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第37歩:DAYS

 ここに来てまだ一日目だというのに、いろんな道を歩いて、いろんな所へ行き、いろんな人にあって、いろんな話を聞いた。

 その所為かすっかり裸足で歩く冷たい板張りの廊下に慣れてしまった。もっとも今はスニーカーを履き、寒いので黒いオーバーコートを着ている。隣にいつもいるあの人はダッフルコートを羽織って、よほど寒いのか飾り紐とトッグルを全て留めていた。

 今までは家の中で靴を脱ぐことなんてなかったし、考えもしなかった。なんだか少しずつ変わっていくのが楽しいようで、不安だ。

 知らない間に何処かに皆が行ってしまうのではないかと、いつの間にか自分と誰かがすり替わってしまうのではないかと。

 そんなくだらない心配が心の底からふつふつとわいてきて酷く気持ち悪い。吐き気がする。

 特に時雨れさんと道場で話して、シニカルに笑わせたあの時から酷い。

 そんなのは張りぼての不安でいつか消える。そんな不安はいつでもあった。だから今回も、すぐ……消えるはず。

 いや、消えた。

 否、消された。

 目の前にいるあの女性の快活な笑いで、それこそいつも通り。……僕の希望としてはそんな風だったら良かったんだけど、現実は反転するぐらい違うものだ。

 いつも通りなのはいつも通り。ただ単に不安が払拭されたのは榎凪の笑みの所為ではなく、目の前に広がる馬鹿騒ぎの予兆と僕の予感の方が不安より上回っただけ。


「で、何ですか、これは」

「見ての通りお前も何度か乗った事がある乗り物だ」


 乗ったことがあるのは借り物だけどな、と榎凪は調子よく付け足した。

 ほとんどが盗難物ですけどね、と僕の声が重なる。

 僕の目の前にあるのは真っ赤な真っ赤な流線型。タイヤも、ライトも、ハンドルも、エンジンも、ブレーキも、アクセルも、あまり詳しい知識はないけど、僕の知っている限りでは必要なものは一式ちゃんとついている。むしろチューンアップしてあり、従来の物の限界速度を軽く凌駕しそうで怖い。体中ががたがた震えるほど怖い。


「これは僕が『榎凪に乗せたくない/乗せてはいけない乗り物ランキング、堂々の第一位バイク』じゃないですか」

「あぁ、そうだ。『大河を後ろに抱きつかれていちゃいちゃしながら乗りたい乗り物ランキング、ダントツの一位バイク』だ」


 どっちもどっちだけど無駄に細かいランキングだ。意図としては全くの逆だけど。

 二人の目の前には赤いバイクが映ったまま、長い沈黙が流れる。立っているだけで冷や汗、脂汗が滝のように流れる空寒い沈黙。

 これは逃げるべきか、逃げるべきなのか?この地上に二百体以上確認されている神様たちが僕に逃げろとお告げしているのだろう。だったら逃げるのは……今!


「ぶへっ!」


 僕が百八十度回転し、家の中へ逃げようとしたその瞬間に襟首をつかまれ引っ張られた。喉がつまって変な声が出てしまったのはそのため。

 そのまま無言でズルズルと引きずられるようにしてバイクの前までつれてこられた。なんか久しぶりに乱暴な榎凪だ。

 まぁ、逃げるのにしたって冗談だったからいいけど。このバイクに乗っていくのはいささか抵抗が、あるが榎凪にこの町を案内してもらえるならそれでもちい。内容が案内ならの話なんだけど。そうであることを切に願う。

 榎凪はバイクのサドルに乗せてあった工事現場でかぶるような頭に乗せるだけのヘルメットを手渡した。

 先ほどから思ってたんだけど今の榎凪はどこかおかしい。普段ならヘルメットなんてつけない榎凪が僕にヘルメットを渡すなんて普段を知っている僕からしてみればありえないことだ。それに今、榎凪自身はフルフェイスのヘルメットをかぶっている。本当にどうしてしてしまったのだろうか。

 やはりここに古い知人なんかがいて顔を見せたくないんだろう。そんな適当な理由をつけて僕は自分自身を納得させた。


「さ、いくぞ!」

「あ、はい」


 榎凪がバイクのエンジンを入れると、機会独特の低いくぐもった音が辺りに満ちる。

 爆音とまではいかないが音は相当でかい。玄関先でこんな音を鳴らしては日本家屋の作りの関係上、どれほどの大きさは知らないけど屋敷全体に聞こえているはずだ。

 何となく、後ろを振り返った。

 屋根の上にはまだ和湖さんが本を読んでいたのがちらりと見えた。こちらに気づいたのか手を振っているので、振り返す。すると、やっぱり笑顔の仮面をかぶったまま本に目を戻した。

 意外といえば意外な気もするが、和湖さんの隣には大地さんが座っていた。だけどこちらには気づいていない様子。おそらく一度本に熱中すると周りが見えなくなるタイプと見た。かなりの読書家のようだったし。

 屋根伝いに視線を移していくと物干し場では鏡と明さん、麻紀さんが洗濯物を取り込んでいた。鏡ははじめて見た時と同じように黙々と、明さんと麻紀さんはふざけ合いながら楽しそうに洗濯物を抱え込んでいる。

 由愈と時雨さん、夏雪さんと朝熊さんは目に映るところにはいなかったけどこの家の中にいるはず。あ、でも朝熊さんはここに住んでないから家に帰ったんだっけ。

 これがここの日常的な風景なんだろう。回り続けている車輪の一部。

 いつの日か、僕はこんな当たり前の風景の中に溶け込んでいくんだろうか?

 そうなるといい。すごく楽しそうだ。榎凪と一緒にいるときとはまた別の楽しさ。ぜひ味わってみたい。

 そんな思いを心のどこかに忍ばせ、向き直り榎凪に歩み寄る。


「行くのはいいんですけど、一つ聞いてもいいですか?」

「ん、いいぞ。これからどこかに行くのかなんて不粋な質問じゃないならな」


 行き先なんて聞いても仕方ない。榎凪と出会ってから今までの間、未だにまともに答えてくれた事なんて両手の指で数えれるぐらいなんだから。

 僕が聞くのはそう、物語の輪からはずされてそろそろいじけてるんじゃないかと思われる二名の事。


「葵と茜はどうしたんですか?」

「不粋だぞ、それ」


 質問を聞くが早いか、即答で回答拒否された。

 フルフェイスのヘルメットの所為で表情は見れないが、腰に手を当てているのと声色から考えると、頬を膨らませプンプンという形容がぴったり来る表情をしているのは容易に想像できた。年齢不相応だからといって似合わないわけではない。むしろ可愛い。本人の前では絶対言わないけど。


「これからデートするって言うのに他の女の子のこと聞くなんて。罰としてずっと後ろから抱きついてろ」


 表情はやっぱり見えなかったけど絶対に笑っていた。いつも通り快活に、明朗に。不安なんて馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしてくれるであろうその顔で。

 そんな顔をしているのがわかったから僕は仕方なしに、本当に仕方なしにバイクに跨って、不本意ながらも榎凪の後ろにしっかりと抱きついた。


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