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神々のディストピア  作者: カブヤン
人の国篇 序章 神殺しの槍
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第15話 異常な世界

 夜、聖堂が最上階で。


 銀色の鎧に十字の柄の入ったマント。にやけた顔をした長身の男が歩いていた。男は鼻歌交じりで通路を進む。


 腰には剣。胸元には銀の剣。テンプル騎士団の、標準的な装備。男の細腕は、その刃を持つにはあまりにも不釣り合いで。


 男は、ある部屋の前にたどり着いた。その部屋の前には赤鞘の剣を持つ女騎士がいた。


 そして、彼はその女騎士に話しかけた。


「やあカリーナ嬢。最後の聖女護衛任務、ご苦労」


 飄々としたその姿。カリーナと呼ばれた女騎士は深々と頭を下げ、口を開く。


「シルガド卿、どうされましたこんな夜中に」


「ちょっと聖女様とお話をね。部屋、入れてくれないかな?」


「審問は明日のはずですが」


「いや、個人的な話だよ君。いいだろう? 私はオーリア支部首席だぞ? 騎士団長も一目置く騎士の中の騎士。それが私だ」


「……審問前の魔女との接触は、規定違反ですよ?」


「君が黙ってくれればいいのさ。いいだろう? そうだ、たしか君、病気の弟がいたね」


「は?」


「如何にテンプルの聖女付きの騎士とは言え、そんな家族を抱えては君、かなり懐が寂しいだろう? 給金、足りてるかい?」


「……ご心配なく」


「ふふふ……大変だねぇしかし。そんな君にプレゼントがあるんだ。受け取ってくれるかな?」


「プレゼント?」


 そしてシルガドは口角をあげて醜悪な笑みを浮かべると、どこからか袋を取り出した。


 それをカリーナの胸元に突き付けた。まるで受け取るのが当たり前と言わんばかりに。


 カリーナはそれを受け取ると、袋の口を縛っていた紐をほどいた。その中身は、金貨で一杯だった。


 夜通路。蝋燭の灯に照らされて、金貨の山がキラキラと輝いている。


「100枚ある。君の給金の、大体半年分かな?」


「こんなこと、他の者に知れたら……」


「ちょっと鍵を開けて私を入れて、そして鍵を閉めるだけだ。どうやって他の者に知られる? なぁカリーナ嬢。弟君の薬代と医者への支払い、かなり辛いのだろう? 無理はしない方がいい。なっ?」


「ぐ……少しだけですよ。決して、決して逃がそうとはしないように」


「わかってる。心配性だなぁ。ふふふ」


 貨幣。それは人が生活をする上で必要な、神よってもたらされたモノ。


 それと交換で様々な物が手に入る。食糧、衣服、住居、医療に、薬。


 人の社会において、所詮は金の塊にすぎない金貨は、それは必要なものであると神に定義付けられたせいで何にも替えることのできない貴重なものになっていた。それがあれば、何でもすることができる。例えば、入れないはずの場所にだって、それがあれば入ることができる。


