第7歩:MIMIC
暗いはずのスラムでもやはり窓から入る朝日は眩しい。何処にでも平等に朝はくるのだとつくづく思う。
その朝日を顔に直接受けた所為で寝ぼける段階をとばして一気に起きられたが、やはりあんなことがあった後で目覚めが爽やかなわけもない。とりあえずボサボサの白髪をなおしに歩を洗面所に向けながら今日の予定を考える。
(あれだけ手痛く返せば早々襲ってくるとは思わないケド……)
適当に放ってあった榎凪の櫛を手に取り頭の上に滑らせる。
(でもそれは相手が正気であることが前提だ)
コップに収まっている赤と青の歯ブラシの青をとる。
(相手の正体が『ベルワナ』とも限らないし)
青い棒の上にまっすぐ上に向かって生えたプラスチック毛に白い歯磨き粉を塗る。
(新興の集団だったら本拠地探しからか)
歯ブラシを口の中に突き立て、左右上下に低速で動かす。
(なんであれ、また面倒な話だ)
歯ブラシを口から抜くと口を濯ぎ洗面所を出ていく。
(二対百まではいいかもしれないけど万近くになるとつらい。正直、殺されるか仲間に下るかの二者択一か。)
狭いリビングにでると簡単に服を着替え黒い皮のコートを羽織る。
(榎凪がいつものごとく起きる気色はないし)
転身してドアへと歩く。
(まぁ、念のため)
ドアの前から榎凪が死んだようにぐっすり寝ているソファーを一瞥してから、
「(いってきます)」
小声で小さく言う。
僕は何のためらいもなく外に出た。
ノブを軽くひねり、押すとさびた鉄が擦れたときの耳をつく嫌な音が辺りを占める。この音も聞き慣れたものだ。
剥き出しの鉄筋を横目で見ながら無機質で寒々しいコンクリートの階段を一歩、また一歩ゆっくり降りる。
外にでると全く変わってないはずの街は朝早い為か何か違う雰囲気を醸し出している。城壁に囲まれている所為でで朝霧をかぶりまさに一寸先は闇と言った感じだ。
(寒い……かな?)
僕の隣にはいつもと言っていいほど榎凪がいる。その榎凪が今となりにいない。それだけがこの寒さを感じさせている。
そういえば榎凪とどれぐらい僕は一緒にいるのだろうか?長いためか記憶が曖昧だ。作られたからだろうか?
ふと、知りたくなった。知らなければならないような気がした。しかし僕には知る術はない。うつむきながら考えてみたがよい考えは浮かばない。
冷たい風が吹いたので首を埋めてもう黒いコートを羽織り直す。
顔を上げるとそこには紅い衣に身を包み腰まである黒髪を翻した中性的な美女が立っている。
「榎凪……」
意図せず口から漏れたその名に反応して駆け寄ってくる。
「朝起きたらいないから驚いたぞ」
いつもと変わらない軽快な口調。
「すいませんでした。少し警戒のために」
やっぱり寒い。
感じている寒さは榎凪がいないせいではないようだ。
「うん、やっぱりかわいいな」
「訳わかんないですよ」
本人だけに楽しげな会話。僕としては何となく不愉快だが。
「で、何かおもしろそうなものはあった?」
「いえ、特に。杞憂だったようです」
「そうか、つまらん」
残念そうに言い斜め上の空を一度だけ見てから僕に視線を戻した。
何がつまらないんだ?と問いただそうと思ったがやめておいた。屁理屈が必ず帰ってくるはずなので榎凪に対してこれほど無駄なことはない。
「そんなことより早く帰ろ。お腹が空く頃だ」
「あ、はい」
僕は辺りを見回しながら返事をする。念のために。
「じゃあ帰ろうか、ハコ」
後ろを向いた榎凪はスタスタと歩き出す。
拳が――閃いた。
相手が知覚した時にはもう遅い。
榎凪が後ろを向いたのを確認してから僕は飛び上がった。体のバネを完全に縮め、一気に上45度の角度から足を降りおろす。相手が『失神しないように』急所をわざわざはずしたが相当痛かっただろう。
地面にたたきつけた『榎凪の物真似をしていた人』に馬乗りになり、完全に押さえ込んだ。
「ちゃんとした顔合わせでいきなりこれはないんじゃないんですか?どっかの誰かさん?」
何かムカつく奴なので俄然拷問的なイントネーションになっていたかもしれない。
こんなことばかり何か榎凪に似てきた気がする。
「お互い様じゃ、イテテッ」
軽薄に榎凪の声を上げる。何か敵っぽくない尻軽な感じ。
軽く腕を捻ってやった。やっぱりムカついた。
「あなたは私が聞いたこと以外に答える権利はありません。」
こういう時は強気にいくのが一番。と榎凪がよく言っていたのでただ今実践中。
「権利がないなんて殺生なことを言うな」
どうやら状況理解していないらしい。黙って『断纏』をコートの下から引き抜き、そいつの近くにあった石に突き立てる。
さも当たり前にそうなるかのように石は自壊した感じに切り刻まれ砂のように散らばった。
「こうなりたいですか?」
「イエ」
「よろしい」
聞きたいことは山ほどあるがまずは確認程度に当たり前のことを聞く。なおかつ一番の核心を聞く。
「あなたが所属している集団は?」
「それはもちろんかの有名な『ベルワナ』に――」
もう一度近くに刃を突き立て地面に生々しい傷跡をつける。虎が爪研ぎしたようだ。
「嘘もこうです」
「なんでわかったのさ?」
不思議げに尋ねてきた。榎凪の声で全く別の口調を使われるとやりずらい。
