第8歩:BLOOD
僕はコンクリート製の限りなく安価なボロアパートの扉をガチャリと開け、血のついたコートを丸めて脇に置く。家につく前にほかの部分は洗い流せたがコートにこびり付いたものまではさすがに取れなかった。気に入っていたのに。
三歩歩いて気づいた。
こんがりと香る料理の臭いがする。とてつもなく食欲をさそるいい匂いだ。
そのまま、足早に調理場に行くとそこには、
「おかえり、ユナ。散歩?」
榎凪がいた。
一気に壁まで後ずさった。とんでもない悪寒がする。
この際どうでもいいが僕の名前は『ユナ』に変わったらしい。
「どうしたの?ご飯なら少し待ってね。とびきりいいのができるから」
なんということだ。あの、あの榎凪がエプロンつけて台所に立っている!?
「ふん、ふふ〜ん♪」
鼻歌まで歌っている。
世も末だろうか?そんなはずはない。確かに榎凪のエプロン姿は似合っているし腕も一級だ。
しかし榎凪は僕の料理が食べたいから絶対に料理をしない。食べたことがあるのは熱を出したときに食べた卵粥と疲れて動けなくなったときの中華のフルコースが二回の計三回だけ。なのに何だというのだ!?
まさか料理の中に何か?いや、榎凪はそんなに回りくどいことはしない。直接襲ってくる。
「はいできた。朝だからすっきりしたものにしたよ」
テーブルに並べられていく多品目なおかずが、テーブルに花を咲かせるように鮮やかに彩る。それがいっそう恐怖をあおりとてつもなく怖い。
「さぁさぁ、座って座って」
促されるままに席に座り鎮座している料理とひたすらにらめっこ。
「めしあがれ」
ドンドン進める榎凪。
結局恐怖と料理の味を天秤に掛けた結果、後者が圧勝してしまった。あぁ、情けない。すでに口の中は涎でいっぱいなのだ。
榎凪の作ったメニューは、まつの実チャーハン、ほうれん草の炒め物カタルニア風、ごま豆腐、ふき・たけのこと牛肉の炊き合わせといった具合だ。ずいぶん手が込んでいる。後で聞いて知ったのだがそこまで難しいものではないらしいがそれでも朝作るのは大変そうだ。
箸を使い口に運ぶと口の中に広がる美味。最終的には黙々と食べていた。
僕が食事をしている間、榎凪はひたすら両頬で頬杖をつきにこにことしながらずっと見ていた。先に済ましたらしい。
「今まで作らなかった料理を何で今日になって突然?」
辿々しく僕は切り出した。
榎凪は質問に答える前に急いた口調で聞いてくる。
「その前に料理の感想」
「えっと、その……」
ここでうかつなことをいえば面倒なことになりかねない。しかし僕は嘘が平気でつけない奴らしい。
「美味しかった……です」
「よかった♪」
空になった皿を手早く重ね調理場まで下げる。そしてせっせと洗い始めてしまった。当分は話せそうにない。
玄関まで歩いていき少しの未練はあったが『断纏』で細かく切り刻み、マンションの裏手へ捨てた。今の榎凪に見られたらどうなることやら。さわらぬ榎凪に祟りなし。知らぬが仏。
普通の人間は真似しないように。真似したら逮捕されるぞ。
部屋に戻ると榎凪もちょうど食器を洗い終わり片づけているところだ。
互いに目線を少し交わしてから席に着いた
「さて、ユナの質問に答えよう」
「じゃあ、何で料理を?」
さっきよりは落ち着いたので小首を傾げながら聞いてみた。
「決まってるじゃないか」
目を閉じてからふんぞり返る。いつもよりかなり断定的だ。
「そこに食材があるからだ!」
立ち上がってから明後日の方向を指さしながら声を張り上げた。気のせいか指先が光ったように見える。
殺意がよぎった。
その雰囲気を察してか、というのは冗談で、と早口に継ぎ足した。ついでに席に座り直す。
「私はあることに気づいたんだ。
このまま私だけが萌えていていいのか、とね。
そこでだ、ユナ。
お前にも『萌』を分かってもらおうと思ったのだ!
だからこうして、家庭的な私を演じてお前に萌えてもらおうとしているわけだ!」
「は、はぁ」
曖昧に相槌を打ってしまった。失敗、大失敗だ。
「そこで一つ疑問が起こるだろう。そう、ユナを萌えさしていれば私はどうやって萌えるのか、だ。
そこでっ!私は新たに『萌えている奴に萌える』という新しい分野の設立をここに宣言するっ!分かったかっ!」
「分かるか、ボケェッ!」
「アタァッ!」
どこからともなく取り出したハリセンをおもいっきり振り抜いた。ハリセンは榎凪の頭をきれいにとらえこれまた見事に破れて使えなくなった。思い切りが良すぎたか?
