77- 新たなる新人
怒涛の春が終わりを迎え、暑い夏の日々が始まった。
六月後半。期末試験が迫るこの時期は、俺たち高校三年生は、特別苦しむ羽目になる。
期末の勉強をしつつ、受験勉強も進める。特に竜二辺りは、だいぶ苦戦しているようだった。ただ、前に行われた中間試験の結果は、これまでと比べものにならないくらい良くなっていたらしい。あいつはそれを俺たちのおかげとして、何度も感謝してきたが、俺たちからすれば、あいつ自身の努力以外の何ものでもないと思っている。この調子なら、期末でもいい結果を出してくれるかもしれない。
祐介も、二階堂と同じ大学に行くために、大変な思いをしているらしい。
まあ、祐介はもともと真面目な努力家だから、竜二ほど心配はしていない。
何も変わった様子を見せないのは、雪緒だけだ。相変わらずテストの結果は学年順位で一桁代をキープしているし、受験勉強も、自分のペースで無理なく続けている。
竜二がヘトヘトになっている中、隣でケロッとしている雪緒の顔を見ると、一体何が人と人の間にこれほどの差を生むのか、真剣に考えたくなってしまった。
ところで、俺も勉強はもちろん続けている。いくら進学の難易度は高くないといっても、サボっていいことなんてひとつもない。勉強なんて、すればするだけ得するのだ。
そしてそれは、ミルスタの三人だって例外じゃない。
どこかからセミの声が聞こえる中、冷房の効いた部屋で、俺たちは教科書やノートとにらめっこしていた。
「……テスト範囲多すぎなんですけど」
げんなりした顔のカノンが、ついにテーブルに突っ伏した。
ミルスタにとっては、数少ない休日。本来であれば、どこかへ出かけたり、ダラダラと体を休めたりする時間にしたいだろうに、期末試験という悪魔が、それを許さない。
幸い、別の学校に通うカノンとミアのテスト範囲が、俺たちの範囲とほとんど被っていた。
おかげで、俺がなんとか教えてやれる。というか、三人の学力は、もともと悪くない。芸能活動が忙しすぎて、勉強する時間があまり取れないだけである。それ故に、まとめて試験範囲を叩き込んでも、すぐにものにしてくれた。
このまませめて、平均点くらいは取らせてやりたいものだが――――。
「ふぅ、さすがに限界かな」
ミアは、シャーペンを置いて、眉間を指で揉みもほぐし始めた。
その隣では、玲も疲れた様子で小さくため息をつく。
開始から、すでに二時間経っている。それだけ集中し続けたのだ。むしろよく持ったほうだろう。
「昼飯でも作るか。何食いたい?」
「そーめん!」
「ボクは蕎麦がいいかな」
「つけ麺がいい」
「見事にバラバラだな」
互いに睨み合う三人を見て、俺は苦笑する。
ここで喧嘩されても、昼飯までの時間が長引くだけだ。
こういうときの解決方法を、俺はひとつだけ知っている。
「分かった分かった、全部作ってやるから、それでいいだろ?」
コクコクと頷く三人に、俺は再び苦笑する。
キッチンに立った俺は、麺を茹でるためにお湯が沸くのを待ちつつ、つゆを作ることにした。
せっかくだから、それぞれに合うつゆを考えよう。
まずは、素麺のつゆから。めんつゆに、細かく刻んだトマトと、オリーブオイルを加えて混ぜ合わせる。これだけで、一気にイタリアン風味になるのだ。
次は、蕎麦のつゆ。そば自体の風味を損なわないために、薬味を揃えるだけに留める。
定番のねぎに、しょうが、ゆずの皮、ラー油、揚げ玉を用意する。
そして、山芋をすりおろし、とろろも用意してみた。
とろろといえば、箱根で食べた蕎麦は本当に美味しかった。あれがもう三か月前か。
時の流れが速すぎて、イマイチ実感が湧かない。
――――っと、感傷に浸っている場合じゃない。
お湯が沸いたのを確認して、麺たちを茹でていく。
茹で上がる前に、つけ麺の汁を作っておかねば。
ひき肉、醤油、豆板醤、おろしにんにくをフライパンで炒め、そこに豆乳、めんつゆ、甜麺醤、練りごまを入れて、沸騰しすぎないように調整しながらよく混ぜる。
これで、坦々胡麻風スープの完成だ。
麺の茹でもタイミングよく終わり、大きな皿に盛りつける。
一般人からすれば、とても四人前には見えないだろう。
俺は、ずっしりと重たい皿を、ダイニングテーブルに並べた。
