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第13歩:HEART TONE

 

「うわっ……」


 僕は思わず嘆息の息を漏らした。

 闇夜に勇壮とそびえる木造邸はいかにも日本古来の武家屋敷、といったところだ。もちろん二階はない。それでも闇夜の薄明かりだけでこれだけのものが見えるならば、日の下にさらせば果たしてどの程度なのかは計り知れない。まさに、圧巻としか言いようがないだろう。

 今からこんなところに入り、何かと込み入った事情を話さなければならぬとなると正直なところ気が重い。榎凪の知り合いだと言うがおそらく今まで聞いてきた内容から察すると――

 どうあってもやはり気が重いな。


   ―●―


 時をさかのぼることほんの数分、僕たちは駅を発った。

駅からまっすぐ延びる、車二台がようやくすれ違えるような道を直進した。

夜闇の中、微妙に張りつめた榎凪と近代的な杖みたいな銃を持った少女の間に流れる緊迫感のせいで全く話が出来なかった。そのため、目的地や町の構造はおろか皆のフルネームさえも分からず終いだ。目的地の『紀伊の家』にさえつけばいろいろ話せるだろうか、という疑念を抱きながらもゆっくりと歩を進めた。

 ところで、

 紀伊という人物はいかなる人なのだろうか?

 これだけの騒がしい面子を束ね、敬愛さえされている。よほど人物だろう。深い人徳と知恵にあふれた人か、あるいはカリスマの固まりのような人か。

 どんな人であれ力は貸してくれなくても、知恵は貸してくれるのだろう。楽観かもしれないが希望が今はほしい。

 そんなことを考えながら現在に至る。

 これからこの巨大武家屋敷に入らなければならない。今まで最小限より少し余裕がある程度の場所に住んできた所為で変な貧乏癖でもついたようだろうか?

