第2話 神都オーリア
「皆さんおはようございます。本日は午後より雨です。体調に気をつけてお仕事を行いましょう。本日は午後より雨です。体調に」
「ちっ……うるせぇな……」
太陽の傍。空に浮かぶ光の玉は、管理者である神の言葉を垂れ流す。それに悪態をつく巨漢の男。柄を縮めた巨大な槍を傍らに置き、彼は丘の上に立っている。
彼が動くたびに、赤錆の鎧が擦れる音がなる。眼下にこの地区で最も巨大な町、神都オーリア。
数百万の人が住むその町の上は、神の声を聞かせる光の玉が大量に飛んでいる。その声は、町にいる人たちにとっては日常の声。
誰もそれを気にはしない。
「おい、飛び降りろ小娘。受け止めてやる」
「う、うん」
彼の傍には巨大な片翼の天馬がいた。その上に乗っていた少女は、天馬のたてがみを握りながら、恐る恐る姿勢を整えた。
飛び降りる少女。その小さな身体を、男の太い左腕が抱きかかえる。男は腰を曲げ、ゆっくりと少女を地面に降ろした。
「グォォ……」
「アガト、大人しく待ってろ」
「ゴォォ」
天馬が男の言葉に反応するように声をあげた。少女は思った。馬とこの人は話せるのか、と。
男が天馬に手をあげて合図をすると、片翼の天馬は光の粒となって消えた。さっきまでそこにいたはずの巨大な影は、きれいさっぱり無くなった。
「おう、一応まだそこにいるからよ気をつけろ。天馬は透明になれるんだよ。行くぞ小娘。離れんなよ」
「うん」
巨体を誇る赤錆の鎧を着た男。背に大盾のような巨大な槍の穂先を背負って、彼は、アルクァードはのそりと歩き出した。
その足元を歩く少女。小さい身体を懸命に動かして、少女は男について行く。
昨日両親を亡くした少女ミラは、悲しんでいるのだろうか。無表情でアルクァードの背について行く。
その姿が何とも言えなくて、頭を掻きながら彼は小さく溜息をついた。
「全く……変なもん拾っちまったぜ……」
凍った表情の少女と、面倒そうに顔をしかめる大きな男。二人は会話らしい会話もせず、ゆっくりと丘を降りていく。
あの時、森の中で。赤錆の騎士アルクァードは少女を置いてあの場を去った。しかし、少女は追いかけてきた。無表情で、トボトボと、しかしながら必死に。
彼はそれを振り切ることはできなかった。
だから、彼は連れてきた。この場所に。神都オーリアに。
丘を降りて、二人は巨大な門の前に着く。巨大な、巨大な門の前に。
「アルク」
「ああん? どした?」
「私、この町に来る許可、もらってない」
「いらねぇよ許可なんざ。俺たちには足がついてるんだ。どこへ歩こうが勝手だろうが」
「でも、神様は、罰を」
「ちっ、こんなガキまでしっかり教育されてやがる。おーおー偉いな。クソ喰らえ。おいこれ持っとけ」
「え」
そう言ってアルクァードは一枚の青い板を出して、少女に手渡した。
札には神徒を表す紋章が刻み込まれている。
「何?」
「テンプル騎士団発行のフリーの通行書」
「つうこう、しょ?」
「黙って腰にぶら下げてろ。何か聞かれたら耳が聞こえないふりして俺の方を見ろ」
「うん……」
言われた通りに、ミラは腰に青い板を括りつけた。そして二人は町の門へと向かった。
流石は巨大都市。様々な地域から人が来ているのだろう。たくさんの人たちが彼らの周りにはいた。
聞こえる言葉には異国の言葉も混じっている。一人一人皆門の傍にいる門番に紙を見せて、門をくぐっていく。
人は管理されている。神に管理されている。当然、誰がどこにいくのかはすべて管理されている。
だから人たちは持っている。この門をくぐるための許可証を。彼ら以外誰一人、紙を持ってない人はいない。
次々と人たちは門の中へと入っていく。そして彼ら、アルクたちが門番たちの前を通ろうとした。
