第14話 正常な世界
女神様は言いました。
「折角の下界、どうせならもっといろんなものを見てみたいな。連れて行ってくれる?」
それを聞いた騎士様は慌てました。普通であれば、降臨祭で降りた神様は、王城から出ることはないのですから。事実、それまで誰一人王城から出たいと言う人はいなかったのですから。
今まで同じようなことはありませんでした。ですから、騎士様は女神様を説得しました。外はここよりもずっと汚くて、異端者も少なからずいて、決していいところではないと騎士様は言いました。
女神様は聞きいれません。それどころか、そんな危険で汚い、人の世界を見てみたいと訴えました。
騎士様は困りました。前例はないのです。女神様は、あまりにも綺麗でしたので、外の汚い世界を見せていいのかなと、とても迷いました。
騎士様は悩みました。そして騎士様は幼馴染の女の子に相談しました。
女の子は言いました。
「行きたいって言ってるんだったら連れて行ってあげれば? 私も行けば騎士団長も何も言わないんじゃない?」
騎士様は悩みました。女神様のいる部屋に戻ると、女神様は大きな槍を背に担いで、騎士様を待っていました。
騎士様は諦めました。神が行きたいと言ってるのだから、言うとおりにしよう。神様の、言うとおりにするのが、この世界の決まり事。
そして騎士様と女神様、そして、騎士様の幼馴染の聖女様。三人は旅に出ました。人の世界を見る旅に。
女神様が人の世界にいるのは一か月。世界を見れるのは一か月。世界を巡る一か月。
彼らにとって、もう二度と来ない、夢のような一か月――――
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日が落ちた。
暗い夜が来た。
人は眠る。神も眠る。全ては安らぎの中に。微睡の中に。
当然その町も、沢山の人が集まるその町も、微睡の中に。
彼らだけは違う。
小さな二つの陰。夜の闇の中、人が少なくなった町の中を少女と少年が駆けている。
光を失った瞳で、光を求めて走る少女ミラ。息を切らしながらそれを追い駆ける少年リオン。
建物と建物の間に飛び込む二人。狭い路地を駆け、二人は裏路地を進む。
「聖堂から出てからずっと同じような建物ばっかりで……ほ、本当にこっちなのミラちゃん!」
「うん。もっと急いで」
「急いでって……何でそんなに足速いんだよミラちゃんっ……!」
「急いで」
「二回言わなくても急ぐよ!」
木箱。何が入ってるのかはわからない。それを右に避けて、走る。
角。よく見れば建物の陰に小さなねずみがいる。穀物を食い荒らす害獣だ。眼もくれず二人は走る。
裏戸。中から聞こえてくる家族の声。漂う匂いは料理の匂い。これから食事の時間なのだろうか。気にせず二人は走る。
二人は裏路地を走る。神都オーリアの夜。裏路地の中を小さな二人は駆けていく。必死に、必死に、二人は走る。
全ては、一人の人を助けるために。
「リオンこっち」
「うん、でも本当にこの町に聖女様を助けれる人がいるの? 僕知らないんだけどさぁ」
「助けれるかはわかんない」
「えぇ!?」
「でも、なんか違う人。アルクみたいに」
「本当かなぁ……」
「リオン」
「何?」
「あの角の先」
「あ、うん」
二人は走る。町中を。裏路地を。その先にある鉄の扉まで。
時が進む。人は眠る。そして二人は、その鉄の扉の前にたどり着く。
肩で息をするリオン。扉に駆け寄るミラ。全ては、聖女を助けるために。
暗闇の中、鉄の扉はそこにあった。それは少女ミラがこの町に来て真っ先に連れていかれた場所。人が決して訪れない裏路地の奥に、それはある。
ミラは扉に手を掛けた。少女ミラの小さい手は、その鉄の扉を押すにはあまりにも頼りなくて。
扉は動かない。慌ててリオンも手を出す。二人で鉄の扉を必死に押す。
