第10歩:TOGETHER WITH MALLOW
低く低く大海に船が鳴く。
「イヤァー!海風は気持ちいいなぁ」
「快適快適ぃ!」
太平洋上に白い線を引きながら貨物船は西へ進路とる。
その甲板の上では榎凪と茜がきゃいきゃい騒ぐ。
十日前の傷はすっかり良くなり、日常生活に支障はない。治癒力の高さを痛感した。しかしまだ力を入れると芯に響くような痛みがはしる。
「二人とも元気ですね」
葵の静かな声が微かに耳に届いた。
「ん?あぁ、榎凪はいつも通りだし茜はあれが本質じゃないのか?」
ここ最近はいつもあの調子で騒いでいる。少し暗めだった僕のために明るくしているのだと思うと強く叱れなかった。後でわかったが榎凪は茜と気があって遊んでたらしい。
「そうですね」
僕の横に凛と立っている葵は僕によく話しかけてくる。
でも榎凪や茜のように決して騒がずいつも冷静に事を傍観している。僕が今まであったことがないタイプの女性だった。榎凪よりもずっと精神的に大人な部分があり僕も落ち着ける。
でも一つだけ困った事と言えば、
「ねぇ、御義兄様」
「だから、それ止めてくれない?」
僕を兄と呼ぶことだ。
「無理です。
名前の次に深く脳内に刻まれていますから」
「榎凪も厄介なことをしてくれたな」
そっと気づかれないようにため息をついたが良かったことなのかもしれない。
葵と茜は家族だと思えるし、家族が増えるのはいいことだ。世界を渡るにおいて二人の年なら妹を語るのが丁度良いところだろう。
「でも、何で『兄』ではなく『義兄』なんだ?」
「『その方が萌えるから』だそうです」
長く重い沈黙。
先程よりも深いため息がお互いの口から溢れ出す。
「本調子ではないのですから座られてはどうですか?」
こんな細かい気遣いは葵ぐらいだ。本当に嬉しい。
ありがたくその気遣いを頂戴した。
「正直座りたかったんだ。ありがと」
「いえ」
甲板の端にあるベンチに並んで座った。とは言っても僕が座った後に立ったまま話そうとしたのを無理矢理座らせたのだが。
「兄と呼ぶのを止めるのは榎凪のせいで無理なんだろうけど敬語は止めなよ。それじゃないと変だろ?」
兄弟で敬語は変だ。辻褄があわない。
「変……なのですか?」
「あぁ、変」
それに僕は敬語が嫌いだ。壁を作ったり作られたりしているようであまり気分のいいものではない。
「だからさ僕の前だけでも良いから敬語は止めてくれない?」
強要はしない。ある程度僕の自己中心的な意見も入っているし。
「わかり――ました」
「違う」
臨機応変は苦手なようだ。それが少しだけおもしろくて小さく笑ってしまった。
「―――はい」
「それも違う」
相当だめなようだ。
僕の言葉に少し困ったような眉を寄せ顔を戻すと少し顔を赤らめて、
「…………うん」
ぎこちなく小さく声を発しながら笑顔で答えてくれた。榎凪とは違った笑みの綺麗さがある。
「じゃあ少し船内を回ってみよっか」
「は――いえ、うん」
直すのは少し大変そうだ。やはり考えを押しつけている僕は傲慢なのだろうか?
「どこか行きたいところはある?」
僕の問いかけに葵は申し訳なさげに答える。
「船についての知識はあまり……」
よくよく考えたら生後十日なんだよな。生きている実感さえあるかわからないのに無茶だというものか。
グゥ〜
ん?さっきのは聞き間違いだろうか?
あれは紛う事なき、
隣には顔を真っ赤にして葵が立っている。やはり――なのか?
