第49歩:絲状災厄5
―V.S.榎凪―
紅いチャイナドレスを身に纏い、黒い髪を靡かせて、一人、女性が立つ。
周りには美しい彼女には似合わない下種な取り巻き。
「さぁて、困ったなぁ……」
極めてのんびりと、この場にそぐわないほどゆっくりと彼女は言う。
「あいつ、あの名前気に入ってなかったんだな……。ショッキングー」
この場にまったく関係無いことを、まるで周りに誰もいないかのように、一人でぼやく。
「でも、ふふふ……これで毎日の楽しみが増えるな!あぁー、明日から楽しみ!」
誰にでもなく話しかけ、キシシと笑う。本当に楽しそうに。今にも走り出してしまいそうなほどに楽しげに。
「うーん、『恋』の字をとって『レン』なんてどうかなー?ぴったりだと思うなー!」
独り言は終わることなく、一人で延々と続く。独り言は一人でするものであったが、此処には無数の聴衆がいたが。
「それとも、綺麗な『愛』と純粋な『零』をかけて、『ラブ』なんてどうかな?ちょいストレート過ぎるか……」
顎に手をあて、腕を組み、目をつむって、黙考する。それでも聴衆は何もしてこない。
「あはは!やっぱし楽しいな、これ!久しぶりだし、楽しくて楽しくて、止まらないなぁ!」
自らを抱き、身をくねらせて、悶える。此処にいない少年を思い、一人で楽しみ、一人で笑う。孤独なんて感じない。いつも一緒なんて安い感覚ではなく、会えないこの時間さえも、彼女にとっては楽しい時間。
だから決して、聴衆がいるからではない。
聴衆は――猿鬼たちは、一歩たりとも、指一本さえも己が意思では動かすことは叶わない。
ギッ―――――――
ガッ―――――――
グッ―――――――
声をあげることさえも許されない、彼女が有する絶対的な圧力――仕掛けは単なる魔術式ではあるが。
遭遇した瞬間に魔術を思いつき、
数秒で魔術を完成させて発動し、
この場にいる無数の猿鬼たちを、
一匹残らず魔術でとらえて、鎖で縛る。
魔術の材料としてアスファルトの舗装を使用してしまったため、地面が剥き出しになってしまったが、逆に言えば、それ以外何も傷つけることなく敵を無力化した。
無力化しただけ。彼女が本気を出せば、縛り付ける必要もなく、瞬殺できたものをあえての無力化。
彼女にとって、労力としては大差無い。ならば亡骸を求めて新しい猿鬼が来ないようにする方法は、足止めとしてはもっともな正解の一つ。正しい回答の……一つ。
数量的には一対無数。
実質としては……無敵対矮小。
「ところで……」
今度は明確に周りに向かって言葉を紡ぐ。音を発して、声にして、意味を持って、センテンスを繋ぐ。
「漫画とかでさ、決め台詞ってあんじゃん?お前は既に死んでいるとか、またつまらないものを斬ってしまったとかさ」
無意味という意味をもって、文章を繋いで、無意義という意義をもって、言葉を紡いでいく。
「そこで私も一つ考えてみたんだ。格好よく決めてやろう」
ニタァ、と宵闇に貼り付くようなベタベタした笑顔を、常夜の恐怖の象徴のようなネトネトした笑顔を浮かべる榎凪。
淡くエメラルドグリーンに輝く光踊石を顔の前に掲げ、ギラリと睨んで宣言する。
「テメェら、零秒くれてやる……。その間に自殺しろ」
睨んだ目は爛々と、
見えた歯は煌々と、
示す笑顔は恍惚と、
彼女は、榎凪は勇壮に、荘厳に、華麗に、一人で無数の猿鬼に囲まれても、怯むことなく存在を続ける。止まることなく回り続ける。
口を開く。放つのは言葉ではない言葉。
……――魔術。
「口を使った魔術ってな、ただ文字を羅列するだけだと思われがちだけど、実際もっとメンドイんだよね」
榎凪は知能がない相手に説明をしていく。親切心や自己満足はなく、ただ、榎凪は自分らしさの演出として、それを語る。
「声の大小、高低、速遅。声の質から波長まで全部纏めて魔術なんだよな。つまり先天性な訳だ」
ニヒルに笑い、宣告する。
「つまり、それができる私は天才なんだよ!」
自信過剰で厚顔無恥。
天下不頼で傍若無人。
そうして紡ぐ、一つの魔術を。
「天の杯は血で満たされた」
高い声で高々と。
「転の逆月で地は満たされた」
低い声で朗々と。
「血は溢れ、世界へ注ぎ」
早い口調で早々と。
「紅き月が、世界を包む」
遅い口調で遅々と。
「ハジマレ――」
高くて低くて早くて遅い声が“一つの口”から“多重で同時”に声が響く。一人でハーモニーを奏でるあり得ない現象。
そして、榎凪は魔術を締めくくる。一つの単語を美しき地声で。
「――赤色の世界」
ガチリ、とまるで歯車が噛み合うような感覚。時計の短針のように動いてるのが観測できないほどゆっくりと、世界が“ずれていく”。
世界が“ずれて”“ゆがんでいく”所為で猿鬼達が動き出す。加速していく――死という終わりの方向へ。
ギギギギギギギ
ガガガガガガガ
グググググググ
軋むような猿鬼達の呻き声、叫び声。あげるはずのない、あげる必要のない鳴き声にも聞こえる喉奥から出る波長。
そんなものは幻覚。
彼らにそんな感覚などないのだから。
そんなことはお構い無しに榎凪はせせら笑うかのように、嘲り笑うかのように宣告する。
「アッハッハッハ!弱ぇ弱ぇ!テメェらが一憶匹かかってこようが、一兆匹かかってこようが、一京匹かかってこようが負ける気がしねぇな!」
その言葉を合図に世界が『融解』を始める。猿鬼達が融解を始める。
目の当たりにしたら生きていくのも辛くなるような光景。例えるなら、この空間が生命で傷から血を流しているような風景。
そんな周囲をものともせず、額面通りに物とも思わず、歩いていく。
「さぁて、次は何処に居ようかな?あいつに近い方がやる気が出るけど、近すぎるとバレたとき不味いしなぁ」
猿鬼たちをかき分けて、手を使わずにかき分けて、榎凪は夜を歩いていく。
自分のために。