 カリーナは部屋の鍵を開けた。カチャンと小気味のいい音が周囲に鳴り響いた。シルガドはニヤリと笑うと、ノックもせずに扉を開けて、そのまま部屋の中に入っていった。


 カリーナは彼が入った後に鍵を掛け、そして思う。結局人は、簡単に決まりを破ってしまうのだなと。


 誰しもが、簡単に汚らしい罪人になるんだな、と。


 シルガドは、その部屋の中に入った。その部屋は聖女ユーフォリアが暮らす部屋だった。


 花が植えてある。赤くて大きな花。血のように赤いそれは、水がなくなったせいなのだろうか、数枚の花弁を床に落としていた。


 壁には絵。聖女ユーフォリアを描いた絵。柄の中の彼女は、無表情でこちらを見ている。


 シルガドは微笑んだ。柄に向かって頭を下げた。それは親愛なる聖女への礼儀か。


 部屋の隅には大きなベッド。そして、そのベッドの傍。窓の下――――


 深い青色の長髪。窓から差し込む風を受けて、それはゆらゆらと揺れていて。


 ――聖女ユーフォリアが、窓の下の椅子に座り外を見ていた。


 ゆっくりと振り返るユーフォリア。その顔は、夜の風よりも冷たかった。


「何か御用ですかシルガド卿」


 その声もまた、冷たかった。


「おお……おお親愛なる聖女様! テンプル騎士団オーリア支部首席シルガド! 貴女様が魔女裁判にかけられると聞き、やって参りました!」


「そうですか。特に用はありませんので、お帰りください」


「なんとなんと……死が眼前に迫っているというのに、貴女様は極めて冷静で、なんと美しい事か……このシルガド、増々貴女様への愛を大きくいたしました」


「そうですか。それはよかったですね。お帰りください」


 テンプル騎士団の中でも比較的高位の騎士であるシルガド。家柄だけで主席の座を得た彼は、とにかく人の話を聞かない。


 そんな彼に、誰が好意的な気持ちを抱くだろうか。


「聖女様。このシルガド、一つご質問があります」


「……何ですか?」


「どうにもわからないのです。聖女様。どうして貴女様は、神に刃向かう者を助けていたのですか?」


「あなたには関係のない事です」


「聖女と言えば、この人の国の中で最も恵まれている人間。巡礼という義務はあれど、生活は最上級の貴族のそれと同等。欲しいものは簡単に得ることができ、行きたいところへは一言言えば護衛の下でどこへでも行ける。なんとよい暮らしだ!」


「そうですか」


「間引き。人の数を調整する崇高な儀式。その間引きの場所を事前に知ることができるのはテンプル騎士団の上位者と、貴女様しかいない。常々疑問だったのです。天使様は明らかに誰かの手で殺されておりました。誰が殺したのだろう。どうやって天使様のいる場所を知れたのだろう。誰が、情報を漏らしているのだろう」


「そうですか」


「アルクァード、ですか。その名前。テンプルの名簿にありました。聖女様と同じ王都近くの村出身の男で、姓が無い下民ながら先代騎士団長に認められ騎士となり、何と神聖騎士ヴァンガードの名まで得ていた男。騎士団の闘技大会で3期連続優勝。初優勝時の年齢はなんと14歳」


「…………そう、ですか」


「銀槍の騎士。史上最強の男。過去を知る者に聞くと、称賛の言葉しか返ってきませんでしたよ。そして6年前に突如として行方不明となり、今に至る。いやはや、凄まじい男ですね。その経歴だけで、強さが伝わってきます」


「……そうです、ね」


「今やあの男は天使を殺して回る狂戦士。やれやれ、堕ちたモノですな。それで、どうして彼に情報を? テンプルにいる間に知り合ったというのは想像できますが、それ以上がわからないのです。お教え願えますか?」


「あなたには関係のない事です」


「聖女様の素晴らしき暮らしを捨ててでもあの男を助ける。何故ですか? 何故そうなったのですか? そう私は、常にその答えを探してきました。そして、一つ、答えに行きついたのです」


「え?」


「貴女は、あの男に脅されているのでしょう? それしかありません!」


「……は?」


「それしかない! なんと嘆かわしい! 我らが愛を裂かんと、あの男は嫉妬したのです! 聖女である貴女様の立場を利用してあいつは脅したのです! 我々が愛し合っているということを利用して! あいつは! なんと嘆かわしい!」


「は、はい? シルガド、卿?」


「うおおおおおおお! 許せん! 許せませんな実に! 実にぃ!」


 シルガドは、唐突に叫び出した。叫んで喚いて、涙を流している。


 異様な光景。ユーフォリアは思った。この人は、おかしいと。話を聞かないどころではないと。


 何があったのか、どう育ったのか。シルガドは、泣きながらユーフォリアの手を取った。その動きは、凄まじく速かった。


「私が、解決法を考えました! ユーフォリア様! 我らが愛を成就させる手段を、このシルガド考えつきました!」


「お……落ち着きなさいシルガド卿。離しなさい、私の手を、不敬ですよ」


「聖女は子を成すことを許されない! 聖女は愛を育むことを許されない! 神は許しません! ですが、ですがユーフォリア様! 私は考えました! このシルガド! ついに思いつきました! 貴女は助かるのです! 聖女を辞めることができるのです!」


