雨が降ってないのに傘を借りろと言う人
飯尾さんが退場してすぐ、宮坂銀行のお偉いさん方がスペックスのオフィスへと謝罪に来られた。
「この度は大変失礼致しまして、何とお詫びすれば良いか……。
行員の教育が行き届いておらず、誠に申し訳ございません」
頭を下げておられるのは先ほど賢一さんが電話を掛けたお相手である持田営業統括本部長さんだ。
その少し後ろに本店次長さんと第二営業部第三課の課長さんが同じく頭を下げておられる。当の本人である飯尾さんの姿はない。
本店の次長と持田さんではどちらが偉いのだろうかと考えていると、賢一さんが声を上げて笑い出した。
「はっはっはっ! 取引先でちょっと失礼があったからって責任者がこんなに出張ってくるもんなのか?」
ソファーに座ったまま腕も脚も組んだ状態で高笑いしている賢一さん。権力者怖いです。
「本人に確認したところ、ご令嬢の瑠璃様と同級生だとの事。それで懐かしさの余り馴れ馴れしくしてしまったと申しておりまして……」
ふんっ、と鼻を鳴らす瑠璃。こらこら、ご令嬢でしょうが。
「役職持ちがいつまでも立ってるのはどうなんだ、早く掛けたまえ」
賢一さんも辛辣……。
失礼致します、とおずおずと俺達の向かい側のソファーへと座るお三人方。
事前に必要ないと賢一さんが事務のお姉さんに伝えておられた為、お茶は用意されない。こういうのも駆け引きの1つになるのだろうか。
「で? わざわざお偉いさんがこうして来られた訳だが、謝罪ならもう不要だ。
君達も娘に決算書をくれと言いに来たのかね?」
3人揃って不思議そうな顔を浮かべておられる。あぁ、詳しく話してないんだな、飯尾さんは。
「申し訳ございませんが、決算書とは……?」
「部下の失礼な対応の詫びに来たのに、どんな失礼な事をしたのか把握しないまま来るのはどうかと思うがな。
まぁいい、飯尾とか言う奴がな、金貸してやるから決算書を寄越せと言ったんだよ。もちろん銀行が融資をする際に参考資料として決算書が必要なのは理解している。
だがな、こっちは借りたいと一言も言っていないし、アポすらない。なおかつ、うちの担当者は別にいるんだ。
どう考えてもおかしいよな?」
向かい側の3人が難しい顔をしている。詳しい経緯を確認しないままとりあえず謝りに来たのがありありと伝わって来る。
もちろん飯尾さんが正直に話したかどうかも分かったもんではないが、それを含めて上司達の監督責任と言えるのではないだろうか。
「何と申し上げれば良いか……。
おい、至急飯田に連絡して詳細を確認しろ!」
次長さん、名前間違えてますよ……。
「その必要はない。この話はもういいだろう、後はそっちで何とかしてくれ」
さすがの賢一さんも呆れ顔。はぁ、すごく居心地が悪いです。
「あの、賢一さん。僕はもう席を外してもいいですか?」
これ以上ここにいる必要ないだろ。今日は基夫さんとの最終合意のみの予定だけだったからプレイヤーとしてはお休みだけど、さすがに疲れて来た。
「お前がいなくてどうするんだ、役員だろうが」
一斉にぎょっとして目を剥く3人。あ、そうか、それも伝わってないんだもんな。
「これは重ね重ね失礼致しまして!!」
3人と名刺交換をする。あ~、面倒だ。でもこれが社会人って奴か、名刺ホルダー用意しないと。
俺の自己紹介で空気が変わり、事業展開の話になった。これも賢一さんの事前説明があったのだが、ただ謝罪に来るだけでなく必ず融資の話になるだろうと仰っていた。
恐らくお詫びの意味も込めてこちらに有利な提案をするだろうとの事だったけれど、決してその提案を受け入れる必要はないとも仰っていた。
資金が必要かどうかは牡丹に判断を仰がなければならないし、例え牡丹がいたとしてもすぐに応じるべき話でもないので、瑠璃と俺は聞くだけ聞こうと打ち合わせしていた。
「そうですか、それは大規模なイベントとなりそうですね。それなりの規模のイベント会場に、迷路ですか?
