第18話 生きる意味は
何のために、武器を持つのか。
最初にそれを振ったのは何の為なのか。
もう、記憶の中に『最初』はない。
世界は広く。全ては霞の中で。歩みは不毛で。戦いは無意味で。血は無駄で。
ただ暗闇の中を進むだけの今。光は未だ見えず。
道は未だ見えず。過去は未だ戻らず。未だに、何も始まらず――――――
「グアアアアアア!」
甲高い鳴き声が鳴り響いた。群衆たちは空を見上げた。
それは、翼を持った怪物だった。鳥よりもずっと大きく、その体長は、常人二人分はあろうかという大きさだった。
顎は大きく、歯は鋭く。その口は、凶悪だった。ただただ凶悪だった。
瞳は縦に細長く、身体はうろこで覆われていて、それは、文字通り翼の生えた蜥蜴だった。
それは『竜』と呼ばれるものだった。神々は古来よりそれを友とし、戦の際には先兵として使って来た。
その牙は大木を容易くかみ砕き、その爪は岩に傷跡を残す。空中戦でそれに敵う生物はおらず、地上においてそれ以上の働きを見せる生物はおらず。
数十匹の竜たちは空を舞う。町の上。丘の上。聖堂の上。自由に彼らは空を舞う。
――さて
「なぁユーフォリア」
「どうしたのアルク?」
「こんな時だが、アルカディナの話を思い出した」
「うん」
「『竜』は、肉しか喰わない。好物は、人の肉だそうだ」
「――え?」
「ミラとリオンを呼べ。早く」
「わかった」
――これよりは、宴である。
竜は、鳴いた。
「ギィィィィィアアアアアア!」
空は揺れた。
「耳がおかしくなるっ……」
人々は皆、両手で耳を抑えた。
「神の裁きである」
天使たちは翼を広げ空へ飛び上がった。
「騎士たちよ整列せよ! あの悪鬼を滅ぼすため神の使いが舞い降りたのだ!」
テンプルの騎士たちは剣を掲げた。
「グオオオオオ!」
片翼の天馬は吠えた。
神は言った。罪は償うべきだと。人は罪人だと。人は裁かれるべきだと。
裁かれる、べきだと。
「やべぇ」
裁かれるべきだ、と。
「アルク?」
だからこれは
「あいつら、一匹として俺を見ていない」
「えっ」
悲劇ではなく
「グアアアアアアアアアア!」
喜劇なのだ。
「キアアアアアアアアアアアア!」
黒い雨の様だった。黒い影の様だった。
逆光の中、竜は舞い降りた。一匹、二匹、三匹、次々と、次々と。
次々と――――
「えっ何でこっ――」
――――そして竜たちは『人』を喰らい始めた。
「え」
竜たちが降りたのはアルクァードの下ではなかった。竜たちは、アルクァードたちを遠目に見ていた衆人たちの前に降り立ったのだ。
そしてそれらは地面に降りるや否や、凄まじい速度で衆人たちに食らいついていった。
一人の人間に狙いを定め、首を伸ばして顎を開き、首を引くと同時に閉じる。それだけで人の身体の大半が竜の口の中に消えた。
咀嚼音は石をかみ砕くかの如き音で。バリバリと音を立てて、竜の口の中で人だったモノはすり潰されていった。
竜は舞い降りる。次々と、次々と。
そして竜は人を喰らう。次々と、次々と。
「何が起こってるんだ?」
「ちょっと待って、わからない、わから――」
人はあり得ないことが起こった時、足を止めてしまうものだ。思考を止めてしまうものだ。特にこの世界において、神の言葉に言葉に従い続けた人々は、簡単に思考を止めてしまうのだ。
衆人たちは立ち尽くしていた。町の仲間が食われていくその姿を見て、不気味なほどに静かに立ち尽くしていた。
竜は人を喰らう。人の群。群衆の外。はぐれた人から一人ずつ。順番に順番に。
子供連れの女が立っていた。群衆の一番外に立っていた。子供は不安そうな顔で母親を見上げていた。
母親は何も考えることができず、目の前の竜をじっと見ていた。その竜は、地面に足をつけた瞬間から、その親子を見ていた。
ぐるぐると、唸り声が口から洩れている。竜の口から洩れている。母と幼子は、それをただ見ている。
竜の足元に小さな水だまりがあった。竜の涎だ。口から溢れる涎は異臭を放っていた。
竜の口が開いた。ピンク色の綺麗な舌だった。純白の歯だった。母親はそれを見ていた。
子供が母の手を引っ張る。5歳ぐらいの子供だろうか。子供は気がついたのだ。その口は、自分たちを喰うために開かれたのだと。
教育を受ける前の子供の本能が、恐怖を感じた。神に慣らされた母親は動かない。
竜の首が伸びた。首の先には頭。頭には口。竜の開かれた口が、一瞬のうちに親子を包み込んだ。
開いた口は閉じる。地面から顔をあげ、竜は上を向く。地面に残されていたのは、四つの足と靴だけ。
口を開ける。閉じる。開ける。閉じる。開けた瞬間に見えた口の中。母親が絶望の顔を見せていた。子供が絶叫していた。
バリバリと、バリバリと。音が鳴って。音が鳴って。音が鳴って。
竜の喉が強く震えた。竜の口には血以外何も残っていなかった。
何のために、ここにいるのだろう。何のために、この親子は生きてきたのだろう。
竜の口に入るため? 竜の腹に入るため? 竜に殺されるため?
