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休日。
俺は玲とサナを引き連れて、志藤グループの本社を訪れていた。
「ど、どひゃー……お金持ちだとは思ってましたけど、まさかあの志藤グループのご子息だったなんて」
遥か彼方まで伸びる吹き抜けを見上げ、サナが間の抜けた声で言う。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか⁉」
「ひけらかしたくねぇからだよ」
「もったいない! 私なら言いふらしますけどね!」
「お前、いつか面倒事に巻き込まれそうだから気をつけろよ?」
金持ちアピールなんて、大抵ろくなことにならないのだから。
「凛太郎、今日はMVのために、アクションを習うって聞いてる。どうしてここに来たの?」
「ああ、お前の先生に会いに来たんだよ」
「先生?」
受付で手続きを済ませると、しばらくして、その人物は現れた。
「お待ちしておりました、凛太郎様」
そう言って、親父の秘書――――ソフィアさんは、俺たちに向かって軽く会釈した。
「ソフィアさん? もしかして、先生って……」
「ご無沙汰しております、レイ様。それから、サナ様ですね?」
ソフィアさんに見つめられたサナは、緊張した面持ちで姿勢を正した。
「は、初めまして! 柴又早苗と申します!」
「私は、志藤社長の秘書を務めております、ソフィア・コルニロフです。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ……!」
あのサナが、一切ボケずにかしこまっている。
ソフィアさんの放つ堅物そうな雰囲気に、尻込みしてしまっているようだ。
「では、皆様こちらへ」
案内され、俺たちはエレベーターへと乗り込んだ。
止まった先は、地下一階。
バカみたいに高いビルなのに、地下へ向かうというのは、妙な拍子抜け感があった。
エレベーターを下りて廊下を進むと、そこには体育館のような広い空間があった。
壁一面には、ランニングマシンなどのトレーニング器具が。
部屋の奥には、ストレッチ用のマットが一面に敷かれていた。
「ここは、社員用のフィットネスルームです。社員の健康維持のため、最新のトレーニング器具をご用意してあります。凛太郎様の関係者であれば、いつでもご利用いただいて構いません」
「ふ、太っ腹ぁ……」
部屋の光景に圧倒されていたサナが、かろうじてそんな言葉を絞り出した。
「今日は、奥のストレッチコーナーを利用しましょう。レイ様、まずはお着替えのほうを」
「はい」
備えつけの更衣室へ向かった玲は、普段のレッスン着に着替えて戻ってきた。Tシャツに、かなり丈の短いズボン。相変わらず、少し目のやり場に困る。
「あの、りんたろう先輩?」
「どうした?」
「ソフィアさんって、秘書さんなんですよね? それがどうして先生なんですか?」
「俺の親父、ごちゃごちゃしてるのが好きじゃないみたいでさ。ひとつで何役もこなせるものを求めがちなんだ」
「お、お~……よく分からないですけど、なんだか社長っぽいですね」
「適当だなぁ。……ソフィアさんは、そんな親父のお眼鏡に適った逸材なんだ。なんたって、秘書としても、ボディガードとしても、超一流だからな」
保有している資格、会得した格闘技は、共に数知れず。
あらゆる現場において、誰もが求める万能な人物――――それが、ソフィアさんなのである。
「ずいぶん前だけど、俺も護身術を教えてもらったことがある。指導者としても、めちゃくちゃ優秀だったよ」
「し・ど・うグループだけに?」
「習ったことを試してやろうか? お前で」
「え、遠慮しておきますぅ」
サナが、スーッと俺から離れていった。
遠慮しなくてもいいのに。
「レイ様、柔軟は得意ですか?」
「はい、いつも入念にストレッチしてるので」
そう言うと、玲はI字バランス決める。
あまりにもスムーズに決めるものだから、思わず拍手してしまった。
そんな俺の隣で、サナも同じくI字バランスを決めるが、玲と違って、きつそうな顔をしている。できるだけでも相当すごいのだが、玲の手前、なんだか格好悪いことになってしまっていた。
「素晴らしい。格闘技――――いえ、あらゆる動きにおいて、関節の柔らかさは極めて大切です」
ソフィアさんが、足を天高く伸ばす。その動きは、玲よりもはるかに自然で、思わず上げた瞬間を見逃してしまうほどだった。
「ここまで関節が開くのであれば、ひとつ、伝授できる技がございます」
足を下ろしたソフィアさんは、その場で体を捻る。
次の瞬間、鞭のように放たれた回し蹴りが、フィットネスルームの空気を斬り裂いた。
「うっ――――おぉ~~~~~~!」
サナが、野太い歓声を上げる。
確かに、叫びたくなるほど美しい回し蹴りだった。
「実用性はともかく、舞踊やダンスなどにもよく取り入れられる、華のある技です」
「すごい、とてもかっこいいです」
「レイ様に褒めていただけるとは……!」
鉄仮面で有名なソフィアさんの顔が、柔和になる。
そういえば、すっかりミルスタのファンになったんだったな。
「あ、あの! 私にも教えていただけないでしょうか!」
隣にいたはずのサナが、ソフィアさんのもとで頭を下げていた。
「私は構いません。レイ様は?」
「ん、いいよ。一緒に教えてもらおう」
「ありがとうございます!」
サナのやつ、ずいぶんと嬉しそうにしているが、衣装のことは大丈夫なのだろうか。
「凛太郎様はいかがなさいますか?」
「え?」
「見ているだけというのもお暇かと」
俺は慌てて首を横に振る。
「そうですか、残念です」
ソフィアさんは、わずかに目を伏せたのち、玲たちに視線を戻した。
「えー! 先輩も一緒に受けたらいいじゃないですか!」
「俺はいいんだよ。お前らは集中しろ」
「ちぇ! カッコイイところ見られると思ったのに!」
不満を露わにするサナの隣で、玲は残念そうな顔をしていた。
「私も、凛太郎のかっこいいところ見たい」
「……わーったよ。あとでな」
玲にまで言われちゃ仕方ない。
果たして、この体は学んだことをちゃんと覚えているのだろうか。
失敗して笑われたくないし、できればやりたくないのだが。
「……なんか、りんたろう先輩って、レイ先輩には特に優しくないですか?」
「そう? 凛太郎はいつも優しいから、ちょっと分からない」
「うわっ⁉ すごい格差を感じます!」
サナの指摘に、思わず頬が熱くなる。
特別、玲にだけ優しくしているつもりはなかったのだが、言われてみれば、玲の頼みは特に断りにくいと感じているような。
「では、基本の動きからいきましょう」
そう言って、ソフィアさんは構えを取った。