構造物を一から建てるとなると、結構な資金の準備が必要でしょうな」
課長さんがそう言って身体を起こして腕を組む。具体的な構想はまだ出来ていないからもちろん企画書もない状態だけれど、課長さんはどう仕掛けて来るだろうか。
「この度のこちらの不手際もございますから、精一杯以上の事をさせて頂きたいと思います。
具体的にはイベントの企画書を拝見してみないと申し上げにくいのですが、このビルかもしくはそれに準ずるモノを担保に頂ければ、かなりの低金利でご融資させて頂けるかと思います」
ん~? ん~、あそう。へぇ~。
「念の為に5年間の返済期間を設けて、1ヶ月ごとに返済して頂く形であれば審査がスムーズかと思います」
はぁ? はぁ、へぇ~、ふ~ん。
俺の表情を窺っておられたのだろう、賢一さんに肘で小突かれた。賢一さんの顔を見ると、またも顎をしゃくっての指示が出される。
いやいや、相手は正面にいるんですから、賢一さんがそんな事したらめっちゃ身構えるでしょう。
あ、ほら、ハンカチで汗を拭いたはりますやん。
「あ~、融資の話ですか。別の銀行を当たりますので結構です」
ほら、このセリフって俺が言うセリフじゃないと思うんだ。まぁでも宮坂家の2人が言うよりも俺みたいな若造が言う方がまだダメージないかも知れないけれども。
表情を険しくさせ、腕を組んだまま課長が口を開く。
「……、理由をお聞かせ願えますでしょうか。もしかして、キャッシュで運営資金が賄える、とか?」
「いえいえ、さすがにそこまでのキャッシュは現状ではないです。
しかし、御行に定期預金がかなり積んでありますので、そちらを解約すればある程度は用意出来るかと思います。足りない分はどこかから調達する事にします」
宮坂銀行にスペックスの定期預金がある。これは決算書や企画書を見るまでもなくこの3人は把握しているはずだ。
それこそこれから謝罪に行こうという客先の情報で真っ先に確認するんじゃないだろうか。いや、あくまで予想だけど。
さっきの課長の提案、融資する際にはこのビルを担保にもらうと言っていた。なおかつ、(イベントが失敗し、大赤字を出しても大丈夫なように)念の為5年間の返済期間を設けましょう、とも。
もちろん相手は銀行だ。例え宮坂家の人間であっても、型に嵌めたような審査をするのだろうと思う。
でも、それでは精一杯以上の事をすると言った課長の発言は嘘になるのではないだろうか。
それって本当に誠意が含まれているのだろうか。偉そうに腕を組んで、謝罪も何もないと思うんだが。
銀行サイド:部下が失礼をしたお詫びに精一杯の事をしますよ。あ、担保下さいね。失敗するかも知れないから5年の返済期間を設けましょうね。返済期間が長い方がうちも金利で儲かりますしね。
スペックスサイド(俺):お前んとこからは借りん。定期解約して金引き出して今後付き合いは一切せん。余所でええ銀行探しますわはいさいなら。何やったらぶぶ漬け食べて行かはりますか?
銀行サイドは、定期預金を預かったまま、なおかつビルを担保に入れた状態なら金を貸す、と言った訳だ。銀行に預けてある自分の金を、金利を払ってまで借りるというような形。
しかし、これだけならまだ一般的に広くどの企業でも起こっているジレンマである。
課長はさらにビルを担保として差し出せと言って来た。いや、これも割と一般的に、会社家屋とか土地とか、もっと言うと社長の個人資産をも担保にして経営資金をやりくりしている会社なんていくらでもある、らしい。
が、スペックスは全くと言っていいほど資金に困っていない。大きなイベントをやるから資金が必要でしょう、お金を貸しますよ。これは銀行として当たり前の事だと思うが、そこに先ほど言った精一杯以上の事をする、と言った誠意は入っているのかと。
腕を組んだその態度で、謝罪の為にここに来たんだなと思えるだろうかと。
そして何よりも……。
次長が慌てて課長に小声で何か言っている。その隣で持田さんは目を閉じておられる。
賢一さんはその3人の様子を眺めておられ、瑠璃は俺の顔をじっと見つめている。瑠璃、俺が行き過ぎていると思ったら止めてくれよ……?