ミラの胸に、少しばかりの緊張が走る。彼は、迷わず門番の前に立った。
「許可証を……うおっ!?」
若い門番は突然現れた大男に驚いたのだろう。思わずその驚きを声に出した。
柄を縮め、大盾のようになった槍を背負うアルクは無表情で門番の一人を見下ろす。その異様な出で立ちに、門番の男はただ狼狽えるだけだった。
「おい馬鹿! その方たちは巡礼者だ!」
「ああ……ああ、すみません。ど、どうぞ」
ようやく口にできた門番の男の言葉はそれだけだった。アルクァードは門番たちを見ることもなく、悠々と門を潜り抜ける。
人々の流れに乗って、彼らは進む。町の中へと進む。堂々と、正面から偽装された通行証を使って、彼らは進む。
本当に大丈夫かと、不安そうに見上げるは少女ミラ。一切の躊躇もなく、躊躇いもなく、悠々と歩くは赤錆の騎士アルクァード。
そして二人は立つ。神都オーリアの中心に。行きかう人々の中心に。
そこは、正しく大都市だった。
少女ミラが生まれ育った農村からは想像もできないような人の数。賑わう町。並ぶ露店。そこにはおいしそうな食べ物が並んでいる。
綺麗な服を来た人たちが歩いている。大きな荷物を持った人が歩いている。遠くには子供が何人か集まって追いかけっこをしている。
皆幸せそうだった。皆楽しそうだった。そうこの都市にいる人々は、幸せなのだ。食糧の不安もなく、農村にいる者達のように天候一つで仕事が止まることもない。ここにいる人たちは幸せなのだ。
ミラはそれをみて、羨ましいとは全く思わなかった。
「おい、こっちだ。離れるなよ」
アルクが路地裏に消えていく。慌てて追いかけるミラ。
暗かった。その路地裏は暗かった。表通りからは想像ができないほど、暗かった。
誰もいない。気配もない。アルクはそんな道をずんずんと進んでいく。置いてかれないように、ミラは必死でついて行く。
扉が開く。老婆がゆっくりと出て来て、食べ残しだろうか、何かの骨を箱の中に押し込んでいた。
老婆はミラを見て、しばらく固まったあと、家の中へ戻っていった。
「おい」
「あ……うん」
路の隅を鼠が走っている。遠くで車輪の音が聞こえる。汚水が板の下を流れている。
二人は薄暗い裏路地を歩く。どれほど歩いただろうか、気がつくと、二人は石の扉の前に立っていた。
アルクがそれを押した。重そうな音を立てて、石の扉はゆっくりと開いていった。
扉の中には階段があった。二人は階段を下りていく。それほど長くない階段だ。すぐに階下に到着する。
そこにあるのは木の扉。それを押して、二人は中に入っていった。
「アルク……ここは?」
「魔女の家」
アルクはそういうと、扉の近くにあった鈴を手に持ち、乱暴に振った。決して綺麗とは言えない音がその家に響き渡る。
奥で音がした。何か、固い物を置く鈍い音。ギシギシと床を鳴らして、誰かが彼らの方へとやってくる。
陰から細い手が伸びた。女の手だった。その手には、汚れた手袋がついていた。
遅れて出てくる女の姿。長い髪を後頭部にまとめて、何かの道具だろうか、銀色の小さな物を沢山服につけた女が出てきた。面倒くさそうに彼女は二人を見る。
大きなアルクを見上げて数秒。見下ろして小さな少女。そして一言。
「……アルク。あんた子供いたんだ」
「んなわけあるか馬鹿野郎」
「野郎じゃありません。清らかな乙女です私」
「なにが乙女だ歳考えろ馬鹿」
悪戯好きな子供のように、彼女はニヤリと口角をあげて笑った。
面倒そうにアルクァードは頭を掻く。ついて行けず、キョロキョロと周りを見回す少女ミラ。
手袋を頬り投げて、工具が詰まった前掛けを投げて、現れた女は長机の上の埃を払い落とした。
そして、こういった。
「ようこそメナスの武器屋へ。何をご所望ですかアルクァード様?」




