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19-6

 何が起きたのか分からず呆然と彼を見ていると、スカウトの男は今まで以上に苛立った様子で掴まれた腕を強引に振り払う。


「あーあーあー、いるんだよなぁこういうヒーロー気取りが。マジで毎回イライラすんだわ。こっちが下手に殴れないからって調子乗って仕事の邪魔しやがって……もういいわ、面倒くせぇし。お前ちょっとこっち来いよ」


 男はりんたろー君を路地裏の方に引き込もうと、胸倉を掴む。

 元々素行の悪い人間だったのか、その動作にはどこか手慣れた雰囲気と、独特な迫力があった。

 路地裏に連れ込まれれば、りんたろー君は彼の気が済むまで殴られるに違いない。

 例えその暴力行為によって自分が警察のお世話になるような事態になったとしても、怒りで我を忘れている目の前の男はそもそもそんなところまで頭が回っていないのだろう。


「りんたろー君っ! ――――っ」


 何とか彼が暴行を受けるなんて事態を避けるために、ボクは割り込んで男の腕を外すことを試みる。

 しかしそんなボクを止めたのは、他でもないりんたろー君自身だった。


 ――――どうして?


 そんな言葉が、ボクの口から漏れる。

 りんたろー君は片手をボクの方に向け、目で動くなと訴えかけてきた。

 そのどこまでも冷静な目に、思わず素直に従ってしまう。


「この手、ある意味暴力ってことでいいっスよね?」

「あ?」


 りんたろー君は胸倉を掴んでいた手をさらに掴み返すと、そのまま流れるように捻り上げる。

 

「い……ッいでででええええ!」


 たまらず手を離した男は、そこからさらにりんたろー君の手によって操られ、あっという間に背中を取られる。

 背中側に回された腕と肩を押さえられた男は、苦悶の声を上げながら藻掻くことしかできない。

 刑事ドラマとかではよく見る取り押さえ方だけど、実際に見ることができたことで感嘆の声を上げそうになった。


「暴れると肩の関節がえらいことになるんで、大人しくした方がいいっスよ」

「っ……テメェ」


 増々怒りを燃やす男の目を見て、りんたろー君はため息を吐いた。

 そして視線をボクへと移すと、掴んでいた男の背中を前へ蹴りだす。


「逃げるぞ!」

「え、う……うん!」


 男が前のめりになって転びかけている間に、りんたろー君がボクへと手を伸ばす。

 そしてボクがその手を掴むと同時に、彼は全力でこの場から駆け出した。


「ま……待てコラ!」

「待てって言われて待つ奴がいるかってんだ……!」


 腕を引かれ、ボクは走った。

 目の前にはりんたろー君の背中がある。

 人が増えてきたせいか、スカウトの男との距離はどんどん開いて行った。

 危険なはずの鬼ごっこは、彼と一緒だと何故か楽しくて。


「ははっ、そんなに笑えてりゃアフターケアは必要なさそうだな」

「え?」


 徐々にスピードを落として走るのをやめたりんたろー君は、ボクの方へ振り返ってそう言った。

 いつの間にか、ボクは走りながら笑っていたようだ。

 一時はあんなにも怖い思いをしたというのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、我ながら現金な人間だと思う。


「とりあえずは駅前まで戻ろうぜ。ここからはゆっくり歩いて、な」

「……うん」


 彼に手を引かれるままに、ボクは歩き出す。

 男が追ってくる様子は、もうない。

 完全に撒けたようで、ようやくボクの頭も冷静になってくる。


「あ……」

「ん? どうした?」

「――――ううん。何でもない」


 冷静になった途端一つのことに気づいてしまったボクは、すぐに口を噤んだ。

 そうしないと、きっとりんたろー君がこの手を離して(・・・・・・・)しまう(・・・)

