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12-4

「一緒にお風呂に入ってほしい」


 嫌な予感は、すぐさま的中した。


「それって、さっきの水着で入るって話か?」

「うん。凛太郎の水着姿を一番に見たい。それとせっかくだから背中を流したい」

「それに何の意味があるんだよ……」

「自己満足」

「……さいですか」


 強い言葉だな、自己満足。俺も今後使っていこうかな。


「いい?」

「……分かったよ。別に水着だしな。見られたところでどうってことねぇ」

「じゃあご飯の後に、一緒にお風呂」

「はいはい。ったく、男の水着姿の何がいいんだか」


 本来、役得なのは俺の方だと思う。

 大人気アイドルの水着姿を目の前で見ることができるのだ。熱狂的なファンなら、働いて得たひと月分の給料を全額支払ってでもお目にかかりたいはず。

 それを向こうから、しかもタダで持ち掛けてきている……もはや役得を通り越して、ちょっと不気味だ。


「あ、ちなみに今晩は冷やし中華にするつもりだけど、普通のタレかごまだれ派か聞いてもいいか?」

「普通のつゆ派」

「おっけ。じゃあそれで用意するわ」


 今晩の一大イベントから意識を逸らすような会話を挟みつつ、二人そろって俺の部屋へと移動する。

 休日を過ごす時は、基本俺の部屋に二人でいることが多い。

 別段することもなくドラマを見たり、互いに別々の漫画を読んだりしている。

 ただ今日に限っては、そのどれもが頭に入ってこなかった。


 誰かと風呂に入るだなんて、もはや中学の修学旅行ぶりである。

 それも相手が女だなんて――――ああ、何だか悪いことをしている気分だ。


 

 長くも短くも感じるような時間が過ぎ、やがて夕食すらも済んでしまった後、俺は脱衣所に呆然と突っ立っていた。

 服はすべて脱ぎ、下半身には買ったばかりの水着だけが存在している。


「……マジで何だ、この状況」


 洗面台に備え付けられた鏡に映る自分を見て、思わずそんな風につぶやいた。

 これだけなら、買ったばかりの水着が自分に似合うかどうか試着しているだけの男に見える。しかし今から起きるのは、俺の人生の中で決して起きるはずのなかったとんでもイベントだ。正直まだ頭の中が整理できていない。


「――――凛太郎、入ってもいい?」

「ひゅっ……ど、どうぞ」


 やべ、変な声出た。


 キョドリまくっている俺をよそに、廊下と脱衣所の間の扉が開く。

 そこから入ってきたのは、あまりにも美しすぎる一人の女だった。


「……今更だけど、ちょっとだけ恥ずかしい」


 じゃあ止めとけばいいのに――――と思っても、もはや手遅れ。

 

 芸術品としか言いようのない肌色の四肢はすらりと伸び、細い印象を与えつつも太ももなどには柔らかそうな肉がしっかりとついている。


 そしてもっとも恐ろしいのは、その胸。


 "クロス・ホルター・ビキニ"によって吊り上げられた胸部の脂肪は、深い谷間をこれでもかというくらいに強調していた。

 これは駄目だ。目に毒物を直接叩き込まれている。

 標準語で言えばヤバイ。関西弁で言えばアカン。

 ん? ヤバイはそもそも標準語なのか? 考えろ、余計なことを考えろ。


 ぐぎぎ、助けて。


「凛太郎、緊張してる?」

「当り前ですわ」

「何でお嬢様口調……」


 もう自分でも何を口走っているのか分からない。

 とにかくもう早く済ませてしまうに限る。それが俺の精神を守る一番の方法だ。


 二人そろって浴室に入り、夏故に少しぬるめに設定したシャワーを出す。すると玲がフックからシャワーを外し、俺の足元へ当て始めた。


「冷たくない?」

「あ、ああ……」

「そう」


 足元から順番にシャワーが上ってくる。

 そして肩までたどり着くと、お湯が当たる部分を玲の手がそっと撫でた。


「ひっ――――」

「あ、くすぐったかった?」

「い、いや……びっくりしただけだ」


 何で触る? いや、さっき背中を流したいとは言っていたけども。

 何だろう。段々いかがわしい店に来てしまった気分になってきた。

 

 あまりにも悪いことをしている気がしてきて、むしろここでミルスタのファンに刺された方が人類のためなんじゃないかと思えてくる。

 その前に心臓がこの状況の負担に耐え切れず止まる可能性があるけれど。


「髪の毛洗ってもいい?」

「……いい、けど」


 もうペースを取り戻す気力すら湧かない。

 俺は風呂場にあるプラスチックの椅子に座らされると、頭にお湯をかけられる。

 目を瞑って待っていれば、やがて細い指がシャンプーをまとって髪の間に差し込まれた。


 ぞくっと、快楽が駆け抜けていく。

 

