75-4
「だぁ! もう限界ですぅ……」
サナが床に崩れ落ちる。
あれからさらに二時間も経っている。本人は悔しそうだが、ずっと動きっぱなしで、むしろよくここまで頑張ったと思う。
俺の知るアイドルたちは、どうしてこうも根性があるのだろうか。
「きついけど、楽しい。もっと色々覚えたい」
「た、タフですねぇ先輩……」
「サナもすごい。こんなにきついのに、ついて来てる」
「それほどでも――――」
サナの言葉が途切れる。
その顔は、珍しく浮かない表情だった。
「どうしたの?」
「いえ……レイ先輩の動きからは、たくさん〝本気〟が伝わってくるのに、私にはそういうものがないなって」
そこまで言って、サナはハッとする。
「ご、ごめんなさい! 変なこと言いました!」
「ううん、思っていることがあるなら、全部聞かせてほしい」
玲がサナの手を握る。
すると、サナは意を決したように、口を開いた。
「……私、自分が恥ずかしくなっちゃいました」
サナが、顔を伏せる。
「みんなが本気でやってる中で、私だけが手を抜いてるっていうか……。たまに考えてしまうんです。私がいたら、死に物狂いで頑張っている人たちに失礼なんじゃないかって」
校舎裏で、彼女が語ったことが思い出される。
仲間に対して感じる、方向性と熱量の違い。この場で彼女は、それを玲に対しても感じてしまったようだ。
「私……デザイナーとしても、アイドルとしても、なんだか中途半端ですよね」
「それの何が悪いの?」
玲がキョトンとしているの見て、サナはポカンと口を開ける。
「サナは、まだ何もかも始めたて。見切りをつけるには早すぎる」
そう言って、玲はサナの前にしゃがみ込んだ。
「片方に集中する必要なんてない。サナがやりたいなら、どっちも頑張ればいい」
「で、でも……それじゃみんなに迷惑を――――」
「迷惑って、誰かがそう言ったの?」
「……っ!」
サナは目を伏せ、しばらく考えて、また顔を上げた。
「言われてません……私が勝手に、そう思われてるって……」
「あなたも、あなたの周りも、みんな一流の人。サナが本当に中途半端で、手を抜いていると感じるなら、誰かがそう指摘するはず。黙ってるなんてことは、絶対にない」
玲が淡々と並べていく言葉を、サナは必死に噛みしめているように見えた。
玲の言葉には、強い力がある。キャンスプのメンバーを、自分たちの事務所を、そしてサナを信じているからこそ、言い切ることができるのだろう。
今の玲には、周りを見る余裕がある。両親の目を気にして、オロオロと狼狽えてしまう彼女は、もういないのだ。
「挑戦することは、絶対に悪いことじゃない。アイドルであることも、デザイナーを目指すことも、きっとあなたの人生を豊かにしてくれる。だから、今できることを、全力でやろう。私も一緒に頑張る」
玲が、サナに向かって手を伸ばす。
「――――はいっ」
サナは、何かが吹っ切れたような、爽やかな笑みを浮かべた。
そして玲の手を借りて立ち上がると、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、レイ先輩。おかげで、迷いが晴れました」
「ん、それならよかった」
いつの間にか、すっかりカッコイイ先輩だ。
思っていたのとは違うが、これはこれで、衣装制作に関わるギャップとして魅せられそうな気がした。
「じゃあ、レッスンの続きを――――」
自分の言葉を遮って、玲の腹の音が鳴り響く。
気まずい沈黙の中、玲は腹を擦って、目尻を下げた。
「……お腹空いた」
「今かよ……」
成長を喜んだ矢先にこれか。
呆れながらも、どこか安心している俺がいた。
◇◆◇
「では、また何かあればいつでも連絡をください」
ソフィアさんにお礼を言って、俺たちは送迎用の車に乗り込んだ。
後部座席は、俺たちが三人並んでも、なお余裕のある広さだった。座席はほどよい硬さで沈み込みがよく、優しく体をホールドしてくれる。
そんな素晴らしい座り心地に、柴又の疲れ切った体が耐えられるはずもなく。ほどなくして、隣から彼女の寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃった?」
「ああ、よっぽど疲れてたんだろうな」
「ソフィアさんが言ってた。時間がないから一日に詰め込んだけど、普通は何日にも分けてする稽古だって」
「いや、まあ……そりゃそうだろ」
本社に向かったのは、確か午前中だったはず。それが今は、すっかり暗くなってしまった。
帰ったら、急いで夕飯の準備をしなければ。玲の腹も限界だろうし、ミアとカノンも、家で心待ちにしているはずだ。
「にしても、お前はよく平気だな」
「ん、私もきつかった。でも、後輩の前でかっこ悪いところはみせたくなかったから」
俺越しに、玲はサナの顔を見る。
今にも涎が垂れそうな間抜けな寝顔を見て、玲はクスッと笑う。
「サナが悩んでいることは、なんとなく伝わってた。だから、どうにか助けてあげられたらって思ってたの」
「お前はすげぇよ……。相手の気持ちを汲み取って、欲しい言葉をかけてやるなんて、簡単に真似できることじゃない」
どちらかと言うと、俺はサナ側の人間だ。
俺も、ずっと玲のそばにいる資格があるのか、考え続けていた。今となっては、玲たちから強い信頼を感じるし、俺も玲たちを信頼しているから、おかしなことは考えなくなった。
だからこそ、玲の言葉がサナを救ったということが、感覚的に分かった。
――――迷惑って、誰かがそう言ったの?
もし、俺が迷っているときにそう言われたなら、きっと救われていた気がする。
「凛太郎から教えてもらったことだよ」
こっちを見て、玲は微笑んだ。
「周りのことを考えられるようになったのは、凛太郎を見てたから。いつも私たちに尽くしてくれるあなたは、誰よりも人のことを考えられる人だと思う」
「お、おい……急になんだよ」
結局のところ、俺はストレートな誉め言葉に弱いのだ。
あまりにも照れ臭くなって、どうしても視線が泳いでしまう。
「凛太郎は私の原動力。これからも、ずっとそばにいてほしい」
そう言って、玲は俺の肩に頭を預けた。
「カッコイイ先輩の時間は、しばらくおしまい。私も疲れたから、今は凛太郎に甘える」
「……仕方ねぇな」
嬉しそうに笑った玲は、そのまま寝息を立て始めた。
この、無垢な顔をしたひとりの少女には、想像もつかないような努力と研鑽が詰まっている。
きっとこれからも、手を抜くことなく積み重ねていくのだろう。
玲がどこまで登っていくのか、この目で見届けたい。心の底から、そう思った。




