? いや、私、何も持ってないです」
「持ってるではありませんか。立派なものを。二つも」
「はい? え? 何? 何かありましたっけ? この服ただの一枚布ですので、その、武器を入れるところなん……」
「何を言うか白々しい! その胸元のふくらみは何か! まさに武器ではありませんか! テンプルの若騎士たちをどれほど悩ましたか!」
「は?」
「のぉアルクァード! お前もわかるよな!」
「今すぐくたばれクソじじい」
ユーフォリアはひきつった顔をして家に入った。最後に、満面の笑みで扉を閉めながら家に入る老騎士ダナン。
深く刻まれた皺は笑うことでより深く顔に刻まれていた。
家の中は外から見るよりかは幾ばくか広かった。奥に長い構造なのだろう。入ってすぐ右には階段。奥には調理場。そして中央には大きな机と、幾つもの椅子。
「よぉし。皆並べぇ!」
机の向こうに小さな少年少女たちがいた。皆騎士団の兵のようにピンと背筋を伸ばして立っている。整列は背の順番。少年少女並べて8人。
「左より名を告げよ!」
「マークです!」
「シルナです!」
「レンドルトです!」
「キリックです!」
少年少女たちの声は家いっぱいに広がった。皆年端も行かぬ子どもではあったが、そのしっかりとした名乗りは立派なものだった。
「休め!」
ダナンの号令で子供たちは歩幅を広げ腕を背で組む。厳しい躾けが施されているのだろうか、その空気に、アルクァードはどこか懐かしさを感じた。
「ダナン卿、この子たちは?」
不思議そうな顔をして、ユーフォリアは問いかけた。
「この子たちは、ワシが行く先々で拾ってきた親を失った子です。本当はあと二人おったんですがの、歳が少し上での。今は王都で騎士見習いをしておるのです」
「……間引きで?」
「んん? まぁ……そうですな。ははは、本来はいかんのですがな、どうしても子供を見つけると。わははは。よし皆。我が友人たちを紹介するぞ。まずはこの乳の」
「ダナン卿」
「ん……ははは。この方はオーリア地区の聖女ユーフォリア様じゃ。骨が折れても治してくれるぞこの方は。奇跡の使い手だからなぁ」
背筋を伸ばしつつ、ユーフォリアを見る子供たち。その眼にどこか憧れの光があるのを、ユーフォリアは少しだけ申し訳ない気持ちで感じた。
「この大男はワシの弟子じゃ。まぁ一日しか剣は教えていないがな。ワシが言うのも何じゃが、今の人の世界で最強の騎士は間違いなくこの男じゃと思う。はははは」
輝く少年たちの瞳。どんなに若い子供であっても、強い騎士には憧れるものだ。
「そして……うん? その二人の子供は知らんな。アルクァード、主の子か?」
「んなわけねぇだろう。男の方はリオン。女の方はミラ。間引きの生き残りだよ」
「何と……それは辛い目にあったの二人とも。慰めの言葉が見つからぬ」
「僕はあまりそんな風には……」
「うん」
「強い子であるなぁ……」
頷くダナン。改めてそう言われて、少し恥ずかしさを覚えるリオンと、それでも表情を変えないミラ。
「よし、皆、食事はまだ終わってないな?」
「はい!」
「ならば皆で食おう。晩餐会だ!」
「はい!」
「わはははは!」
そして子供たちは動き出した。机を拭く者。炊事場へ駆ける者。どこからか椅子を持ってくる者。
皆やるべきことがわかっていた。あっという間に出来上がっていく食卓に、アルクァードは思わず言葉が漏れた。
「やるじゃねぇか。じじいが教育したのか?」
「まぁの。長年染み込んだやり方故なぁどうしても硬くなってしまうが、それでも皆良い子ばかりじゃ。ちと子供らしくはないかもしれんがな」
「女の騎士の尻ばっかおってたじじいに子育ての才能があったとはなぁ。驚きもんだ」
「ワシは乳じゃ。お前じゃろうが尻は」
「アルク?」
「馬鹿、ちげぇよ。ユーフォリアいちいち真に受けんな。ふざけんなよじじい」
「わはははは」
談笑。どれほどぶりだろうか。アルクァードとダナン、そしてユーフォリアはその空気の中に浸っていた。
ミラは見た。軽くではあるが、アルクァードが確かに笑っていた。血の中で笑う時とは違う、優しそうで暖かな笑い。ミラの胸が、少しだけ暖かくなった。
そうこうしてるうちに並べられた料理の数々。芋や獣肉。少しの野菜に沢山の豆。そしてパン。豪華な食事ではなかったが、それは久しぶりのちゃんとした食事だった。
皆、席についた。子供たちは、ダナンは手を机の上で組む。ユーフォリアもリオンも、そしてミラも同じように手を出した。
唯一、アルクァードだけが手を組むことを拒否した。
「では、今宵も無事にこの場に入れることを、神に祈ろう」
祈りを捧げるダナン達。数秒、眼を瞑る。
「よし。では食おう! 今日もうまそうだ! わはははは!」
その声を合図に、子供たちは一斉に料理に手を伸ばした。
静寂な食卓は、あっという間に戦場と化した。
豆を口に書き込む少年。パンにかぶりつく少年。野菜を貪る少女。
「ははははは! ほれ遠慮するな喰え! はははは!」
行儀が良いとは決して言えないその姿であったが、ダナンは咎めることなく笑っていた。礼儀も作法も、美味いものを食べるには邪魔なのだ。
パンを一つ手に取り、ユーフォリアは微笑んだ。アルクァードもまた、苦笑いを浮かべながら獣肉を口に運んだ。
もう遠慮などできやしない。ミラとリオンも食べ物に手をつけた。
「ああそうだ、じじい。わりぃが食べ物。別に用意できねぇか?」
「む? 大丈夫じゃが、まだ足りんか?」
「もう一人な、いるんだ実は。今は自分の工房でユーフォリアの鎧を作ってるがな。腹が減ったら出てくるはずだ」
「そうか。わかった……女か?」
「ああ……言っとくが結構な歳だぞ」
「乳は?」
「ない」
「なぁんじゃあ……じゃ、あまりもんでよいなぁ……」
「ったく、変わんねぇなじじいは……70超えてるだろうに……で、あの村の話だが」
「長くなるぞ。喰い終わってから話してやろう」
「応よ」
一時の平和を享受する一同。元気に食事を口に運びかみ砕く子供たちの姿は、正しく団欒であった。
新月の夜に明るい家が一つ。小さな晩餐会が、盛大に開かれていた。




