第42歩:幻影鏡界4
鏡に対しての疑問点は、大まかに纏めると今のところ二つと言ってよい。細かく分けていけば、それなりの数に上るのだが、そんなものは聞くものじゃない。ある程度、考え、推測し、穴埋めする事だ。聞きすぎるのは、逆に相手にヒントを与えることになる。そんなのアホらしい。馬鹿馬鹿しい。
さて、行こうか。証明をしに。
さて、始めようか。終わりを。
鏡に聞くのはお門違いな気がする。否、本人でさえ分かってないだろう。第三者、かつ深い関係を持っているあの人、あの人ならば分かるはず。きっと本人より事態を理解し、それなのに手を出さない彼の人。智で勝てる気がしない、力で勝てる気がしない、徳で勝てる気がしない。
それでも戦ってやろうじゃないか。どんなことで負けても、最終的に勝ってやる。何せこっちには榎凪がいるんだ。僕が覚悟を決めるだけで、勝負が決まる。楽勝の必要性なんて皆無、圧勝の意義なんで無視。
深呼吸。音もなく息を深く、深く落としていく。――よし。
僕が立っているのはこの家の脳こと、大図書館の前。ここに、紀伊 大地という人間が居る。僕と同じ白銀の髪の持ち主。
ガラリと戸を開く。デジャブだ。前に来たときは……奇しくも鏡と一緒だったな。因果か、縁か、偶然か。何にせよ、どうだっていいんだ、今はな。必要ならば推測するまでの話。
「やぁ」
大地さんは一ヶ月前と何ら変わらない口調で、表情で、体勢で言い放つ。あぁ、確か前は緊張してたんだっけ。あの吸い込まれるような琥珀色の目を見て、事実、精神が吸い込まれていた。
今は違う。
緊張なんて欠片もなく、あるのは冷えきった理性と冷酷さ。むしろ、あちらが緊張しているようにさえ思える。あの清閑な顔に冷や汗なんて似合わないにも程がある。人一倍鋭いが故に僕の覚悟を感じとったのか……。即時否定、覚悟なんて大地さんにとっては紙同然、指先一つ、口先三寸で打ち破ってしまうだろう。冷や汗は別の起因、さしずめ焦りと言ったところだろうか、そこから来ているようだ。
本来ならこんなところに居たくないはずだ。鏡の横についてやりたいのだろう。でも、大地さん。そんな事は許さない。貴方にはちゃんと与えられた『役割』を果たしてもらいます。そのあとにどうしようが、見逃してやるし、干渉する来もない。
さて、証明を始めよう。
これが僕の戦い方だ。総合力で、榎凪への忠誠心で、勝利して見せようじゃないか、紀伊 大地。
――問一。
まずはスタンダードな質問だ。確認と言ってよいほど明らかな事なのだか、こればかりはどう調べも見つからない。明確な証拠に欠ける。『証明問題』においてこれは大きな痛手だ。だからこそ、聞く。
「大地さん、一体鏡は……何の『神』なんですか?」
あんな幼子が此処にいて、
ここは神が輪廻する場所。
十分すぎるまでのヒントじゃないか。ヒントの出しすぎでこっちが怒りたくなる。でも、これは状況からの推測で神と言ったまで。状況が揃えば十分だと思うけど、一々『神』には別々の能力が備わってくると話は別だ。処理・対処の仕方がたった一つの要項に左右されるなんて、不平等の極みだ。平等にする必要なんて無いが。
ほぅ、と全く意外そうじゃ無い顔で、意外そうに嘆息する。時雨さんのように巧くはないが、演技がかった癇に障る行動だ。だが、
癇癪を起こすわけにはいかない。
私憤に流されるわけにはいかない。
努気を含むわけにはいかない。
激情を覚えるわけには行かない。
冷静に、沈着に。
泰然と、自若と。
磊落に、鷹揚に。
従用と、恬然と。
オーケー。問題ない。僕はいつも通り、人の揚げ足を取るようにして、相手を追い詰めて、叩きのめすのだ。或いはそれが七歳の子供であろうが、或いは八十歳の老人であろうが、或いは理由もなく剣を振るう最強の騎士だろうが、或いは贖罪を生まれた瞬間から義務付けられた一族だろうが、或いは人形を用いて孤独を排除した人間だろうが、或いは優しすぎたが故に全てを放棄した愚者だろうが、或いは人にして人の全てを超越可能な魔法使いだろうが、或いは製造かつ生成物である個体だろうが、或いは――自由奔放かつ強欲、憎らしくも愛らしい、世界最高の魔術師たる女性であろうが。
いつも通りにやればいい。
それが、僕のスタンスだ。
紀伊 大地。答える時間をくれてやる。さっさと答えろ。言っておくが容赦なんて、つい先程忘れちまった。残念だったな。
僕は顔を歪める。不適に。
僕は口を曲げる。不敵に。
僕は気が短いんだ。この可愛い顔に反してね。……これは冗談だが。
「君の知性と、直感を誉めるべきか。はたまた、私の迂濶さと、愚鈍さを厭うべきか。はは、こんなことを言っては揚げ足をとられてしまいそうだ。長い喋りは時雨の十八番、か。全くその通り。私は自分のロールを守り、単純明快に『事実』を語ろう」