 美容院等で髪を洗ってもらう時が割と好きな俺としては、こういうものにとにかく弱い。

 美容師ほどのテクニックはもちろんないが、それでも彼女に頭を洗われていると思うだけで比較にならないほどに感覚が研ぎ澄まされていた。


「流すね」


 言葉は出ず、俺は頷くことしかできない。

 お湯が頭からかけられて、泡が排水口へと流れていく。


 やがて目を開けられるようになり、そしてすぐさま後悔した。


 俺の後ろに立つ玲の姿が、鏡越しに改めて視界に入る。

 お湯に濡れた彼女のビキニはぴったりと肌に張り付き、艶めかしさを強めていた。

 こいつは俺のことを殺したいのだろうか?


「次は背中」

「あい」


 借りてきた猫とはまさにこのこと。

 俺はただただ大人しくしておくことで、この時間が速く過ぎていくことを祈っていた。


「凛太郎の体、意外としっかりしてる。服を着ている時とちょっと印象違う」

「ま、まあ……主夫仕事は思ったよりも重労働だったりもするし、たまに体を動かしたくなって筋トレしてるからな……」


 部活に所属していない分、体育の授業では補えない運動を家で行うことがある。運動不足を怖がるだなんて我ながらジジ臭いと思わないでもないが、体調を崩した時に頼れる人間がいなかったのだから仕方がない。

 看病してもらえないのだから、そもそも体調を崩さぬように健康管理をするしかないのだ。


「背中も広いし、これは洗い甲斐がある」


 玲はボトルからボディソープを出すと、手のひらでよく馴染ませる。


 ――――待て、なぜ体を洗う用のタオルを使わない? すぐそこにかかっているのに。


「……じっとしてて」


 ひたりと、背中に彼女の手が当たる。

 

 待て、待て待て待て待て待て。

 止めたいのに、動揺が激しすぎて声が出ない。 


 そうしている間にも、ぬるりと玲の手が動く。

 頭を洗われている時以上の快感が全身を駆けずり回り、息が漏れた。

 

 やっぱり俺、今日死ぬんじゃないか? 


「気持ちいい?」


 かろうじて首を動かし、一つ頷く。

 それはもう反射的なものだった。そしてここで頷いてしまったことが、彼女をさらに助長させてしまう。


「――――じゃあ、これは?」


 むにゅり。

 

 擬音で言うならそんな音。

 背中の大部分に、お湯とはまた別の温度が広がる。

 人肌だ。俺よりも少しだけ体温が高い。


 そしてこの背中で柔軟に形を変える物体は、おそらく彼女の胸――――。


「――――ぁぁあああぁぁあああ! これは駄目だ!」

「あっ」


 ついにキャパを越えてしまった俺は彼女を振り払うようにその場で立ち上がる。


 ……その行動がまずかった。


 勢いよく立ち上がった俺は、床を流れていたボディソープの泡でバランスを崩す。

 とっさに手をついて体を守ろうとするが、反転した体の目の前には玲の姿があった。

 失敗を自覚した時にはもう遅い。俺の体はそのまま玲と共に倒れ込む。


「…………悪い」

「……」

 

 かろうじて腕で支えた俺の体の下には、唖然とした表情の玲がいた。

 構図としては、俺が彼女を押し倒しているように見えるだろう。

 

 うん、もう腹を切ることくらいしかできそうにないな。


「……凛太郎、怪我はない?」

「あ、ああ」

「それなら、よかった」


 そんな風に言いながら平静を装っているが、玲の顔は分かりやすく赤くなっていた。

 照れたように目線を泳がせる彼女を見て、俺の頭に一つの疑問が浮かぶ。


 何故、玲は急にこんな行動に出たのだろう?

 

 元々突拍子のない女だったからこそ、途中までは受け入れてしまった。

 しかし、この照れ方には妙な違和感がある。

 

 もしかすると、本当にもしかすると。


「お前、誰かに何か吹き込まれたな?」

「……チガウ」

「いくら何でも分かりやす過ぎるわ!」


 やはり、玲は誰かにそそのかされていたようだ。

 こんなことをする奴に、一人だけ心当たりがある。


 よくからかうような言動を投げかけてくる、ミルスタのクール担当――――。


 どうやらあの女(・・・)には、一度ガツンと言ってやる必要がありそうだ。

 

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