 彼が手を引いてくれる限りは、このまま甘えてしまおう――――そう思った。


「何度電話をかけても出ないからまさかと思って駆け付けたんだけど……びっくりしたんだからな? お前が絡まれてて」

「え、電話?」


 スマホを見てみれば、りんたろー君の言う通り不在着信の通知がロック画面に並んでいた。

 そう言えばと、映画館に入った時からずっとマナーモードにしていたことを思い出す。


「ごめん、気づかなかったよ」

「そっか。……ったく。次から本当に気を付けてくれよ? 今回は間に合ったけど、いつも俺が側にいるわけじゃねぇんだから」


 いつも側にいるわけじゃない、か。

 りんたろー君の言っていることは正しい。

 別々の学校。アイドルとしてのスケジュール。どれを取っても、時間の面で彼を頼ることができないのは確かだ。


「あーあ。君がボクの専属マネージャーになってくれればいいのに」

「ははっ、それじゃ俺が働く羽目になるじゃねぇか。そんなのごめんだね」


 ああ、こうしてかっこ悪い部分を見せてもらえると、何だか安心する。

 りんたろー君がりんたろー君のままでいてくれることは、ボクにとっての支えだ。

 カッコいいばかりじゃ、きっとボクの心臓が耐えられないしね。


「そう言えばりんたろー君、合気道なんてできたんだね」

「合気道? あー、さっきのか……あれは合気道――――なのかな?」

「え? どういうこと?」

「家の都合でさ、小学生の頃に色んな習い事を受けさせられてたんだ。その中に武道もあってさ、空手やら柔道やら、剣道もあったかな? だから一通り齧りはしたんだけど、正直もうどれが何の技かなんて覚えてねぇんだ。今日に限っては体が覚えていてくれてマジで助かったっていうか……」


 そう言いながら、りんたろー君の顔が少しだけ辛そうな表情に変わる。

 しかしボクがそのことを指摘する前に、彼はいつも通りの表情に戻った。


「ま、人生何が役に立つか分からねぇな。結局それでお前を助けられたなら、それでいいや」

「……そうだね。本当にありがとう」

「お前に素直に礼を言われるとむず痒いな」

「失礼な。ボクだって礼儀は重んじているよ」


 ようやくボクも本調子と言ったところか。

 ボクらは互いに顔を見合わせ、笑い合う。


「……今だから聞いてほしんだけどさ」

「ん?」

「ボク、本当は王子様じゃなくて……お姫様になりたかったんだ」


 ボクがそう告げれば、りんたろー君はどこか驚いたような表情を向けてきた。

 

「小さい頃にシンデレラや白雪姫の絵本を読んだ時に、自分もこんな可愛いドレスを着てみたいって思ったことを今でも覚えてるよ。でも、お母さんに言われたんだ。『あんたは姫って顔じゃないでしょ』って」

「……」

「お母さんのことは大好きだけど、その時ばかりはさすがに怒ったね。どうしてそんなこと言うんだって。……だけど、今になってお母さんの言ってたことは正しかったって思い知ったよ」


 アイドルを目指した理由は、テレビで映る他のアイドルたちが可愛らしい衣装に身を包んで踊っていたから。

 ボクも同じ格好をしてみたい。

 そう願って、アイドルという道から芸能界に飛び込んだ。


「結局アイドルになって渡された衣装は、君も知っての通り王子様系のカッコいいやつばかり。可愛らしさなんて、最初から求められてなかったんだよ」


 だからボクは、皆の期待に応えるために王子様キャラであることを受け入れた。

 アイドルとして活動するためには必要なことだと割り切って――――。


「可愛らしさが求められてない、か。まあ世間の評価的にはその通りなんだろうな」

「うん……だからもうとっくに諦めたよ」

「けど、今日のお前は誰よりも姫らしかったぞ」


 りんたろー君は、どこかからかうような口調でそう告げた。

 その時、今日の出来事がボクの頭の中でフラッシュバックする。


 ラーメン屋で彼の水を飲んでむせてしまったこと。

 プリクラでお姫様抱っこされて動揺したこと。

 危ない人にからまれていたところを助けてもらったこと。


 思い返すと、どれも恥ずかしい。


「さっきも言ったけど、今日はお前のいつもと違う部分が見れて嬉しかった。ミアもはしゃぐと年相応な感じになるんだなって」

「それは――――」

「それは?」

「……ううん、何でもない」


 ボクが口を噤んだことで彼は首を傾げる。

 だけど今ボクが口走りそうになった言葉は、さすがに恥ずかしすぎて言えない。


(違うんだよ、りんたろー君)


 ボクがお姫様でいられたのは、君のおかげ。

 君がボクをずっと女の子として扱ってくれたから、ボクは王子様であることをやめられたんだ。


 ――――そう言いたいのに、もう彼の前で"ミア"を演じることができないボクは羞恥心に負けてしまう。


「今日はありがとう、りんたろー君。おかげで演技のコツがつかめたかもしれないよ」

「そっか」

 

 りんたろー君にされて嬉しかったこと。

 それを忘れなければ、きっと上手く行く。

 

(忘れなければ、か……忘れるわけないのにね)


 ボクって自分で思っているよりもちょろい子だったのかもしれない。

 だってこんなにも簡単に、今まで築いてきた自分の像を崩してしまうのだから。


「ねぇ、凛太郎君(・・・・)

「ん……?」

「……ふふっ、何でもないよ」

「何だよ。おかしな奴だな」


 ごめん、凛太郎君。

 やっぱり照れてしまうから、今は心の中だけで言わせてもらうね。


 ――――ボクをドキドキさせてくれて、ありがとう。

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