36 姉
「で? どこまで覚えているの?」
「多分……必要な事は……」
「そう。で、アリサはどうしたい?」
「分からない……けど、まずは彼に謝るべきだと思う。」
「それはそうね。
でも何について謝るのかしら?」
苦い顔をして考え込むアリサ。
その雰囲気を察して、視線を生姜の蜂蜜漬けのお湯割りに向け、ゆっくりと口に運んで少しだけ傾けるテオ。
「……一方的に考えを押し付けた事。と……」
「と?」
顔を少し伏したまま目だけテオに向けるアリサ。
「あまり意地悪しないで。姉さん。」
「ふふっ。ごめんね。」
テオは少しだけ笑い、背もたれに寄り掛かる。
「ねぇ? 率直に聞くけどアリサ。
彼の事をどう思っているの? アリサのあんな姿は初めて見たし……態度だけ見ていれば嫌いに思える。だけれど、ファーストキスだって言うじゃない。」
『キス』の単語が出た途端に顔を覆い、机に肘をつくアリサ。
「もう勘弁して……本当に反省してるから。」
「違うのよ。からかっているんじゃないの。真剣に考える必要がある重要な事だから聞いているのよアリサ。」
「私のファーストキスが酔った勢いで脅迫絡みな物であることが、どう重要だっていうのよ!」
隠していた顔を晒し肘をつけたまま手を何度も振る。
だけれども羞恥からかテオの目を見る事が出来ないでいる。
「キスがどうのこうのじゃないの。あなたの気持ち。
彼に対して貴方がどう思っているのかが大事なの。」
「彼? 彼はスゴイ人よ。
男なのに私以上に魔法が使えるし、それに解体や運搬能力も想像外。索敵だって私達以上なのはもう体験済み。体術だってそう。私が本気で挑んでも傷一つ負わせられないに違いないわ。
ハンターの腕として考えればこの街で一番である事は疑いようもない。いいえ。この国においても一番でしょうよ。」
「そうね。アリサの言う通り。
あんな突出した能力見たことないわ。彼の力が露見すればすぐに国が動くでしょうね。」
「それも当然よ。
それになんなの? どうしてあんな固っ苦しくて面倒な書き方をしてある文字まで読めるの?
森で暮らしていたはずなのに、おかしいでしょう!」
「驚いたわよね。そして本当に謎。
……これまで街に入ったことはなかったはずなのに、『街』を『街』として受け止めているように感じたわ。驚きながらもどこか懐かしさを覚えているようにも思えたもの。」
だんだんと熱を帯びてきたアリサの言葉に、テオは全てを肯定して相槌を打つ。
「ただ私が聞きたいのは、その私にもわかる客観的な彼の人物像ではなく、アリサが見て感じた人物像を知りたいの。『貴方』が『彼』をどう思ったのか。」
優しいながらもしっかりと射抜くような目を向けるテオに、顔を逸らすアリサ。
テオはまた表情を戻し、微笑む。
「じゃあ、まずは私が見た彼の印象を話しましょうか。
そうね……私が思ったのは『子供みたい』かな。10歳にもなっていない子供。それも臆病な……ね。
いるでしょう? 外の何もかもが怖く見えてしまっていて、そのせいで外に出れないような子供。」
「それは納得だわ。
じゃないと……ああも小鹿のような動きにはならないわよね。」
無理に言葉を発したようなアリサにテオは笑顔を向ける。
「そうそう。だからつい手を貸したくなっちゃうのよね。
冷静に考えれば、私よりもずっと有能な人間なんだから助けなんていらないのにね。」
テオがそう言葉を放つと、アリサは強い意志をもったように首を横に振って口を開いた。
「私は彼が姉さんよりも有能な人間だとは思わないわ。」
目線と共に強く言い切る。
「あら? それはどうして?
彼の有能ぶりはアリサも言っていたじゃない。国一番だろうって。」
「それはそう。事実だと思うから彼の力は信頼できるし信用していい。
でも『人間』としての彼は信用も信頼も出来ない。」
断言したアリサに意外そうな目を向けるテオ。
「どうして……そう思ったの?」
「だって……そうね。……力を持つ人間は自信を持っているものでしょう?
その力を得る為にした努力を信じ、努力した自分を信じている。だからこそ自然と自信を持てるはず。
姉さんだってそうでしょう? これまでの自分があるから今の自分がある。違う?」
「……そうね。」
「私だってそうよ。
私が何年剣を振っているかわかる? 考えて、工夫して、努力して。鍛えて! その時間が無駄じゃないと信じているから私は自信を持って剣を使うの! そして『私には剣がある』と胸を張れる。」
「……」
「でも、彼にはそれが無いのよ……分かる?