「ほら、できたぞ」
「「「いただきます!」」」
テーブルで待っていた三人は、それぞれ食べたがっていた麺に箸を伸ばす。
カノンは、イタリアン風つゆに素麺を浸し、一気にすする。
「っ! ん~~~~! 酸味が利いてて美味しいわ! さっぱり感が最高! 和風じゃなくても合うのね⁉」
「ああ、意外だろ?」
忙しい昼にもってこいの素麺だが、そのポテンシャルは想像以上に高い。
これからも、色んなアレンジを楽しみたいところだ。
「とろろつきか、箱根を思い出すね」
そう言いながら、ミアはとろろと蕎麦を絡めて、一気にすすった。
嬉しそうに頬が緩んでいるのを見て、俺も思わず蕎麦に箸を伸ばしていた。
今日は俺も蕎麦の気分だったのだ。
素朴な蕎麦の風味と、薬味をたっぷり入れたつゆの旨味が合わさり、暑さで弱っていた食欲が息を吹き返す。これなら、いくらでも食べられそうだ。
ふと、隣を見れば、そこには無言でつけ麺をすすっている玲がいた。
そしてある程度満足したのか、次は素麺に箸を伸ばし、同じ勢いですすり始める。
見境なく麺を食らう姿は、さながらバーサーカーのようだった。
「……もうなくなりそうね」
「凛太郎君、もう少し用意してもらっていいかな」
「はいよ……」
俺は、バーサーカーに奪われた麺たちを復活させるべく、キッチンへ戻った。
「凛太郎君、ちょっといいかな」
「ん?」
皿洗い中に、ミアがカウンター越しに声をかけてきた。
「前に、夏のツアーに同行してもらえないか頼んだのを覚えているかい?」
「ああ、もちろん」
ただ、半分くらいは冗談だと思っていた。
三人は、過密なスケジュールで全国を巡っていく。スタッフでもない俺は、舞台裏のこいつらと顔を合わせることすら困難だろう。
「ボクらも驚いたんだけど……。もしかしたら、君をスタッフとして連れていけるかもしれないんだ」
「ま、マジで?」
俺が驚いていると、カノンがカウンターに身を乗り出してきた。
「大マジよ! マネージャーがオーケーしてくれたの!」
「でも、条件がある」
カノンに続いて、玲まで身を乗り出してきた。
「キャンスプが軌道に乗った今、マネージャーが足りなくなってきてるみたいでさ。ほら、ただでさえキャンスプって人数多いでしょ? しかも、まだ経験が浅い子が多いから、つきっきりで見てないとトラブルが起きるかもしれなくて」
「まさか、俺にマネージャーをやらせるつもりか?」
「いやいや、そこまで重たい仕事は任せないさ。君にお願いしたいのは、新人マネージャーのサポートだよ」
「サポートって言われてもな……」
「ずっとボクらのマネージャーをやってくれてる人が、ボクらのツアーのタイミングでキャンスプのサポートをすることになったんだ。その代わり、今回のツアーには新人マネージャーが付き添ってくれることになったんだけど……」
ミアが言い淀んだことに対して、俺は首を傾げる。
「若干、抜けているところがあってね。凛太郎君に教育係になってもらおうかと」
「一応訊くけど、年上だよな?」
「もちろん」
「大丈夫なのかよ。ガキに教育されるなんて、普通嫌だろ?」
「安いプライドは持ち合わせてない人だから、大丈夫だよ。それに、きっとあの人も納得してくれるさ。この世で一番ボクらの扱いが上手いのは、間違いなく凛太郎君だ。教育係としては、この上ない人材だと思う」
カノンと玲が、同意を示すようにうんうんと頷く。
よくもまあ、恥ずかしげもなく人を褒められるものだ。ここまで言われたら、期待に応えたくなってしまう。
「分かったよ。俺でよければ協力する」
三人に向かってそう告げた、一週間後のこと――――。
今日は、その新人マネージャーとやらが、家まで挨拶に来てくれるらしい。
約束の時間の少し前に、インターホンが鳴る。
急いで玄関を開けると、そこには何もいなかった。
「……あれ?」
「――――あ、あの!」
真下から声がして、恐る恐る視線を下げる。
「は、初めまして! 宇佐森葵と申します!」
そこには、スーツ姿の幼女がいた。
その姿は、とても成人とは思えず、俺は唖然とする。
「志藤さん……ですよね? その、不束者ですが! 何卒よろしくお願いします!」
そう言って、彼女は深々と頭を下げた。