いや、それよりなんで古典的なボケとツッコミをしなければならないんだ。
「酷いじゃないか!」
「知るかっ!」
何事かと思えば結局榎凪の趣味か。損した気分だ。
「何が気に入らなかった?エプロンの柄か?私の料理か?設定か?」
設定ってなんだよ、設定って!そんなものがいつ決まった。
「知りません!」
「知らない?そうか、お前は怖いんだな?」
すべてを諭した聖人のようなすんだ顔の榎凪。
「ハァ!?」
「大丈夫!最初はみんな怖がるけど慣れちゃえば気持ちいいから!」
そういいながら、榎凪は小さな用紙に『世話好き×』と書き込んでいた。
誰かこの不毛な戦いを止めてください。
いつしか僕もヒートアップしてしまった。
「そういう問題でもない!」
「さぁ、母さんの胸の中に飛び込んでおいで!」
立ち上がって軽く手を広げる。
再びハリセン炸裂。
「誰が母さんじゃ!」
「だって、作ったの私だし」
理論的にいえばそうかもしれないけど、違うものは違うのだ。認めてたまるか。
「『お母さん×』っと……」
「訳分かりませんよ」
お手上げ。投了。降参しました。
背もたれに倒れ込む。
「結局は主観の問題だ。気にしてはいけない。見るんじゃない感じるんだ」
「もう知りません」
そういってそっぽを向いて座りなおした。
「いつまでここにいるつもりなんですか?」
困ったときの高速話題転換。ごく自然にかどうかは疑問だが話をまじめに引き戻す。
「もう少し」
「危ないですよ」
淡々と切り返す。もちろんそっぽを向いたまま。
そんな僕を見かねてか、前まで来てソファーに座った。
「あれだけやりゃ大丈夫だ」
「でも、ついさっき襲われました」
「は?」
そういえば言ってなかった。すっかり忘れてた。
「一応、警戒のためにここら辺を見て回ったら襲われました」
「なんて無法者な奴等なんだ」
軽い舌打ちをしてきれいな黒髪をかきむしる。
人に言えた台詞じゃないぞ、そこの人。あんたにぴったりな言葉だ。と言い返してやりたかった。それはおいとこう。
「相手は底をまだ見せてません。今の内に何処かに行方をくらましたほうが――」
「無駄だろう。すぐ場所なんて割れるよ。
それよりどっかで構えて迎え打った方がいい」
榎凪の意見はもっともだが自分達に戦力を貸してくれる人などいるのだろうか?いたとしても大分不利な条件をのまされるだろう。
例えば組織の一員になること。
例えば技術の提供。
それを考慮した上で榎凪は援助を求めに行こうというのだ。いわば賭だ。
「何処なんですか?」
不安そうにいうと答えはあっさりとはぐらかされた。
「場所は後で言うとしてその前にやることがある」
「変なこと言ったら殴り殺しますよ」
念押ししておかないとまた話がそれる。
さすがに榎凪もちゃんと答えてくれた。人指し指を立てて天を指す。
「手持ちの戦力を少しでも増やしておくんだ」
「ということは作るんですか?新しい魔術制合成生命体を?」
「あぁ」
まぁ、妥当ではあるだろう。しかし、魔術制合成生命体を作ると一時的に魔術による世界的干渉ができないらしい。詳しいことは知らないが『世界の均衡』とか『力の安定』の為らしい。
作る者の技量と作られる生命体の力量に比例するらしいが。
今度は親指以外の四本を立ててから言う。
「四日だ」
「四日ここを守ればいいんですね」
すぐに意図を察してから答えた。
四日とは瀬戸際の時間だ。大部隊がやってきてもおかしなことは全くない。
時間との賭。
死のゲーム。
「わかりました」
「頼んだ……」
申し訳なさそうに言いながらうつむく。すぐに顔を起こしたが。
早速光踊石を空中に走らせはじめた榎凪。
僕は邪魔にならぬように部屋から出て見張りを始めた。
―●―
――一日目
ひたすら考えた。何故今になって榎凪が魔術制合成生命体を増やすのか。
先ほどは素直に受け入れたが幾つもの奇異な点がある。
まず何故今頃になってなのか?
もう少し前から作っていればもっと楽に世界を飛び回れただろうに。一人や二人増えたところで移動速度は変わらない。むしろ上がるのではないだろうか?
次に自分達と対峙している組織についてだ。戦力を小出しにして攻めてくるは、榎凪の偽物まで出してくるは――やり方がとにかく気に食わない。
全体像もなかなかつかめないし。
何か考えただけなのにすごく苛つく。いつもの国家警察や世界警察、魔術集団に襲われたときとは違う感覚にひたすら苛つく。
今までにないことが起きたから?
分からないことがつっかえているから?
どれも違う。そんな非日常が日常なのに今更そんなことで苛立たない。しかもやっていることがしっくり来ないし。
もう苛立っている自分に苛立つ!ムカつく!