僕は喋らない。唯の聴衆となり果てよう。無駄に文を長くしたくないしね。
「彼女、鏡の能力が故につけられた二つ名は、いや、忌み名は『逆転の女神』」
僕は喋らない。唯の受信機となり下がろう。説明に曲解を交えたくないしね。
「彼女が出来ること、起こすこと可能な現象は実に簡単で、単純だ。しかしながら、彼女は神達の中でも、純然たる力で敬われている」
僕は喋らない。唯の記憶装置に貶められる。一言たりとも聞き逃したくないしね。
「至上最強・最果の力とまで恐れられた所以の彼女の能力は《反転》」
僕は喋らない。喋りたくないから、喋らない。
「有りとあらゆる事象を感じるがままに、意図するままに《反転》させる。君の存在を有から無、無から有なんて、朝飯前。当然の如く、生死だって同じだ。ま、君にとっては仲間なのだから、関係のない話だ」
僕は――
「くっだらねー」
とだけ言い放ってやった。
「最強?最果?どこがだよ。寧ろ、最弱だ。寧ろ、スタートラインにすら立ってない。あぁ、これもあれか?《反転》とやらの力のせいか?なら尚更、弱い。最弱なんて称号さえも勿体無い。攻略なんて楽だ。ま、そんな事はどうだって良いんだ。もっと訂正しなくちゃならないことがある。一つだけ言っておく、『紀伊 大地』」
もう彼に対する敬いなんて、なくなった。榎凪が口添えでもしない限り、二度と尊敬なんてしてやるものか。
「てめぇを仲間なんて思ってねぇよ、少なくとも今はな。精々、榎凪の知り合い。よくても、榎凪の仲間の仲間だ。覚えとけ」
僕は紀伊 大地と言う人間を睨み付ける。睨み付けたのは良いが、正直言えばこれ以降の対応に困っていた。何せこれだけの大見得を張り、啖呵を切ったのだ。今更、さぁ次の質問です、何て言えやしない。策を練らなかったのが、決定的、致命的なミスか。さてはて、どうしたものか。
まぁ、案としては今から謝って、関係をの回復を図るという手や、このまま踵を返して消え去る方法があるが、どっちもとりたくないね。となると、反応待ちか。後手にまわる見たいでやだね。
ま、このことを聞いて分かったこと、というか推測のついたことが、一つある。一番気になっていたことだ。
僕が倒れた理由。鏡の能力が何らかの原因で、暴発したと考えるのが自然だろう。意識があったこそ倒れた。逆に意識がなければ起き上がったんだろうか。そんな仮定はどうでも良い。ソレにしても、意識にまで作用するとは、なかなか《便利》じゃないか。となると、あのお粥があんなにも熱く感じのは僕だからこそか。なんともまぁ、限定的に作用するなんてやっかいな。あ、あのとき榎凪が離れろと言ったのはそのためか。つーか、榎凪。そう考えると知ってたのかよ。全く人が悪いっというか……。榎凪なら良いんだけどね、それぐらいなら隠されても。
改めて、紀伊 大地を見てみた。彼は深さのある目で僕と視線を交わしている。が、やがてその目は次第に深さを失っていった。それどころか、含み笑いまで始め、結局的に最終的に本当に笑い始めたのだ。これはいくらなんでも酷い反応じゃないか?一応、僕だって真剣に言ってたんだけど。
「ハッハッハ、やっぱり《君》は《君》か!どこまで言っても代わり映えせず、なのに新しいことばかり観させてくれる。流石、秋宮の恋人だ。私なんかでは全然適わない。《君》が《君》であるならそれで良い。君が仲間に思ってなくても、私が一方的に独善的に仲間だと思って、信頼させてもらうよ。君は秋宮のためだけに、私を、『神々の墓守』を利用するがいい」
何というか……。悔しいけど、人徳じゃ紀伊 大地には勝てないらしい。勝てない、か。勝つ必要なんて何処にもないんだけどね。それでも勝ちたいと思ってしまうのはやはり、子供じみたことで、徳がないんだろう。無いものは無いで、欲しいんだ。子供っぽくもね、人間ではない僕が言うのも滑稽だが。
「あと、一つ言っておくなら、秋宮はかなり一途な奴だから、浮気なんてしてやるなよ?」
こんなオチまでつけられたら、それこそ僕の完敗じゃないか。
榎凪のことについて語ったことは許してやろうじゃないか。って待て、ちょっと待て。これじゃ僕が独占欲の強いやつみたいじゃないか。訂正、訂正。むしろ、消去だ。いや、榎凪はその、なんつーか、えっと、端的に言えば好きだけどさ。独占欲がないわけではない。でもそれは、あくまで榎凪の仕事であって……。
彼の一言でここまで惑わされている時点でさらなる負けを喫したことも、考えていることが全て顔に出て百面相していたことも、それを見て紀伊 大地が笑いをこらえるのに必死な表情だったことも、気付くのは随分後の話だった。