「桐生様、我々銀行と致しましては、企画書や決算書を見ない限りはご融資の判断が出来かねます。そしてそれは他行にしても同じ事だと思います。
ここはひとつ、けっさ……」
「課長さん、勘違いしておられますよね? いつ、私達が、お金を、貸してほしいと、言いました?」
俺達は飯尾さん、そしてこの3人にも、一度もお金を貸して欲しいと言っていない。にも関わらず、飯尾と、そして飯尾の直属の課の長も、金を貸す前提で話をしている。
俺達が借りたいと思っているかどうかなんて彼らにとっては関係ないのだろう。スペックスのような融資を受けなくても何の問題もないような企業にこそ、金を貸したいのだ。確実に回収が出来るのだから。
課長さんは俺に言葉を遮られた事、そしてツッコまれた事で気を悪くされている様子。顔が真っ赤だ。
飯尾さんが悪いのももちろんあるが、根本的にはこの課長の教育方針が間違っているのではないだろうか。
「もういい、これ以上お時間を頂戴するのは申し訳ない。お暇させて頂こう。
会長、いえ、宮坂監査役。そして宮坂社長、桐生取締役、この度は重ね重ね失礼を致しまして、大変申し訳ございません。お詫びはまた、改めてさせて頂きたく思います。
おい、早く立ちなさい!」
持田さんが恐縮しながらも席を立ち上がり、そして2人を連れ帰ろうと急かしておられる。次長さんは慌てて帰り支度をするが、課長さんは黙って下を向いたままだ。
ばっと顔を上げたかと思うと、俺を睨みながら質問を浴びせる。
「銀行に金を借りずに、こんな訳の分からないイベントが開催出来ると思っているのか!?」
はぁ……、こいつも飯尾と一緒やん。アカン、めっちゃイライラして来たわ……。
「あのね、課長さん。お金なんて借りなくても出してくれるところは一杯あるんですよ。
何もスペックスだけの単独開催する必要はないんですから。スポンサーを募れば共同開催してくれる企業さんが出て来ると思いますよ。
宮坂製薬さんにはCMでお世話になっていますし、お話をすれば資金提供をして頂けるかも知れません」
「はぁ? CMって……、あ! ポカル!? エミルちゃんと抱き合ってる男!?
何か気に食わないと思ってたらお前エミルちゃんの相手役か!! ふざけんなチクショー! お前みたいな奴にエミルちゃんを抱き締める資格は……」
興奮した課長さんが口から唾を飛ばしながら俺に詰め寄って来た所を、次長さんが羽交い絞めにして止めてくれた。
「どうも、結城エミルの幼馴染です。一緒にお風呂に入った事もあります」
「ぎゃー! ぎゃー!! うわぁー!!!」
それも結構最近の話ですけども。
発狂した課長を持田さんと次長が両脇を抱えて連れ出して行った。この後支店長とか頭取とか連れて来られても困るので、賢一さんにこれ以上の訪問はお断りする旨連絡を入れてもらう。
はぁ、話の流れとはいえ銀行に喧嘩を売ってしまった。他行でも貸してくれるかも知れないが、瑠璃の会社なのに宮坂銀行が噛んでいないってのも外聞が悪い気がするし。
これで広くスポンサーを集める為に芸能活動に多少は力を入れなければならなくなってしまった訳だけれど、どうしよう……。
まずは花蓮さんに連絡か? はぁ、どうしてこうなった……。
作者が銀行員の方に対して特別な感情を抱いている訳ではない事を、この場でお断りさせて頂きます。(大事な事なので2度言いました)
あくまで物語ですので、デフォルメして脚色してコケティッシュにしている事を改めて強調させて頂きます。




