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第53歩:ギフト4

 榎凪は民家の上からゆっくりと、一歩一歩踏みしめつつ屋根のすそに降りてくる。すそまで降りてきて、そこから三メートル以上下にある塀に向けて何のためらいもなく飛び降りる。

 立ち止まることなく、音もなく片足で着地し、歩くようなペースでアスファルトの上に舞い降りる。

 

「大丈夫か、アイ」

 

 僕を今までにない名前で、目線を向けながら僕をアイと呼ぶ榎凪。バイクで人を吹き飛ばしたというのに、なんら変わりなく榎凪は笑っていた。

 いつも見ていたはずの純粋な笑顔。

 それが途端に、裏のあるように思えてきた。

 実際何一つ、榎凪は変わっていないのに。変わったとすれば、僕の心。視線にフィルターをかける……僕の心。

 怪訝そうな顔さえすることを忘れた僕。

 

「って、ホントにお前大丈夫か?なんか目が死んでるぞ?」

 

 その元凶は一体誰だと思っているんだよ、なんて言葉さえ僕の口から出てこなかった。

 それ以前に、それ以上にも、他に言うことがたくさんあるのに、なぜ何も訊かないのだろうか?

 例えば、僕を守るように座り込んでいる二人とか、自分が吹き飛ばしたのが誰なのかとか。

 もしかしたら、最初から榎凪はすべて見ていたのかもしれない。だとしたら、どれほどに残忍で酷薄なのだろうか。そして、どれだけ自信に満ち溢れているのだろう。

 あれだけの事実を聞かされてもなお、僕が何も変わりないと信じられるなんて。ただの投影機である僕を。ただの投影機だからこそ、か。

 

「つぁ……!」

 

 《失敗作》は何事もなかったかのように、壊れたバイクの車体を軽々大剣で弾き飛ばして立ち上がる。

 服には少しばかり、解れや破れた箇所があったが体自身は無傷。尋常ではない。異常なほどの……人外性。

 

「ったく、久しぶりに会ったってのに、そりゃないだろ?」

 

 ニタニタ笑いながら、そんな風に言う《失敗作》。

 そんな二人を、僕は見渡す。見渡しても、何も思うことはなかったが、どうぢようもなく、この場にいたい気がしなかった。

 

「あぁん?」

 

 フランクに話しかけられてはなしかけられて初めて気付いたかのように、自分がバイクで吹き飛ばした相手を見る。あれだけの攻撃を働きながら、完全に無視の方向らしかった。

 

「誰だ、お前?」

 

 本当に無視らしかった。

 

「存在そのものを無視かよっ!?」

 

 榎凪にかかれば、あの《失敗作》でさえコミカルに会話をする羽目になっていた。

 それにしても、榎凪と《失敗作》が旧知の仲(榎凪は忘れているらしいが)だったとは。僕と同じように投影機として扱われ、そして――捨てられたのだろうか?


「お前なんか知らないな。というか――」

 

 榎凪は《失敗作》をぎろりと睨み、人を石化させるほどの殺気を放つ。

 

「私のものにこんなことしたのは、お前か?」

 

 手に握られた『光踊石』が淡い光を放ち、臨戦、いや、殺戮体勢に入る。

甲高い魔術式の起動音。『光踊石』を中心に複雑怪奇な式が立体的に延びていく。半径五十センチほどの球状になったところで、『光踊石』から手を離し、五十センチ上の球体から手を引き抜く。

 重力に従い、『光踊石』は落下するかと思いきや、落ちることなく球体の中心で旋回して停滞する。

 それを確認してから榎凪は二、三歩下がってニタリと笑う。そうして、再度問う。

 

「答えろ、お前か?」

「いや、俺じゃないなぁ」

 

 あれだけ殺気を放っている、榎凪に対してヘラヘラおどけて見せる《失敗作》。でも実際、言っていることは事実。《失敗作》がやったことは教えただけだ。やっていることは、裁判で言うところの検察官のようなことしかやってない。

 そうして、彼が何をしたのかを述べる。

 

「なぁに、お前が俺と《失敗作》を作った理由を教えただけだぜ。こうしたのは間違えなくお前だ、《榎凪》」

 

 彼がしたことは、ただそれだけ。

 僕が作られた理由、それは単純なこと。簡単に言えば、穴埋め。

 榎凪が昔した、何か。それが何かまでは《失敗作》は語らなかったが、理由そのものは余すとこなく全て話した。こちらの了解も取らずに明確に。

 榎凪には昔、一人すごく仲の良い人間がいたらしい。その人は紀伊 大地たちとも縁が深く、それなりに仲良くやっていた。容姿は並外れた美形でも、逸脱した不細工でもなく、普通と一般的にくくってしまえる程度のもの。洒落っ気もなく、性格も人並みの気遣いがある程度で僕らみたいな、《失敗作》じみた何かのない人間ではなかった。少なくとも、榎凪がその何かを仕出かすまでは。

 その仕出かした何か、その所為でその人間は完膚なきまで壊れた。榎凪が壊した。榎凪が人間ざりき存在にそいつを据えてしまった。

 そして――そいつは、人間として外れた精神を人間のみに宿したそいつは、当然のように……死んだ。自壊した。

 榎凪はその業から、己が罪から目をそむけるために僕ら、《失敗作》を作った。最初は人ともいえない仕上がりで、徐々に、本当に徐々に、失敗に失敗を重ね、僕や、彼のような限りなく彼に近くなった《失敗作》を作り上げることに成功した。

 《失敗作》なのに、《失敗作》なのに……成功。

 代替品が出来ることが、成功なのだろうか?

 榎凪の昔の友人の代替品が僕ら。

 昔の友人の……《失敗作》。

 それが、それだけが、僕の前の《失敗作》が今の《失敗作》に語った全てで、僕の生まれた理由の全て。

 一体どれほどの人間が、僕ら《失敗作》のために死んだのだろうか?

 そもそも、人間として作られているかさえ怪しい《失敗作》僕らのために。

 紀伊 大地や希崎 時雨、神宮 夏雪や間宮 和湖。彼ら全員が、旧『神々の墓守』全員がこの事を知っていたらしい。全員が全員、結託して僕に隠していた。良いか悪いかなんて関係ない。隠していたのは事実。悪いかどうかは僕の決めることだ。

 

「剣野――……」

 

 だから僕は問う。

 ほんの少しだけ、表側へと戻り、僕は問う。

 こんなことを聞かされてもなお、心のどこかで榎凪を信じたがっている自分のために、僕は問う。

 もう一人の《失敗作》の前で、僕は確かめることにした。

 全ての事実を。

 僕らの起源を。

 世界の終止を。

 

「『剣野景色(ツルギノケシキ)』って、一体誰ですか?」

 

 《失敗作》の顔が形容しがたいほどにグニャリと曲がり、榎凪の顔に絶望と驚きの色が挿す。

 誰一人として動くことはなく、ただ、魔術式が自立回転だけをする。世界が止まってしまったかのような、静寂。

 剣野 景色――

 榎凪の無二の友人だった人間にして、僕の《起源(オリジナル)》。二つ名に最強の騎士『理由なき剣』を冠する男。

 そして…………

 

 僕と榎凪の物語を完膚なきまでに終わらせる、魔法の《呪文(スペル)》だった。

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