第19話 歩み
湖を超え、山を越え、丘を越え、林を越え、谷を越え。
平原の先、海に面したその場所に、巨大な城があった。
翻るはいくつもの旗。十字の紋章に、鳥の絵。その城は、人の王が住む城だった。
その城の最も高き場所。巨大な塔の上の窓に、ある男がいた。輝く銀髪。赤い瞳。男は、遠く山の先を見ていた。
端整な顔立ち。背に輝くは美しい槍。銀色の様で金色。一色のようで七色。男の槍は、見る角度によって色が違っていた。
男は遠くを見て微笑んで、近くにいた一人の騎士に話しかけた。その声は、清らかで、美しくて、深くて、染み込むようで。
「ねぇ君、ちょっといいかな?」
「は、はい! 何でしょう!」
恐縮する騎士。身体全体を棒にして騎士は男に向かい合う。
「今日はオーリアで何かあるのかな?」
「はい! 聖女ユーフォリアの魔女裁判が本日行われております!」
「ユーフォリア? オーリア大聖処女廉施者のユーフォリア? 治癒法術の?」
「はい!」
「へぇ」
その声はあまりにも美しかった。その佇まいはあまりにも優雅だった。騎士は、その男の声にとろけそうになっている。
頭を揺らしている。左右に。ふらふらと。ふらふらと。
「罪は、何かな?」
「神に刃向かった罪……でありますっ……!」
「へぇ、面白いね。ついに出て来たか」
「……は、い? ヴァハナ様何のこと……」
「ふふふ、いいさ。人が気にすることじゃないさ。さてさて、どうなるかなどうなるかな。ふふふ」
「は、はい」
男は、遠くを見ていた。男は、笑っていた。男は、楽しんでいた。
銀色の髪。赤い瞳。美しい顔立ち。妖艶な声。神の槍。神の眼。
男は見ていた。平原の先を。谷の先を。林の先を。丘の先を。山の先を。湖の先を。
神都オーリアの聖堂前の様子を。遥か遠く王都の塔の上から見ていた。
神はそこで起こっている今を楽しみながら見ていた――――
腕の先。手の先。指の先。輝く銀色の筒があった。銀色の長銃があった。
その女は、舌を出して自分の唇を舐めた。
悪戯好きな子供のように。笑顔で長銃を空に向ける。長い銃。長剣のように長きその銃身。末端は銃床。通常であれば、両手で持って撃つその火砲を、彼女は両手に持っている。
空を舞う沢山の竜。飛びながらも、竜の視線は眼下の二人から外れることはなく。
「何年ぶりかなぁ。神器無くしてもやれるかしら。どう思うアルク?」
「黙って撃ち落とせメナス」
「はぁいはい。じゃあ行きますよー」
「応」
銀髪の髪。赤い瞳。武器屋の店主メナスは両手に握った長銃を空に向けた。
輝く銃身。伸びる光。二本の筒。
メナスは引鉄を引いた。カチリと火皿を叩く石の音。飛び出る二発の弾。
それは真っ直ぐ空を飛び、一匹の竜の翼を貫いた。かなりの距離があったが、メナスの射撃は正確だった。
「ギャアアアアア!」
叫び声と共に、堕ちてくる一匹の竜。間髪入れず駆けだすアルクァード。
「うおおおおおおりゃああああああ!」
雄叫びが響き渡る。大上段に掲げられた大槍が振り下ろされる。地面に落ちた竜の周りには、土埃が上がっている。
「ギィィィィアアア!」
大槍が竜の首筋に突き刺さる。あまりの痛みに、竜が泣き叫ぶ。
槍が食い込む。鉄が食い込む。塊が食い込む。竜の首に大槍が入っていく。
「むん!」
気合一閃。槍は竜の首を貫く。一匹の竜が、その瞬間に絶命した。いとも容易く。いとも簡単に。いともあっけなく。一匹の竜が死んだ。
「面倒だ。どんどん落とせ」
「はぁいはい」
舞う銀色の髪。メナスの両手には長銃が一本ずつ。クルクルと両手の長銃を回して、メナスは空を見る。
空を舞うは大量の竜。翼を羽ばたかせ、竜は空を左右に舞っている。
メナスが持つ二本の長銃。その銃口は空を向く。空を飛ぶ竜を捕らえる。
「煉獄の釜に、いらっしゃいませぇー」
火を噴く銃口。飛び出る丸い鉛弾。
