第22話 黄金期の終わり
一本の剣があった。その剣は、中央で折れていた。
剣は湖の中央の小島に突き刺さっていた。船を出してそれを拾おうとする者がいた。船を出して必死に漕いだが、不思議なことに島に近づこうとすると大きな波が立ち、船を押し返してしまうのだった。
誰もそれを手にすることはできない。誰もそれに近づくことはできない。
剣はただただ綺麗だった。英雄譚に出てくる伝説の剣がもし実在するのだとしたら、きっとこんな形なのだろうと、その剣を見た者全てが思った。
その剣は美しかった。あまりにも美しすぎた。あまりにもあまりにも美しかったから、あまりにもあまりにもあまりにも、恐ろしかった。
いつかその場所は呪いの場所と呼ばれるようになって、人々は避けるようになった。剣の湖、人はその場所をそう呼ぶ。
その湖の傍に、まるで天から巨大な物体がそのまま落ちて来たかのような跡があった。巨大な円形のへこみと、それを覆う丘。周囲からそのままへこんだかのような場所がそこにあった。
その穴の中に、花が咲いていた。赤と白と黄色と、色様々な花が咲いていた。小さな虫がその花の蜜を求めて飛び回っていた。
荒れ切った大地ではあるが、確かに花が咲いていた。巨大な力によって潰されてしまったその場所には、今は花が咲いていた。
時が経てば、どんな荒れ地であったとしても花が咲くのだ。
どんなに傷つけられたとしても、時が経てば、花が咲くのだ。
折れた剣は墓標。花は捧げもの。そこは、一人の男が作った世界で最も綺麗で最も恐ろしい墓場。
死にたくなければ剣を持て。剣を持ったのならば使え。剣は敵を、殺すためにある。
時間は残酷だ。全てを忘却の彼方に追いやってしまう。だがそれでも、その幸せだけは、決して忘れてはいけない。
たとえ身が滅んだとしても決して忘れてはいけない。
その手に、確かにあったその思い出を、決して、忘れては――――
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「何、これ」
最初に声を出したのは、ユーフォリアだった。
驚きのあまり彼女は立ち尽くしていた。他の者も、眼を見開いてその光景を見ていた。
――首。
首があった。大量の首があった。道に畑に家に丘に、槍の穂先に突き刺さった沢山の首が、地面に立てられて並んでいた。
人の首、動物の首、獣人の首、亜人の首。ありとあらゆる生物の首がそこにはあった。
辛うじて残った家や小屋の残骸がそこを嘗ては村だったことを伝える。
「……これは」
しゃがみ込んで地面を見るアルクァード。彼の眼前にあったのは、足跡。大量の足跡。
人の足も、馬の足もある。
「多いな。集団……それに同じ足跡が多い。甲冑かこれ。部隊、軍か……」
「アルク……」
「ミラとリオンを馬車に戻せ。ガキが見るもんじゃねぇ」
「うん……」
言われた通りに、ユーフォリアは馬車に子供二人を戻す。流石に衝撃だったのか、リオンもミラもどことなく顔色が悪かった。
立ち上がるアルクァード。鼻をつく死臭に、彼は顔をしかめる。
「ユーフォリア。ここ、本当にあの村なのか?」
「間違いないと思う……霊峰が見えるし、何よりもあそこに看板があるし」
「ちっ……何があったんだ」
並ぶ首を見上げるアルクァード。殆どが人の首ではあったが、その中に獣人の首も、亜人――オークの首も確かにあった。
首の断面は綺麗で、数度打ち込んで斬り落としたというよりは、鋭利で重い刃物で一撃で落としたかのようで。
「間引きかなアルク」
「違うな。天使どもは馬を使わない。村を焼くこともしない。この場所に新しい人を呼ぶからだ。新しい農奴を呼んで働かせ、自分たちの食料を作らせて、数が増えれば殺す。千年続く神の統治だ」
「じゃあ、何?」
「知らねぇよ。人の世界で軍と言えばテンプルだが、獣人の首があるのがな。テンプルに獣人を殺せるとは思えねぇ」
「……何が起こっているの?」