扉は動かない。動く気配すらない。リオンは身体を鉄の扉に押し付けて、必死に押す。ミラも両手を扉につけて必死に押す。
扉は動かない。
「な、なんだこの扉。っていうか、これ、壁じゃないの? ミラちゃん?」
「アルクは、簡単に押して開けてた」
「あの人でかいから……やっぱり力? いや、でも……」
「もう一回、リオン」
「わかった。いくよ。せぇのっ!」
押す。扉を押す。必死に押す。
それでも動かない鉄の扉。
如何に子供の手とは言え、ここまでやって動かない扉などありえない。押して押して、押し続けて、力が入らなくなるほど押して。
結局、鉄の扉は動かなかった。
「駄目だ……これ、駄目だよミラちゃん……きっと、鍵がかかってるんだ……」
「叩いて、開けてもらおう」
「叩いてもびくともしないし音もならないよ……何なんだこの扉。本当に、壁みたいだ……」
「……どうしよう」
「アルクァードさんはもう遠くに行ってしまってるし、魔女裁判は明日だ。僕たちは聖堂から追い出されたし、どうしようもないのかも……」
「どうしようも、ない?」
「あ……いや……そうだ、ミラちゃん。何か、ぶつけよう。大きな音が鳴れば出てくるかも」
「うん」
周囲を探す二人。裏路地はかなり奥。よく見れば、もう使わなくなったであろう木箱が近くに積んであった。
リオンは頷いてその木箱を手に取ろうと駆け寄った。軽く持ち上げてみる。
空っぽだった。これなら子供の手でも持ち上げれる。
リオンはそれ持ち上げようと腕に力を入れようと――
「コラ君、こんな夜中に悪戯は駄目だぞ?」
「うわっ!」
そしてリオンは箱を落とした。その箱は真っ直ぐにリオンの足の上に落ちた。
「ぎゃあ!」
大きな声だった。リオンの叫び声が裏路地に響き渡った。足の、親指の上。軽いとはいえ固い箱。
悶絶するには十分な衝撃である。リオンは蹲り足をおさえた。少しでも痛みが引くように――
立っていた。リオンの後ろにその人は立っていた。長くて黒い髪を後頭部でまとめて、赤い瞳を輝かせてその女は立っていた。
人の世界において唯一であろう武器商人。メナスがそこに立っていた。
涙目になりながらリオンは立つ。
「人避けちゃんとしてたのにどこから入ったの? 私の力ここまで弱まったのかぁ……かーなーりショック」
「えっと……メナ、ス?」
「うん? ああ、君確かアルクが連れてた女の子……あれ? それじゃこれアルク? どうやって縮んだの?」
「そんなわけない」
「そんなわけないかぁ。普通に返されると辛いなぁーお姉さん」
はにかみながら笑うメナス。彼女は前の時のように作業用の服を着ておらず、町娘が来ているような簡素な服を着ていた。
何とか歩き出すリオン。真っ直ぐにメナスの眼をみて何かを訴えるミラ。
「……何かあった?」
「メナス……アルクが、この町、出ちゃったの。私たち、聖女様のところに置いて」
「へぇ、ま、そりゃそうよねぇ。やっぱり子供連れていくもんじゃないし」
「それで、それで明日。聖女様。魔女裁判で殺されちゃうの」
「へぇ、ついに見つかったかぁ。危ない事してるって本人もわかってたでしょうけどねぇ」
「それで、聖女様助けて欲しいの」
「へぇ、お金は?」
「えっ?」
「お金出せる? 金貨、銀貨、貴金属。金属片でも価値があればそれでいい。お金、出せる?」
固まる二人。メナスの瞳が、赤く輝いている。
「私は武器屋メナス。報酬のない仕事は一切やらないのが私。逆に、お金さえ用意してくれればなんでも用意します。火砲、剣、槍、斧。望めば小麦まで。なぁんでも用意します。それでお客様。お支払いの準備はできておりますか?」
「お金……」
「さぁ? どうしますかお客様?」
空には三日月。地には闇。メナスは微笑み、ミラとリオンは互いを見る。
薄暗い裏路地で。ゆっくりと確実に、時は過ぎていった。




