第43歩:幻影鏡界5
――問二。
今までのことを勝手に全て水に流し、僕は疑問を投げ掛ける。でも実のところ、九割九分九厘の疑問が最初の質問の中に含まれていて、今から聞くのは単なる暇つぶしのようなこと。別に質問の中心が鏡でなくたって、紀伊 大地だろうが、希崎 時雨だろうが、誰だろうが、関係のないことだ。この問の例外は唯一人、秋宮 榎凪のみ。
「鏡と僕は――何処かで何らかの因果が繋がっているんですか?」
単純に、鏡と一緒に倒れたのが《僕》で、今、紀伊 大地に鏡について問いただすのが《僕》でなければならかないのか。
そんな哲学を含んだ疑問。
此処に何かの必然性が隠れているならば、隠されているならば、話は大きく変わってくるが、紀伊 大地ならほぼ100%に近く、偶然という解を持ち出してくるはずだ。僕はその偶然という言葉が聞きたい。だから、榎凪については無駄、僕と榎凪は宿命付けられて、運命の延長線上で出会ったんだから。ロマンチックに言えばね。
「はっ、『因果』ね。胸糞悪い言葉だ。テメェの考えてる『因果』っつーのは何なんだよ、え?《生まれながらにして持っていた縁》ってか?くっだらねぇ……。そんな言葉を持ち出して、物語の主人公にでもなったつもりか?阿呆め。んなもんが、この世にあってたまるかよ。偶然も必然も後付けだ。机上の空論だ。哲学者の詭弁だね!そこで出会った事実以上に何の意味を求めてんだよ。そんなことを考えて偉くなったつもりか、小僧が。そんなこと考えてること自体が馬鹿なんだよ。下手に考え巡らしてねぇで、とっとと事実に対処してんだ。それがテメェの、いや《物語の出演者》達とでも言っておくが、目に映ってる奴等の限界なんだからな」
当然のことながら、こんなくだけた喋り方で、長々と無意義に口を開く人はこの家の中にたった一人、かつ僕の知り合いの中にもたった一人だ。見ないでも分かることが幸か不幸か、不幸中の幸か否かは、全く関係のないことだが頭の奥の方にふっと沸いた。それに添付するような形で彼人の名も浮上する。
希崎 時雨――自称・魔法使い『ギフト』。
そういえば、自分で魔法使いと名乗って以来、特に魔法使いらしい行動を僕は見ていない。
魔法使いらしい行動がどんなものかと問われると答えようはないが、とにかくそれっぽい物を見ようともしていない。
理由は分かりやすく、そんな気分じゃなかっただけ。
魔法使いなんて今まで僕にとって架空上の人物、御伽噺の住人、夢物語の産物レベルでしか思っていなかったから、時雨さんの言っていることを認識できていないのかもしれないし、はたまた本能的に自我の奥底の方でいつのまにか受け止めてしまっているのかもしれない。だから――自称。証明されていないからこそ、自称がとれない。ナイフを浮かせるなんて、よく考えなくても魔術で実行可能なんだよね。
時雨さんは僕の後ろから声をかけた訳じゃない。前方にいる紀伊 大地の上からだ。別に中に浮いている訳じゃない。巨大な本棚の上に座り、足を気だるげに足を虚空に揺らし、こちらを蔑むように見下している。果たして僕に気付かれずに、あの位置にたどり着くには……。
――天井をはって来たのか!?
わざわざあんな皮肉を言うためだけに、埃が積もっているだろう狭い天井裏を葡匐前進のようなことをしながら移動し、ばれないようにそっと静かに天井を開け、汚れたであろう服を綺麗にしながら、いそいそと時雨さんがスタンバイしていたとしたら、何となく心の奥の方に切なさを感じる。
あるいは――魔法で一瞬で、か。
ま、時雨さんの言った通り、そこにいるという事実があるのだから対処しよう。だからといって、僕は必然や偶然について考えるのをやめたりはしないが。
「それは僕と鏡の間に因縁はない、ということですか?」
「はっ、それぐらい自分で考えやがれ。考えても分かんねぇなら調べやがれ。人に聞いたら教えてもらえるような甘っちょろい世の中じゃねぇんだよ。けっ、それともあれか?秋宮に甘やかされて続けたせ――っおわ!?」
ぐらりと、本棚が傾いた。巨大な本棚が意図も容易く倒れ始めた。とある人の所為で。言うまでもなく、見るまでもなく誰か分かる。
本棚の上に座っていた時雨さんは重力従い、落下する。
そのまま僕は何らかの方を用いて着地すると思っていたが、まさしく人外のごとく、魔法使いらしく――空気を蹴った。そこに見えない板でもあったかのように跳躍して方向を変え、僕ね後ろにある扉まで三度連続空中をジャンプすることによりたどり着いた。僕の上を過ぎていくときに軽く舌打ちしていった。それだけの余裕があると思いきや、その顔は壮絶なまでに恐怖に歪んでいた。そこまで必死に逃げるか、普通。
