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8-3

 今までざわざわと騒がしかった会場は、照明が落ちたことであっさりと静かになった。

 そんな会場の中、中心に立つ玲が始まりの合図を告げる。

 

『――わん、つー』


 それは、俺の前で見せてくれた通し練習の時と同じ掛け声だった。

 彼女の合図に合わせて、会場を揺らすほどの大音量で曲が流れ始める。その音と拮抗するような大歓声が観客席から上がり、会場は瞬く間に熱に包まれた。


 曲の始まりを歌うのは、カノン。

 普段は耳にキンキン響くような彼女の高めの声は、今この場において観客の心をしっかりと惹きこむ切り込み隊長の役割を果たしていた。

 カノンの表情は踊りにつられるようにして豊かに切り替わり、一瞬でも瞬きをしてしまえば損をしたような気分にさせるほどの魅力がある。

 

 ずっと見ていたい――――。


 観客たちがそう感じ始めたところで、カノンの体が押し退けられる。そしてその後ろから、ミアが飛び出してきた。もちろん今の一連の動きは演出であり、カノンは一瞬ミアのことを大袈裟に睨んだ後で本来の持ち場へと戻る。

 いわゆるライブ特有の遊び心だ。こういう部分で観客を笑わせて、ライブ会場に直接見に来れた者への特権を感じさせてくれる。


 ミアの声は三人の中では少し低めだ。

 それは色気があると言い換えることもでき、聞いている者たちの脳を溶かす。うっとりするとはまさにこういう状態だ。

 

 ミアがワンフレーズを歌いきる。


 するとスポットライトがステージの中心へと戻り、そこにいる最後の一人を照らし出した。


「玲……」


 俺は思わず彼女の名前をつぶやいていた。

 今まで見てきたどの姿よりも美しく着飾った彼女は、両手を広げて歌を紡ぐ。

 

 誰もが息を呑んだ。

 誰もが言葉を失った。


 カノンよりも低く、ミアよりも高いその声はどこまでも透き通っており、神秘的とすら言える魅力が詰まっている。

 

 ああ、これはきっと逃れられない。


 一度"レイ"の声に聞き惚れてしまえば、必ずまた聞きたくなる。これこそが、本物のアイドルたちの力――――。


 曲のテンポが激しくなっていく。

 それに合わせ、三人の息の合ったダンスも激しさを増していった。その最中(さなか)でも、三人の息は乱れない。

 揃いに揃った足先と指先。もはやその動きは芸術へと昇華されていた。


「ねぇ、あなた? あの子すごく輝いているわ」

「……ああ、そうだな」


 隣から、そんな二人の声が聞こえてきた。

 俺は人知れず拳を握る。自分のことではないはずなのに、"してやったり"という気持ちが溢れてしまった。

 

 このまま行けば、何の問題もなく終わる――――。

 俺の頭には、そんな楽観的な考えが生まれ始めていた。


 問題が起きたのは、ここから一時間後のことだった。

 ライブは丁度半分を過ぎ、いよいよ後半戦に差し掛かった頃。

 観客たちの熱狂はまさにピークに差し掛かり、一曲終わるごとに会場全体が大歓声に包まれていた。


 しかし、その中で俺は異変に気付く。

 

 常にセンターに立つ玲の肩が、呼吸をする度に上下に揺れていた。

 ミアもカノンもそのことに気づいたのか、横目で彼女の方を確認している。

 いわゆる肩で息をしているという状態だ。疲労のせいで息が大きく乱れている。

 一時間の間に絶えず歌って踊るというのはとてつもない体力を消費するはずだ。ただ彼女たちは、二時間歌って踊れるように特訓を重ねてきている。その証拠に、ミアとカノンは呼吸を荒くしているものの、疲労の色が顔まで出ていない。

 リハーサルの時も、ここまで玲の呼吸は乱れていなかった。

 つまるところ、間違いなく異常事態ということである。


(っ……プレッシャーか)


 次の曲に移行するわずかな時間のために一度退場する玲の背中を見送り、俺は歯を食いしばった。

 ライブ中にはこうしたインターバルがいくつか存在する。この時間で多少なりとも体力を回復できるだろうか……。


◇◆◇

「レイ! 大丈夫なの⁉」

 

 舞台の裏に滑り込んだ途端、カノンの声が私の耳を打った。

 俯いていた顔を上げれば、そこには心配した様子を浮かべるカノンとミアの顔がある。私はそれを見て、こくりと一つ頷くことしかできなかった。


「到底大丈夫には見えないけどね。もしかして、体調が悪いのかい?」

「……そうじゃ、ない」


 そう、私は別に体調が悪いわけじゃない。

 朝起きた時はベストコンディションだったし、ライブ直前もそれは変わらなかった。

 

 だけど、たった一つのきっかけでその状態はもう崩れている。


 私の用意した特別招待席、そこに座っているお父さんとお母さんの顔が見えてしまった。

 見ないようにしようと思った。けど、一瞬でも視界に映る度に、ライブ特有の高揚感でマヒしていた頭は途端に現実に引き戻される。

 息が吸いづらい。途中からは、まるで気管に何かが詰まっているような感覚に襲われていた。

 呼吸が整わなければ、体力も回復しない。膝が笑ってしまいそうなほど、強い疲労感が体を襲っていた。


「とにかく、ゆっくり水を飲みなさい。衣装交換までもう時間がないけど、ギリギリまで息を整えるのよ」

「わか、った」


 背中をカノンに擦ってもらいながら、水を少しずつ飲む。

 そして息を吐いて大きく吸う動作を繰り返した。胸に何かがつっかえているような感覚は残っているけれど、幾分か回復したような気がする。


「ライブが始まった以上、動けるなら途中リタイアはできない。レイ、それは分かっているね?」

「もう、大丈夫。心配かけてごめん」

「……分かった。じゃあ行こう」


 私たちは次の衣装へと腕を通す。

 いつもは何気なく纏っていた衣装が、今日はやけに重い。

 ふらついていることを気取られないようにしながら、私は再びステージへと向かう。


 歓声が耳に飛び込んでくる。 

 その熱量と眩いスポットライトに当てられ、くらりと眩暈がした。だけどここで倒れるわけにはいかない。

 ステージを強く踏みしめ、よろけないように耐える。


 動け――――。


 お父さんとお母さんが見ている。今日は絶対に失敗できない。

 ずっと二人が私の活動を心配していることには気づいていた。

 娘に好きなことをさせたいという気持ちと、心配する気持ちがせめぎ合って苦しんでいる姿をずっと見てきた。


 だから伝えるんだ、"私は大丈夫"だって。

 

『みんなー! まだまだ行けるかー!』


 カノンの煽りが観客席へと飛ぶ。

 これは次の曲への入りだ。ここから一番激しい曲が始まる。

 観客の人たちは、今までで一番の歓声でカノンの煽りに応えた。

 正念場という言葉が脳裏を過ぎる。


 動け、笑え――――。


 アイドルとして最後までステージに立つ。

 ここに立つ"乙咲玲"を、あの人たちに見てもらうために。

 

 

 

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