 開け放たれたままの門のしきりをまたぐ。何か得体の知れない拒絶感と悪寒が背筋だけでなく、地につけた足からぞっと這いあがってきたがこの際覚悟を決め無視をした。

 だが一歩一歩が重い。地につける度に足を釘で穿たれ、引き返せと鼓膜が勝手に振動する。

 こみ上げる吐き気と頭痛。

 周りを認識できないほどに霞み、歪み、曲がる視界。

 一体なんだというのだ。


 ――辛い


 ――辛い


 ――酷く辛い


 出来ることならこの場に身を投げ楽になりたいがそうもいかない。

 ただ感じるのは

 逃れようの無いほどの恐怖。

 掴んで離さないほどの絶望。


 ――逃げたい


 ――逃げたい


 ――早く逃げたい


 苦しくて、辛くて目を閉じしっかりと結ぶ。

 この感覚は

 榎凪のために初めて人を殺した時に感じた感情。

 生きぬくために人の心臓を初めて掴んだ時に感じた感触。

 それにとても

 とても似ていた。


 ――暑い


 ――寒い


 何も分からない


 光届かぬ闇の世界を手探りで――否、手の感覚等もうない。そんな気分なだけだ。

 全身の感覚を斬られた体に魂だけが浮遊しているような状態で必死に前に進もうとし、必死に後ろに戻ろうとしている。

 二つの意志があるなんて、なぜんだか隔離性同一性障害――俗に言う二重人格にでもなった気分だ。


 ――くつくつ


 ――くつくつ


 ――面白い


 何も無いのに、訳も無いのにいつの間にか魂は笑っていた。

 この状況で笑える自分が今は何より怖い。

 そして――憎い

 このまま誰かをコロ――――――

 思考は緊急停止した。

 唐突に生まれた場違いな引き戸を開ける音。

 その音で一気に現実に逃避する。


「―――――――ァッ!!!」


 長いこと忘れていた呼吸を口で、胸で、肩で、腹で開始する。


「ァ―――、ァ―――――」


 今あるのは精が抜かれたようにのしかかる疲労だけ。危惧すべきようなことは何もない。


「――――ゥ、おい、カゥ!!!」


 視界の隅で玉のような汗を浮かべている榎凪の姿を捕らえた。

 何かすごく心配してるみたいだ。らしくない。そんな顔しないでいつもみたい明るく笑えよ。


「……あれ?どうしたんだ、榎凪?」

「どうしたんだじゃない!おまえがどうしたんだ!?いきなり止まったかと思えば笑いだして!?」


 榎凪は声を荒げて僕の方をゆする。それを目で確認しなければわからない。触覚はまだ回復してないようだ。

 あの笑いは精神だけの話ではなかったみたい。信じてなかったが心身一体というのはあながち間違いではないようだ。

 そんな風に客観的に事実が捕らえられるなんてわりかし落ち着いている証拠だ。もしくは認識能力の欠落。


「どうやら―――いや、言うべきではないか」


 乾いた土を踏む音と共に静かな歩み寄ってくる。

 熱を帯びて霞む目でぼんやりとその人を捕らえた。

 勘なんて曖昧なものじゃない、誰に説明されるでもなく確信めいた事実として僕はその人が『紀伊』だと分かった。いや、分かったというよりも刷り込まれたといった感じだ。

 全てを押さえつけるような絶対性は皆無。

 あるのは信用性と事実性。この人は世界の全てを知っているかのような錯覚さえ抱かせる存在。

 そして僕はこの人に強いデジャヴを感じた。あったことがないはずなのに十年来の友にあった感覚。

 ふと思いいたった。

 何かに、何かに似ていると思ったら自分に似ている気がする。

 それはたぶんあの頭から真っ直ぐ延びる癖の欠片もない白い髪のせいだ。それ以外は似ても似つかない、浮き世離れした美麗さを形にしたかのような男性。

 その眼孔は千里先を見通しているように深く透き通った琥珀色。

 その肌は向こう側が透けるほど白く淀みがない。

 その手はものを暖かに包むように広く、全てを隠すように冷たげ。

 その人はこの世界そのものの様に深く、浅く、広く、狭く、高く、低かった。


「やぁ、紀伊。久しぶりにしては無骨な挨拶じゃないか」

「すまないな。これから寝るところだったんでな」


 嘲笑するような口調だがそんなことは感じさせない。それほど代償無しに信じられる。


「おいおい、ずいぶん寝るのが早くなったんだな」

「騒ぎ立てる馬鹿がいなくなった上に、出来のいい友達が手伝ってくれているからな」


 少し想像としていたのとは違うがやはりカリスマ性の高そうな人間だ。


「二人とも相変わらずだねぇ」


 途中で明が声を挟んで会話が止まる。いつの間に起きたんだろうか?


「朝熊君はあきれて帰っちゃったよ」


 継ぎ足すように風間が言う。


「どうせ、あいつがいても話が騒がしくなるだけだろうに。さっさと、おまえ等も帰れ」


 つっぱねる榎凪。

 それはお前だろう、とつっこむ紀伊。

 それにあわせたように女性二人は不適に笑う。

 薄い意識の中でその光景を不気味に思った。


「な、なんだ……?突然気色悪い」


 榎凪も共感して気持ち悪がり後ずさった。こんな榎凪は初めてだ。


「実をいうとね秋宮さん!」

「私たちはなんと!」


 大げさに声と手を上げ、文字通り目が光る。

 さらに榎凪は後退。何というか僕といる時とは別な感じで生き生きしている。


「個々の家にいては効率が悪いから時雨の提案で我が家に勝以外の全員が住むことになったんだ」

「っ!?」


 あくまで静かに答えた紀伊に何か悪いものでも見たかのように顔をゆがめる榎凪。

 いつも思うが表情豊かだ。


「それも含み色々と説明されることと質問することがある。中に上がれ」


 振り返り先に中に入ろうとする紀伊。

 顔が格好よくてかなり様になっている。


「そうだね。さすがに長旅で疲れた」


 さしてつかれてもない癖に『疲れてます』みたいなジェスチャーをする榎凪。

 僕も体は疲れてはいないがあんなよく解らないことがあったためか精神は存外疲れているようだ。眠い。

 茜と葵も疲れているはずだと思い、横目でちらりと盗み見ると、


「スゥ――――」

「スゥ――――」


 否、疲れているはずなのではなく器用に立ったまま寝れる程、しっかり、どっぷり、ずっぷり疲れているようだ。

 そっと手を伸ばして茜と葵の荷物をとり、その荷物の上に茜と葵をのせる。


 完成!荷物だるま!


 バックに、シャキーン!なんて効果音がつきそうだ。

 右に赤髪ゴシックロリータ・茜、左に蒼髪着物・葵。

 この上なくバランスが悪い。


「大丈夫?」


 明が首を傾げながら可愛く聞いてくる。


「聞くぐらいなら手伝えよ」


 僕は率直に助けを求めた。


「か弱い乙女になんてことを……」


 口に手を当て演技っぽい動作で顔を背ける明。


「すいませんごめんなさい大変だから手伝ってください」


 感情無く字面だけで懇願してみた。

 可愛げがないわね、なんて明と風間はぼやいてから一人二つずつ計六つ(榎凪はあくまで何も持たない)持ってくれた。紀伊も戻ってきて荷物を持ってくれた所をみるとなかなか良い人のようだ。



 ドクン!



 唐突に心臓がひときわ強く脈打った途端に僕の意識はぷっつりとテレビのチャンネルを押したように切れた。



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