私が自信を持っていた剣で敵わない相手を、ただの一蹴りで屠る人なのよ?
何をどうしたらそこまで鍛え上げられるの? そして、なぜそこまでの力を得ているのに自分を信じられないの?」
アリサはそこまで言って目を閉じて天を仰いだ。
少しの間の後、首を振りながら下を向く。
「今……言っててようやく分かったわ。
私は彼が『怖い』のね。」
「……怖い?」
再びテーブルに肘をつき、重い頭をその手にゆっくりと乗せるアリサ。
「えぇ……彼は気づいてないか……知らない。自分の力がどういうものかを。
それを知って、理解した時に……どう動くのか分からない。見えない。
……彼が隠す臆病さの中に眠るのが何なのかが分からなくて怖かったのよ……」
「だから……迫ったの?」
「きっとそうね……後から何を求められるかも分からない……そして求められたら逆らう術もない。
その状態から早く脱したかったんだと思う。
自分の行く先が見えない不安定な状態から……逃げたくてあんな事をしたんだと思う。」
「……」
アリサの言葉を最後に、重い沈黙が訪れた。
--*--*--
素直に感心してしまった。
アリサは私よりもずっと本質を見ようとしていた。
だからこそ『酒』をキッカケにして、追い詰められた獲物のように牙をむいて、無意識に借りの精算を自分の身体で果たそうとしていたのだ。
彼に関わる事で乗り気じゃなかった雰囲気も、近寄るべきではないという警告からだったのだろう。
私のように伝聞ではなく、実際に地竜に襲われる脅威と、その打破を目の当たりにしたからこそ、『彼』という脅威が心の深層に刻み込まれているのだと思う。
私はもう随分と冷めた生姜の蜂蜜漬けのお湯割りを口に運びながら思惑の糸を紡ぐ。
アリサにとっての最善が彼から遠ざかる事であるならば、できるだけ早くここから離れるべきかもしれない。
そうでなければ、アリサは不安を胸に抱えたまま過ごさなくてはいけなくなる。
ただ、彼が私の見た通りに子供であるとするならば『教育』できる可能性もある。
私はこれまでも何人かの見込みのある新米を教育してきた。
アリサだって癖はあるけれどいい子に育ってくれたと思う。
だから私が面倒を見れれば、まだ子供のように思える彼を望む方向に伸ばす事は可能だろう。
……だけれど、それにはもう大きな障害がある。
マイラとフリーシアという存在だ。
マイラは間違いなく彼を『道具』として使えるようにする事が目的。
彼がマイラの道具となった場合を考えると眉のひとつもしかめたくもなる。
フリーシアは、彼を囲い込んで外に出さず自分のモノとするのが目的だ。
アリサがキスをした事に対する、あの激昂は既に自分のモノだと思い始めている節がある。
さらに言えば、フリーシアはその為であればマイラを利用し、マイラもまたそれを見据えた上でフリーシアを利用するだろう。
この二人の利害はある点で一致している以上、私が思うような教育を彼にする事は難しいと言わざるをえない。
ならば、逆に彼から離れようと思えば、この二人は喜んで協力してくれる。それこそ二度と会わない事も可能だろう。
だけれど、その選択は非常に危うい。
マイラは民衆の味方の騎士団であり友人でもあるけれど、民衆を使う貴族でもある。貴族は邪魔だと思えば一人や二人程度の民は消してしまうだろう。
彼ときちんとお別れを済ませて後腐れが無くなってしまえば、重要な秘密を持つ私達を易々と逃がすとは思えない。
もし彼と別れるにしても手が出せないように、彼が『会いたい』と思うような後腐れのある別れ方をしなければならない。
ただその場合、彼は『会いたい』と思えば会いに来れる力を持っている。
前に進もうにも障害があり、後ろに進もうにも障害がありそうな状況に、思わずため息が漏れる。
「……ごめんね。姉さん。変な事言って。」
『申し訳ない』という字が書いてありそうな顔を向けてくるアリサに、愛おしさを感じる。
「ううん。アリサはやっぱり私に色々と気づかせてくれるなと思って。
私、感心してたのよ。」
何があっても、この子は幸せにすると決めたのだから、私が道を切り開くしかない。
人間は過去に戻る事は出来ない。
だけれど、進むべき未来は選択できる。
私達の進むべき思い描く未来の為にも、今できる事をやるしかない。
心配そうな表情をしている妹に、心からの笑顔を返す。
そして私は、私が思っている全てを話す事にした。
これまで、協力して二人で生きてきた。
これからも二人で生きていく為に。
「マコトくんを私達のパーティに加えましょう。」
どんな障害があろうとも、私が彼を真っ当な人間に教育するしか道はないのだ。