結局、葵の腹の音が決め手となり足をレストランへと向かわせたのだった。
―●―
船内は単調な廊下が複雑に入り組んでいる。
まぁ、貨物船だから客船のようにきらびやかさは必要ないだろう。
故に高級レストランなどあるはずもなく食券と引き替えに食事を渡すような安っぽい食堂だった。
葵はこんなタイプ――と言うより赤の他人が作る料理を食べたことがない。僕が動けない今、榎凪が作ってくれた。僕の料理へと変わったときに落胆しなければよいが。
目の前の事態に戸惑いが隠せないようだ。
「あの、えっと、その」
なんてずっと連呼しながらきょろきょろ辺りを見回している。
それに周りは屈強な男たちばかりだ。外見が子供である僕たちが中にいれば奇異の目は浴びるし、尋常ではなく目立つ。
それに葵はアジアのごく一部でしか着られていない『着物』を着ている。榎凪が同類のものを時々着ていたから慣れていれば慣れている僕とは違い、母国の人以外では偏屈なことこの上ないだろう。最近では母国の人も珍しがるそうだ。
最終的には僕の後ろでがっちり服の裾をつかんで隠れ歩いている。
「大丈夫?」
「……大丈夫です」
自信なさげに答えられた言葉に苦笑しながら自販機の前に歩いていく。服がちぎれんばかりに強く握られて歩き辛くもあったが引きはがす理由もやる気もない。離れろと言えばすぐにでも離れるだろうがその場から動けなくなりそうだ。
初めて見たときからのギャッはとんでもなく儚げで今にも消え入りそうだ。
自販機の前までやっとの思いでたどり着きズボンの右ポケットに手を突っ込んで財布を引っ張りだした。
榎凪だと何かと危ないような気がするので金銭は僕が管理をしている。榎凪に持たせると一日で底をつきそうな気がしてならない。
「どれにする?」
「……食べたことがないからわからないです」
そりゃそーか。
機械的、辞書的には料理を知っているが正確な味までは知らないのだろう。
ということで適当に二つボタンを押す。
古めかしい機械音がして食券とお釣りがでてきた。小銭を鷲掴みにし、財布の中に乱雑に放り込んだ。
そのまま横にスライドしてあるき、食券と料理を交換してくれるカウンターの前に立った。
にこやかなカウンターにいる中年女性は必要以上に話し込まれ無駄な時間を食ってしったが急いでいるわけでもないし葵の言い経験になる。
偉くにやけていたが何なのだろう?こんな貨物船だし子供なのが珍しいのだろうか?
トレーを持ち真ん中あたりの席につく。右には僕のカレー、左には葵のうどんが乗っている。榎凪に作り方を教わって作ったことがあるがうどんには癖があまりないから大丈夫だろう。
榎凪のことだから箸の使い方ぐらい分かるように作っているだろう。僕が基本的に箸を使う食事をよく作るから。
これまでの十日間は僕のためにスプーンにしてもらっていた。
「いただきます」
「いただきます」
僕の食べているカレーは値段の割においしい。たぶんうどんもおいしい。
うどんを選んだのは正解のようだ。箸は和服に似合う。
「おいしい?」
確認程度に微笑みながら聞いてみた。
「……おいしい」
すると可愛らしく笑いかけてくれた。
そして鸚鵡返しに
「……おい……しい…………?」
ぎこちなく聞き返してきた。聞いて以来顔を赤らめてうつむいて黙々と食べている。
正直にかわいいと思えたから自然に笑みがこぼれてきた。
「うん、おいしいよ」
そのとき周りの屈強な男たちがにやけていることを僕は知る由もなかった。
―●―
食事を食べてから一休みし、甲板へと戻る為にゆっくりと歩を進めた。
葵との間に流れる落ち着いた時間は好きだし、名残惜しい気がないと言えば嘘になる。しかしそろそろ榎凪たちが心配を始める頃だ。
でも二人の歩みは自然と遅くなる。甲板が近くになるのと比例して特に葵の足がゆっくりとなっていくのがわかった。このままだと甲板に着く頃には目的地に着いてしまいそうだ。
それはそれで良いのかもしれない。でもそれでは榎凪たちに迷惑をかけることになる。それはなるべく避けたい。
「……お義兄ちゃん?」
気づくと僕は止まっていた。深く考え過ぎてたようだ。
「疲れた?」
気遣いあふれる思慮を巡らせれるのは葵以外に僕は出会ったことはない。もっとも深く関わったことがあるのは榎凪だけなのだが。
「いいや、ちょっと考え事をしていただけ」
「よかった」
何かと詮索してくる榎凪とは大違いだ。
榎凪は榎凪のままでいいがこういう落ち着いた時の流れは必要だとしみじみ思う。
軽い衝撃が僕の体にかかる。いつもならどうという事はないぐらいの軽い衝撃。