それは空を裂き、風を切り、音よりも速く空を舞う。向かう先は一匹の竜の翼。
メナスの放った二発の銃弾は竜の両の翼に大きな穴を開けた。竜は鳴いた。竜は泣いた。甲高い竜の声が周囲に響いた。
メナスは再び両手の銃を手首を軸にくるりと一回転させた。そして、銃は再び火を噴いた。
放たれる弾。貫かれる翼。泣く竜。
二発、三発。メナスは容赦なく銃を連射する。彼女の赤い瞳が輝く。
羽をボロボロにされて、竜は落ちる。落ちた先に待ち受けるは大槍を振りかぶる大男、アルクァード。
硬い竜の鱗。固い固い竜の骨格。アルクァードの槍は、容易くそれを刺し貫く。落ちてきた竜をアルクァードはそのまま大槍で受け止めた。
落ちてきた勢いのままに胸を貫かれる竜。胸の中には肺があり、心臓がある。それら全てをアルクァードの槍は貫いた。
絶命する竜。青い血にまみれるアルクァード。
「ちっ……汚ねぇな……」
彼は竜を押しのけ血に濡れた槍を引き抜いた。そして顔をあげた。彼の前に、ボトボトと、ボトボトと翼を撃たれた竜たちは次々と地面に落ちてきていた。
地面に転がった竜は二度三度悶絶していたが、流石は竜である。すぐさま体勢を整えると二本の足で立ち上がり、その顔を前に向けた。顔の先には、口の先には、大槍を持つアルクァードがいる。
「短い空の旅だったなぁおい。楽しかったか? 俺に土産はねぇのか?」
槍を構えるアルクァード。重く、長く、大槍の前に竜の鱗など障害ではなく。
集まってくる天使たち。竜だけでは無理だと、天使たちの行動が示している。
「あ、集まれ! 我々も加勢するのだ!」
駆け寄る騎士たち。剣を向ける相手はもう決まっている。神の騎士ならば、神の味方を。天使の味方を。
「アルクぅーまだやんなきゃだめぇ?」
緊張感のない声。メナスが両手の長銃をくるくると回している。その表情は、どこか面倒そうで。
「ああ? ここからだろうがお楽しみは。向こう一匹たりとも行かせるなよ」
「はいはい、でもねぇ知ってる? 殺しって、大罪なのよ?」
「そうかい、それじゃ裁いてもらわないとなぁ」
大槍を持つ。銃を持つ。剣を持つ。牙を持つ。
死にたくないのならば、武器を取れ。
道を通りたければ、戦え。
「行くぜ」
彼は死を受け入れない。アルクァードは死を待つことはしない。何十人もの騎士に囲まれても、何十匹の竜に囲まれても、何十もの天使に囲まれても、彼は死を待つことはない。
他の者は違う。他の人は違う。神の言葉が無ければ、死から逃れようとはしない。
他の人間は違う。他の人形は違う。誰も自分には脚があるということに気づいていない。
他の者は違う。他の者は違う。他の者は違う。
誰も逃げない。
「皆さん、離れて、早く。あの数です。すぐにこちらにくるかもしれません」
誰も逃げない。
「逃げましょう。大丈夫。逃げても大丈夫です。だって、神は死ねとは言ってませんでした。巻き込まれて死ぬのは、神の意志ではありません。だから、逃げましょう」
誰も逃げない。
「私は、私は確かに罪人です。聖女であることを否定しました。それを魔女を呼ぶのならば、私は紛れもなく魔女です。ですが、それでもどうか今だけは私の言葉を聞いてください。聖堂の前、あの角、あの建物の角まで皆さん行きましょう。大丈夫ですから」
誰も
「皆さん皆さん……くっ……」
誰も
「聖女様……あの……アルクァードさんたちも流石に、全滅までは無理だと思いますからその……僕たちだけでも……」
「駄目。それは駄目よリオン君。それじゃ、この人たちは死んでしまう。無意味に死んでしまう。そんなの、アルクは許さない」
誰も――――
「ユーフォリア様……何がしたいんですか貴女」
「カリーナ……エリン……!?」
「何がしたいんですか貴女達」
だれも――――
「誰も神から逃げることなんてできないんですよ。聖女様」