「あなた方が僕たちの力量をはかるような感じたからですよ。『ベルワナ』はしっかり僕たちの戦力を知り尽くしているから」
「そんなすぐばれちゃうとは、ね」
かなり残念そうだ。生を諦めているように残念そうだ。
「造作もないですよ」
こいつの小馬鹿にした態度は許せない気がしてならない。誰かに似ているような気が。
「話を逸らさないように」
危うく相手のペースに乗るところだった。やっぱりこういうのは向いてないようだ。
「もう一度、あなたの所属している集団は?」
「…………」
相手は口を閉ざしたまま。つまり黙秘。組織への忠義は厚いようだ。
だが黙りを決め込むつもりなら僕にも考えがある。
迷いなくそいつの両手の指をすべてを切り裂いてやる。
「んぐっ……!」
痛みでうめきをあげるが僕の態度は変わりない。それにこいつは魔術師かどうかは知らないがこれで筆記系魔術を使えない。
「無駄な質問のようですね。期待してませんけど」
「なら指を切り落とすなよっ!」
まだツッコミする元気はあるようだ。
そんなものがあろうがなかろうが容赦はしないが。僕は生死についてはシビアなのだ。
「これからの質問の時にも同様にするとの合図のつもりでしたが?」
次は足の指。その次は耳。末端から中心へ。
「さいで」
だがこの様子から見るとあまり問答は無意味のようだ。
「では、この質問にちゃんと答えたら解放を確約しましょう」
「答える訳ないだろ?」
本当に生意気な奴だ。
「榎凪さんを人として必要としているのですか?それとも術式と『光踊石』ですか?」
予想外の質問に榎凪の唖然とした顔を見る羽目になった。そして少し考えてから、
「人として……だな」
「わかりました」
約束通りに退いてやる。有言実行は交渉の最低条件だ。
「まさか本当に退いてくれるとはね」
「えぇ、ここならあそこと、あそこと、そこにいる人からの攻撃はあなたを縦にできるし、他の人のは避けられますし」
順番に指先を動かして、一人ずつさしてやった。そのときの滑稽な顔ときたらおもしろい事この上なかった。
「おどろいた?」
「おどろいた」
優越に浸ってみたのは良いが鸚鵡返しに答えるなんてつまらない奴だな。
「こっちから一つ質問していいか?」
「質問によりますね」
安請負はしないこと。生きるためには必要だ。
「何ですぐわかったんだ?外的要素はもちろん、性格まできっちり真似して『色々恥ずかしいこと』までやったのに……」
思えば榎凪以外の人が『かわいい』なんていってきたら身の毛がよだつ。つくづく慣れって恐ろしい。
とりあえずの安全は確認してあるし注意を注ぎすぎないようにしながら質問に答えた。
「いっぱいありすぎますよ。
まずこの時間帯あの人が自分から起きれるはずがないんですよ。仮に起きたとしても家から出られないんです、ひもじくて。
百歩譲って家から出たとしましょう。だからってあの人は方向音痴だからここにこれない。
もしかしたらあの人には僕を見つけるレーダーがあるのかもしれません。それで遭遇してもあの人なら百%抱きつこうとします。
千歩譲って抱きつこうとしなかったとしてもあなたは最後に僕を『ハコ』と呼んだのがまずかったですね」
一息でそこまで全部言い切ってやった。
ある意味快挙だ。
「そんなに?」
「そんなに」
「マジで?」
「マジで」
相当自信がなくなったようだ。哀れな。
僕は笑みを浮かばせて鸚鵡替えしに真似をした。
「完全に俺らの負けか……」
「はい」
目の前のその人は生を諦めた。生きる権利を完全に放棄していた。
望みに答えよう。
右手を神速で降り抜く。人間の知覚機能では見切れるはずもなく無惨なバラバラ死体の出来上がりだ。
「最後に君で楽しかった」
彼、もしくは彼女は笑ったままだった。
「戯れ言」
それを僕は嘲った。個人的には嫌いだったけどどことなく好きだったんだけどな。
血しぶきをあげながら無数の肉片となり地面に落下していくかつて人間だったものをすり抜けながら昨日の残党であろう奴らを再度認識、接近する。
数は五人ってところか。一分あれば十分。
――十秒。
再後尾の敵に接近、『破壊』する。
――二十秒。
散っていった敵の方向を確認、追跡を開始。
――三十秒。
二人組の敵を同時に『破壊』、転進する。
――四十秒。
三人組の一人に何のためらいもなく『断纏』を投げつける。
――五十秒。
肉につきたった『断纏』を抜きそのまま横に構える。
――六十秒。
横凪にし、二個の球体が宙に舞う。
「ジャスト六十」
一人が死んで五人が壊れた。
最後に凪いだ首の血も『断纏』には全くつかない。血でさえも触れれば『断纏』に断たれる。
しかし黒いコートと顔は血だらけだ。
粘つく血液を早く洗い流したい。
こんなことを思う僕は残忍なのだろうか?
でも、
冷血と言われてもいい。
残忍と言われてもいい。
死神と言われてもいい。
僕が生きて行くにはそうしていくしかないないのだから。
そう、
朝が誰にでも訪れるように、生と死、終わらない今日も必ず訪れるのだ。
それが榎凪と僕に来るまでの間を長くするためなら何でも殺してやる。
―――自分の
魂さえも