「知らねぇって。まぁ、わかんねぇことを考えてもな。一応誰がいないか奥まで見てみようぜ」
「そう……ね」
壁が、柱が、首を掲げる槍の柄が黒く染まっている。血が通った跡だということが、彼にはわかっていた。
相当の血が流れたのだ。人が獣が、亜人が入り乱れて戦ったのだろう。それとも虐殺だったのだろうか。
アルクァードは大きく息を吸って、吐き出した。胸の中を血と死臭があふれた。
何故か落ち着く自分の心。どうしようもなく汚れてしまったものだと、彼は思った。
その時、焼け付きた小屋の裏。並ぶ首の向こうから物音がした。何かを踏んだ音。木が折れる音。
背の大槍に手を掛けるアルクァード。
「アルク?」
「下がってろ」
大槍を背から外すアルクァード。短かった柄は背から降ろすと共に伸び、大槍は瞬く間にアルクァードの背丈を超える長さとなった。
「誰だ。出て来い。出てこなかったら敵だと判断するぞ」
槍を握り、勧告する。その声に、迷いなどなく。一切の容赦もなく。ただ冷たく。
物陰から、それは出てきた。それは頭までフードを被った。大柄の男だった。
その男は巨大な剣を持っていた。幅の広い、巨大な剣。見の丈程の刃渡り、人の胴よりも太い刃。女の腕よりも太い柄。
体格はアルクァードとさほど変らない。その男が、腰を下げ大剣を両手で握り、構えた。
重々しい構え。重厚な大剣。伝わる力強い気迫。
「お前……いいぜ。やってやるよ」
アルクァードは槍を構えた。左足を前に、右足を後ろに。両手で槍を、真っ直ぐに。
流れる空気は冷たく鋭く。二人は対峙する。壊れた村の中で。
ローブを被った男は大剣を横に払った。周りにあった首が刺さった槍を数本斬り裂き、その上にあった頭を地面に落とした。
「悪くねぇ剣圧だ。来いよ」
そして男は、踏み込んだ。
たった一歩。その踏み込みはたった一歩分であったが、一瞬のうちに二人の間の距離を消滅させた。振りかぶられる大剣。フードの隙間から男の眼光が見えた。
「ふりゃあああ!」
叩き落される大剣。それはアルクァードの頭に真っ直ぐに堕ちて来て。
それをアルクァードは槍の柄で受け止めた。一瞬のうちに槍の間合いの内に入られたのだ。如何に大槍とは言え穂先を越えれば、そこにあるのは鉄の棒だけ。攻撃力は極端に落ちる。
大槍の柄をへし折らんと、押し込まれる大剣。たまらずアルクァードは蹴りを繰り出した。
ローブの男の腹に刺さるアルクァードの足。一瞬、男の力が弱まった。
距離が離れる。見開くアルクァードの眼。突き出される槍。
大剣の腹で辛うじて受け止めるローブの男。大槍の衝撃に、男の身体はそのまま吹き飛ばされた。
「なん……とっ!?」
土埃をあげて倒れる男。倒れながら男は大剣を構えようとしたが、それよりも早くアルクァードの槍の穂先は男の眉間の前に置かれていた。
身体が固まるローブの男。アルクァードは槍を持ち、力強く男を睨みつける。
攻防は一瞬。決着も一瞬。
アルクァードは小さく溜息をついた。
「ったく……じじい、何のつもりだ。いよいよボケたか?」
「まだまだボケとらんわ」
大剣を横に置き、その大男はローブを頭から外した。現れたのは、老人の顔だった。
白い髭。深い皺。髪は無く、眉間には深い傷が刻まれていた。
大剣を杖に立ち上がる老人。頭を手でぺたぺたを叩いて、老人は笑顔を見せた。
「いやぁ強くなったなアルクァード。はははは。おおユーフォリア様。相変わらず乳がでかいですな」
「ダナン卿……?」
「応、元テンプル騎士団騎士団長ダナン・ガズバルド。ここに。やれやれやっとかアルクァード。長かったな。待ちくたびれたぞ」
「の割には随分な歓迎だな」
「ははは、すまんな。さて、ここでは何だ。ワシの家に来い。いろいろあろうが、茶ぐらい出せるぞ」
「ちっ……相変わらずわけわかんねぇじじいだぜ……」
そして彼らは、その場を後にした。切り落とされた首が、彼らの背を見ていた。