だがいきなりの事に驚いて僕はとびのいた。しかし方向が悪かった。
たまたま手すりが弱っていた所為か加えた力が強かったのかは知らないが手すりが、キーンと高い音を立てて折れてしまった。
って冷静に分析している場合ではない。
「デワヮヮァァア!」
重力に逆らわずに真っ逆様。速度を上げて落ちていく。
でも安心。僕には『鴻の翼』がある。先の戦いの時に少し痛めたが使い物にならないわけでもない。幸い船から海面までは距離があるし、濡れずにすみそうだ。
無制御に広げた翼の面積のため止まるのに時間はさしてかからない。
予想通り止まったのは止まったが今度は上から落ちてきた陰に、ギョッとした。まっすぐ葵が降下してきたのだ。
すぐに姿勢制御を行い全身を使って止めたが、勢いを殺すため五、六m下へ。
「どうした!?」
理解ができずものすごく焦った。焦るなと言う方が無理だ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
だがひたすら目を潤ませて謝る葵。どうにもならないと判断した僕は頭をなでてやり、とりあえず落ち着かせた。
「いいんだよ。それより何で突然」
おそらくさっきの衝撃は葵の突撃だというのは予想がついた。が、タックルは何故なのか理由が気になる。
落ち着きをお互いに取り戻し、少しだけ困っていた僕に葵は小さく話し始めた。でも胸の中にいたのでよく聞こえる。
「榎凪さんが」
「榎凪さんが?」
言葉を切ったので相づちを入れる。
葵は全く動かない。
「三つのことを言いました」
三つ?なんなのだろうか?くだらないこととは想像はつく。
葵は生真面目な分、真に受けたようだ。
「『一つ、あいつには逆らうな。絶対服従した上で萌えさせろ。』
『一つ、二人きりの時には手をつなぐ、腕を絡ませる、抱きつくのいずれかをやれ。』
『一つ、それ以上に事を進展させたら殺す。』
……だ、そうです」
くだらないが、たぶん最後の『殺す』は本気な気がするよ。
そこのところも含めたださなければ。
「え〜と、それには従わなくていいよ」
「そう、なの?」
やっぱりか。
榎凪に対しこんな馬鹿馬鹿しいこときいてちゃ身が持たない。
「うん」
何かホッとしたような顔だ。真面目な性格からか、結構なプレッシャーだったのだろう。
「じゃあ、上に戻ろうか」
「うん」
今までの中で一番いい笑顔で答えてくれた。
一羽ばたきでもと居た場所まで戻れ、葵をおろした後、『鴻の翼』をしまって着地した。
「これからもよろしくね、葵」
右手を差し出した。
「うん、お義兄ちゃん!」
右手で握り返してくれた。
この『お義兄ちゃん』は止めてほしいが、これ以上葵に何かを言うのは良くないだろう。
お互い手を取りさっきより若干速いスピードで歩き始めた。
「お〜い!葵ぃ〜!カゥ〜!」
一番聞き慣れた声が僕を呼ぶ。
初めて知ったが今日の名前はカゥのようだ。呼びづらい。
「義兄貴ぃー!葵ぃー!」
続いて最近よく聞く明るい声。
「どうしたんですか?」
騒ぎ立てる二人をなだめるように落ち着いたそぶりで振る舞う。葵との時間の余韻もあるが。
「落ち着いてるな、随分」
「落ち着いてるな、随分」
「まねするな」
「まねすんな」
子供みたいな争いに頭を抱える。二人ともマイペースだよな。
「ついたんだよ、ついに」
目的地に着いたからこんなにはしゃいでいるのか。この二人ならば納得。
「結局目的地はどこなんですか?」
船に乗る前に確認したのだが目隠しして乗船させられたので全く知らない。これじゃ拉致だ。
「教えてほしいぃ?」
「まぁ、一応」
「チュー一回で教えてやろう」
眼を閉じ口をとがらせて顔を差し出す榎凪。改めて思ったがとても綺麗だ。
「謹んで遠慮させていただきます」
どうせ上陸したら分かることを無理をしてまで知る必要はない。
「冗談だって!」
あからさまに本気の目立ったのは気のせいだろうか?
そんなことは遙か銀河の果てに追いやり服の下からマイクを取り出し、番組司会者のごとく、
「さぁ、発表です!目的地は――!」
どこからともなく取り出したドラムを茜が叩いている。
無駄なところに演出がこっているなぁ、と素朴に関心。
真横からシンバルが爆音を響かせた。いきなりのことにびっくりして、ひっくり返るところだった。
葵も変なとこでのりがいい。
榎凪はもったいぶっていた語を大々的に口で紡ぐ。
「日本だ!」
その言葉に開いた口が塞がらなかった。
サブタイトル説明
"MALLOW"とは英語で『葵』を意味します。
つまり、"TOGETHER WITH MALLOW"は『葵といっしょ』と言うわけです