僕は一歩も動けないまま、時雨さんを見送ることしか出来なかった。考えても見てほしい。外見的にも、精神的にも年上の人間がこの世の終わりを目視したような顔で過ぎ去っていくところへ、声をかけれる人間が果たしているのかどうか。きっと僕は世界の人口の一億分の一もいないと思う。この国の人口で換算すると約一人だ。そんな一人に僕はなりたくない。
「コラァ、マテや!」
当然のごとく、僕のなかの一億分の一可能性と言う壁を越えてしまった人は、自分が言ったことも何処吹く風、銀河の彼方に忘れてきたと豪語してしまうだろう雰囲気を纏って颯爽と部屋の奥から走ってきた。恐ろしく早い。選手には悪いかもしれないが、世界陸上に出たって、周囲に大差をつけて優勝してしまうだろうね、きっと。 その人こと榎凪は時雨さんを追いかけていたにも関わらず、僕の近くに来るや否や直角に近い角度で無理矢理転身、僕の方に突進してきた。歪な軌道の所為で避けることも叶わず、がっちり捕まってしまった。捕獲されたと言っても良い。後ろから抱きすくめられるような形となる。
「大河っ、何も変なことされてないかっ!?傷つけられてないかっ!?」
時雨さんとは別の起因からくる必死の形相が、僕の左側に張り付いている。いつの間にか頬擦りまで始めやがった。別に良いんだけど。
何かしら返答しようと思った瞬間。
トサッと、一冊の本が落ちてきた。
鍵付きの金縁のされた荘厳は雰囲気をもつ分厚い書籍。
鍵がないことには開けることができない作りになっており、内容を把握することは無理。
背表紙にも何も書いてないし、裏表紙も同様。ただ、表表紙には何かしらの文字が綴られてはいたが、僕の知っている言語ではない。部屋を埋めつくすの蔵書数を誇るのだ。僕の知らない言葉で書かれたものがあっても何の不思議もないのだけれど、無性に気になって、榎凪を僕から引き剥がし手にとって見る。
屈んで本に触れたのと同時に、横にもう一冊本が落下してきた。それなりに僕は驚き、上を見上げ――
「おわっ!?」
――る間もなく、後ろに引かれた。本は咄嗟のことに放してしまって、随分と前方の方に固い音をたてて、床と接触した。あ、本は前方に落ちたわけではなく僕が後ろに下がったのか、とか、角でも床にぶつけて傷が入っていないか、などとどうでも良いことを考えている内に『崩落』は始まった。
ドサッ
一冊落ちる。今まで落ちてこなかったのが不思議だったんだ。当然のように落ちてくる。
ドサドサッ
二冊落ちる。歯車が噛み合ってようやく車輪が回りだすように、時間が緩慢と動き出す。
ドサドサドサドサッ
四冊落ちる。時間を止めていたのは恐らく時雨さん。逃げながらフォローもするなんて何ていい人だろう。
ドサドサドサドサドサドサドサドサッ
八冊落ちる。僕より近くにいた紀伊 大地は大丈夫だろうか?あの人に対しては無駄な心配だろうけど。
十六冊落ちる。本や書籍が。
三十二冊落ちる。指数関数的に。
六十四冊落ちる。滝のように慟々と。
百二十八冊落ちる。カタストロフだ。
二百五十六冊落ちる。一種の自然災害。
五百十二冊落ちる。圧倒的な質量。
千二十四冊落ちる。数えるのを止めた。
この部屋の大半を占めていた本棚が、ドミノ式にあっけなく全て倒れる。
格言じみた風に言う訳じゃないけど、崩壊って儚いね。エントロピーは増大するものだけどさ、いくらなんでもこの場合まで当てはめることはないんじゃないか?いくらなんでも惨すぎる。
当たり前の話だが、この部屋が本の海になった事により随分と大きな音が出だ。いくら巨大な家だからといって、隅々にまで聞こえないはずがない。そこから導き出される答えは簡単なことで、家人総集合するだけ。
僕と榎凪と紀伊 大地は呆然とするのみ。まぁ、紀伊 大地に限っては初めに夏雪さんがやって来る直前に覚醒し、いそいそと片付けに入っていたが。本に近づいていくとき、うっすらと目に涙を浮かべていたのは、かわいそうなので言わないでおこう。パーソナルと随分ずれている気がするし。
でもあえて、一言だけ言っといてやる、紀伊 大地。
……ご愁傷様。
もしかしたら手伝ってあげるかもしれませんが、榎凪に言われるまでは手伝いませんよ、僕は。しかしながら結局、葵と茜が小さな体で労働しているのを見るに見かねて、後々自主的に片付け始めるだけどね。
―●―
このお話が平和な日々の一ページ。
ここまでが平和な日々の僕の日記。
さぁ、終わりの始まりだ。
『×××××』の話。