「何を……離しなさい……人を呼びますよ……!」


「子を成すことが許されないなら! 腹を裂き子宮を抉り出せば! 貴女は私と結ばれることができるのです!」


「は!?」


「今取り除いて差し上げます! 我らが愛を阻む物ぉ! 私はその為に来た! さぁ、さぁ服を脱いでベッドに! さぁ!」


「な、何考えてるの!? 本気!?」


「さぁ!」


「やめて!」


 手を振り払い、ユーフォリアはシルガドを押し倒した。かなり細身の男であるシルガドは、そのまま地面に倒れた。


 ユーフォリアは走る。部屋の入口に向かって。ユーフォリアの背の向こうで、鞘から剣を引き抜く音がした。


「カリーナ! カリーナ聞こえますか!? 開けて! 逃げないから開けて! カリーナ!」


 扉の鍵は外からしか開けることができない。鍵を持っているのは聖女護衛の任についている騎士のみ。


「カリーナ! シルガド卿が乱心してます! 殺される! 早く!」


 ユーフォリアは叫ぶ。扉の向こうに向かって。しかし必死に呼ぶ声も虚しく、返事は無かった。


 カチリと音がした。ユーフォリアは振り返った。そこには、剣を握るシルガドがいた。


「さぁ、結ばれましょう聖女様! 貴女様を抱くこの瞬間をこのシルガド、夢にも見ておりました! その美しき肢体。美しき顔。そしてその強き心。ああ……ああ! さぁ! 腹を裂きそこにある悪魔を取り出して差し上げましょう!」


「な、なんて……醜悪な……っ。これが、これが神の騎士……!? どっちが悪魔っ……!?」


「さぁ! 私の愛を受け入れるのです聖女様!」


「カリーナ! くっ……しょうがない……」


「ふはははは! 動くと痛いですよ聖女様ぁ! 力をぬいてぇ!」


「動かなくても痛いでしょう!? この!」


 迫るシルガド。ユーフォリアはおもむろに手を前に突き出すと、パチンと指を鳴らした。


 周囲が、光った。


「ぎゃがっ!?」


 そして甲高い叫び声が周囲に鳴り響いた。その声の持ち主はシルガド。銀色の剣を持った彼は、白目をむいてそのまま前に倒れた。


 一瞬だった。何かが一瞬光り、次の瞬間にはシルガドは倒れた。


 光、その正体は――――


「はぁはぁ……ふぅ……雷。身体の中に直接流してやったから、しばらく起きれない、でしょ。ふぅー……攻撃用の法術、アルカディナ様に教わっててよかったぁ……」


 法術。それは奇跡を起こす、神の術。小さな雷を作ることなど、容易い事。


 ビクビクと痙攣するシルガド。ユーフォリアは再びドアの方を向き、大きな声で叫んだ。


「カリーナ! シルガド卿倒れたから連れ出して! カリーナぁ!」


 カチリと開く扉。ゆっくりと顔を出す赤鞘の女騎士カリーナ。彼女は床に倒れて痙攣しているシルガドを見ると、その細い腕を握り扉の外へと投げ出した。


 そして無言で彼女は扉を閉めて、鍵を掛けた。またカチリと音がした。


「……魔女裁判は明日朝です。お早めにお休みを。刑には天使様たちも来ますので、元聖女として最期まで役割を果たしてくださいユーフォリア様」


 ぼそりとカリーナは扉の向こうでそう言った。その言葉からは感情が見えなかったが、ユーフォリアはその言葉に、何故か怒りを感じた。


 小さく溜息をつくユーフォリア。彼女はパチリと指を鳴らした。部屋を照らしていた蝋燭から、シャンデリアから、一斉に灯が消えた。


 真っ暗になる部屋。ユーフォリアはベッドに向かい、倒れ込んだ。


 そして小さな声で、彼女は言った。


「魔女、悪魔、狂戦士。本当の魔。本当の狂気。どっちなんでしょうね……はぁ……このままじゃ私死んじゃうよアルクぅ……」


 月は陰る。夜は深まる。魔女裁判。魔女となった聖女が裁かれるまであと、少し。


 夜は、更けていった。

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