彼らの生に、意味などなかった。生きてる意味などなかった。無意味な生は無いと人は言うが、彼ら親子の生に意味などなかった。
人の生に意味などなかった。
「おい!」
声がした。男の声だった。低くて太い、男の声だった。
「てめぇらそのまま死ぬ気か!? 逃げろ馬鹿野郎! 全員喰われるぞ! てめぇら生きてるんだぞ! 死にたくねぇだろうが!」
それは、大槍を持った男の声だった。白い天馬から降りた男は、大槍を突き出しながら人々に吠えていた。
その声、今のこの瞬間に置いて、最も正しいその言葉。それでも衆人たちは、動かなかった。
「クソが! 何で……何でそうなんだお前らは! どうしてそうなるんだ! 死にたくねぇだろうが! 死にたく……!」
「アルク!」
「何で誰もこれが異常だと気づかないんだぁああああ!」
アルクァードは駆けだした。天馬より降りた彼は、大槍を片手に駆けだした。
「おおおおおおおおお!」
雄叫びをあげながら槍を掲げるアルクァード。竜たちは一斉に彼を見た。その殺気に、その勢いに、その強さに、竜たちは人を喰うのをやめた。
「グアアアアアアア!」
威嚇。竜たちは一斉に威嚇した。声が壁のようにアルクァードに襲い掛かった。
アルクァードは跳びあがる。巨大な槍を持ち、巨大な身体を持つ彼は、人としてはありえない程の跳躍を見せた。
大上段。槍を振りかぶる。
「くたばれオラアアアアアアア!」
アルクァードの大槍は凄まじい速度で竜の頭に突き刺さった。真上から叩き落された槍の穂先は、硬い竜の頭蓋をいとも簡単に叩き割りその中身をあらわにさせた。
血が飛び散る。血は緑色。深い緑色。
倒れる一匹の竜。神話の中に出てくる神の尖兵。その尖兵の頭を軽々と叩き潰すはアルクァードの大槍。
竜たちは一斉に翼を広げた。仲間の一匹が殺されたことで全ての竜たちがアルクァードを標的にしたのだ。衆人たちを囲んでいた竜たちは飛び上がった。
光の無い眼でそれをみる人々。
「ああそうだ来い! てめぇらの相手は俺だ! 来い!」
空高く舞う竜。全ての竜たちの口はアルクァードの方を向いてた。
「騎士共! 聞こえてんのか騎士共! 素っ頓狂な顔してんじゃねぇぞ! 町の人間どもを逃がせよ!」
「な……」
「騎士だろうがそれぐらいやれよ! てめぇら人間だろうが!」
「馬鹿なことを言うな! 我々は神の軍勢である!」
「クソが!」
人々は逃げない。逃げ方を知らない。神から逃げるという行動ができない。
騎士たちは動かない。動くことができない。人のために動くことができない。
彼らは人間である。神ではなく、人間である。
「ユーフォリア! お前が逃がせ! 聖女様の最後の仕事だ!」
「うん! 皆さん走って! ここから離れて!」
「メナス! てめぇ神器作りてぇんだろうが! アルカディナの槍調べさせてやるから出て来い! いるんだろうが! てめぇ俺を呼ぶだけで済むと思ってんのか!?」
「女性を誘う言葉じゃないわね」
鉄の扉。どこから現れたのか。確かに壁だったその場所に、鉄の扉があった。
扉が開いて出てくるは銀髪のメナス。両手に長銃を持った彼女は、しょうがないと言わんばかりに苦笑しながらそこから現れた。
武器屋としての姿ではなく、町娘としての姿でもない。全身は皮の鎧で覆われていた。
「全部殺す。手伝えメナス」
「弾代、あとで貰うけどいい?」
「ツケとけ。永久に」
「お姉さんに甘えすぎでしょう貴方。全く」




