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第64歩:《失敗作》

 

   《失敗作》

 

「なぁ、この《絲》どうにかなんね?」

「…………」

 

 月明かり銀色の夜。

 軽薄に喋る《失敗作》に、無言で応じる希崎時雨。

 その場には、月光はおろか、如何なる光でさえ視認不可な絲が無数に張り巡らされていることなど、第三者は知るはずもない。そして、その位置を正確に知っているのは、時雨のみ。

 

「いい加減、この体勢長いと疲れんだけど」

 

 あくまで、時雨は軽々とした態度を崩さない《失敗作》を相手にせず、《失敗作》と同じように微動だにしない。

 空を見上げたまま、物思いに更ける。

 

「だー、ホント、全然動けねー。つか、力はいんねー」

「いい加減、何か言いなさいよ」

 

 文句の言葉を麻紀も口にする。それでもなお、時雨が口を開かずにいると、麻紀は心底嫌そうに、舌打ちをした。

 

「せめてさー、いつまでこうしてるかくらい、教えてくれね?」

「そうよ」

 

 二人の行動がよほど煩わしかったのか、時雨はほんの少し考えるように目を動かす。一頻り、目を動かし終わったかと思うと、こんどは《失敗作》に視線を投げた。

 

「場合によってはすべでが終わるまで、だ」

「あー、はい、そーですか」

 

 至極当然のような回答をする時雨に、やる気のない反応を見せる《失敗作》。

 時雨の長い髪を風が巻き上げる。垣間見える表情は、あくまで無表情。

 風が吹き、止み、また風が吹く。静かに時間が流れる。

 

「だー、もう我慢できねー!」

 

 それは全く突然で、前触れのない現象だった。

 《失敗作》の体がまるで粘土のように、グニャリと曲がる。同時にブチブチという、絲を切るような音。

 《失敗作》は無理矢理、体から同時に武器を生成し、動いた。その際、摩擦により身体中に走る無数の傷、ほとばしる血。

 そんなことを気にも留めず、《失敗作》は自分の大剣へと接近する。

 対する時雨。時雨は麻紀の方へと体を翻す。同時にそよぐ、束ねられた髪に、高速で飛来する鉛玉が掠める。

 鉛玉をはずした瞬間、麻紀は軽く舌打ちをしたが、その顔は笑っていた。

 

「私の作った遠隔操作式の銃か」

 

 素早く体を動かして、標的に定められないようにする時雨。自分の作った銃だけに、弱点は理解していた。

 だが、麻紀に元から当てようという気はない。ただ一瞬、《失敗作》が自らの大剣に触れるまでの短時間さえ稼げればよいのだ。

 その理由を初めから悟っていた時雨は、もとより《失敗作》を止めようとしない。寧ろ遠ざかるように走り出す。

 先程自分が、絲で飛ばした少年がいる方向へ。

 開けた場所から時雨が離脱したのと同時に、白髪の少年は大剣を手にとり、地面から抜きはなつ。

 なんの意図もない、空に向けた一振り。

 

 ヒウンと、空間が鳴く。

 

 その場に満たされた絲という絲が、全て切り刻まれる。

 

「――――!」

 

 《失敗作》の声にならない高い狂笑。

 絲を切られて解放された麻紀が思わずへたりこんでしまうほどに、疾走する時雨が思わず振り返ってしまうほどに、その笑いは外れている。

 その程度のことは気に留めず、真っ赤な大翼を惜しげもなく発現させる《失敗作》。無駄なまでに巨大な翼を一度羽ばたき、軽く中に浮く。それにともない、深紅の羽根が散乱する。まるで、火のついた血を撒き散らしているかのような、痛々しい光景。

 滞空したまま、再度羽ばたくと、一瞬にして木の背丈をこえる。

 更に何度も、幾度も、何返も、幾返も、翼を動かし、空高くへと舞い上がる。その度に、血飛沫を浴びた雪のような羽根が地上に降り注ぐ。

 

「あはははは!」

 

 今度は人間の聞き取れる言葉で、笑う。

 笑いながら、《失敗作》は思う。

 今度こそ、今度こそ、今度こそ今度こそ今度こそ、本当に結末をつける。

 意識のなかった、頃の自分。莫大な何かの頃の自分。そんな自分の唯一持っていたもの。それが漸く、行える。

 自分にあったもの。それは、剣の意思。剣の記憶。憎いという、明確に誰かが憎いという心。それでいて、そうしたくないという心。

 だが、彼に会ってわかった。記憶がすべて繋がった。自分はきっと、秋宮榎凪も紀伊大地も誰も彼も憎かった。そしてきっと、誰も彼もがいとおしかった。

 だからこそ、《失敗作》は思う。そんな葛藤に苦しみたくない、と。

 故に、取るべき行動は簡単だった。

 

「あはははは!」

 

 全てを壊そうとも思った。

 全てを愛そうとも思った。

 

「きゃはははは!」

 

 無邪気に笑う。

 無垢に笑う。

 彼を見つけた。

 彼は笑いながら、空を下っていった。

 踊るように。

 舞うように。

 

「よぉ、《失敗作》」

 

 いつか呟いた言葉を、彼はまた呟いた。



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