分からないことがこんなに疎ましいことだと初めて知った。
……―結局
その日は悶々と、ひたすら悶々と考え連ねて夜を巡り朝を待っていた。
榎凪のことだけ信じて。
―●―
――二日目
考えすぎたせいでもう何がなんだかわかなくなった。
何に苛立ってるんだ?おかしくなりそうだ。
もう一度頭の中を整理してみよう。
いつもと違うのは敵の戦法とあやふやな正体、榎凪の反応。新しい魔術制合成生命体――
相手については的外れすぎる。
こんなに苛つくはずがない。むしろ冷静になれる。
榎凪の反応は異常だった。敏感というよりも逃げ腰すぎる。いつもなら相手を引きずり出して壊滅寸前まで叩きのめすというのに。
これが気に入らないのだろうか?これは一番合理的で一番望むべき形だと分かっているのに心の何処かで受け入れていない僕がいる。
まどろっこしい。
何で心は受け付けないんだ?
いっそ心がないように作ってくれればよかったのに。
それは無駄な話だが。
榎凪に変わって欲しくない。ただそれだけだ。
何せ僕は『永遠の恋人』なのだから――
―●―
――三日目
トントントントン――
ひたすら指で、
トントントントン――
床を連打する。そうしなければ眠ってしまいそうだからだ。
一睡もするわけにはいけない。
守らなければならない。
それだけで僕はひたすら目を開ける。 こんな時には自分が人間に近いことをとことん呪ってやった。
うぅ、視界がぐらついて微睡みが最高潮となって僕を襲う。何よりも最強の敵だ。
一日なんて考えてられない。後一時間、後十分、後五分を連続するだけだ。
その時だった。
確かに感じた。
一気に目が覚め高速で戦場把握思考が展開していく。
傍らに置いた『断纏』を指が白くなるまで強く握り立ち上がる。
徐々に張りつめるような緊張が肌をチリチリと焼く。
こんな中でうたた寝できたら大した者だ。
「いつでも来い……!」
独り言で意志を強く強く固め感覚を前方位に向ける。
あらかじめ道は前からしか攻められないよう処置をしておいた。
相手の行動を完全に封じるのではなく利用するのが本当の策士と言うものだ。その点、自分は合格だと思う。
奥歯ががちがちと音をひっきりなしにたてる。
今まで感じたことのない戦慄に喜々恐々としている僕の前に影が現れるまでそう時間はかからなかった。
前回のように人ではない正真正銘の化け物、鬼のような形相で毛の無い巨大な猿が無数に蠢いている。
手には剣や槍、斧などまちまちな武器を持ち盾など無い完全な捨て駒の『猿鬼』の軍勢。
「さぁ、来いよ。こっちはいろいろ憂さがたまってるんだ!」
挑発はするがこの位置からは絶対動かない。 何があっても。
先陣きって飛び込んできた二匹の猿鬼を一匹は『断纏』で、もう一匹は左手でねじりあげ蹴り砕く。
まさに銃弾のように次々と群がる猿鬼を『断纏』で、手で、足で、口で捌いていき、一線を越えさせない。
左手に大太刀の兵装『葬倒天馬』を繰り出し鮮血にもかまいなしに力をふるう。
軌跡さえも追わせない神速から神速への技の連撃。
一匹、また一匹と切り捨て、叩き潰し、噛み砕く。
相手が人間ならば恐怖で声を上げ逃げただろう。しかし相手は僕と同じ魔術制合成生命体だ。恐れを本能ですら知ることのできない程、雑に作られているがそれでも同じ。
また一匹殺した。すでに殺すと言うよりも反射的に斬る程度でしかなくなっている行為だ。
『葬倒天馬』で両断された猿鬼の血液を頭からかぶった。気持ち悪さなどとうに消え果て、手は痺れ、膝は砕けそうで、 体の諸々から滴る血液は自分のものだか誰のものだかは判別がつかない。
消耗が恐ろしいほどに早い。
それでも僕はここを退くわけにはいかない。通すわけにはいかない。
そんなことなど構い無しに絶え間無く迫りくる猿鬼。
斧、剣、槍――それぞれの重さが『葬倒天馬』と交錯し、蓄積し、遂に―――
酷く澄みきった音で根本から折れた。
どうも西宮東です。
友達に漢字が読みにくいし意味が分からないとの指摘を受けたので解説を挟みます。
『鴻の翼』……『おおとりのつばさ』と読みます。『鴻』とは大きな鳥の意味やコウノトリの意味などの説がありますが、ここでは『鳳凰』の意味で使われています。だから、紅い翼な訳です。
『梟騎の瞳』……『きょうきのどう』と読みます。『梟』はフクロウです。不吉なものとして昔から言われていますが、周知の通り夜目がすごい利きます。『梟騎』で勇ましい英雄という意味です。
『幻夢の誘手』……『げんむのいざないて』と読みます。説明は特にありません。
『断纏』……『だんてん』と読みます。字のごとく『たち』を『まとう』。つまり、どの部分でも切れます。
『葬倒天馬』……『そうとうてんま』と読みます。これも特に説明はありません。
といった具合です。わかっていただけたら光栄です。
分からないこと、指摘されること、アドバイス、があればどんどんください。




