70-5
「ちょっと、もっとそっち詰めてよ」
カノンが身じろぎすると、玲が窮屈そうに顔をしかめる。
「これ以上は無理。もういっぱい」
「ふふっ、さすがに四人は狭いね」
楽しそうなミアを軽く睨むと、すぐにそっぽを向かれてしまった。
せっかくのリラックスタイムだったのに、これでは足を伸ばすどころではない。
今一度深いため息をつき、俺は空を見上げた。
「凛太郎、怒ってる?」
「今更怒るかよ。それより、もうちょいそっち行ってくれ」
「これ以上は無理」
そうは言われても、このままでは足先が玲に触れてしまう。
今だけでいい。どうにか体が縮まないものか。
「ど、どうよ凛太郎! アイドルとお風呂に入れるなんて、嬉しくてたまらないでしょ⁉ 鼻血もんでしょ⁉」
「お前は無理すんなよ……」
「むむむ、無理なんてしてないし⁉」
ひとりだけやけに照れているカノンは、虚勢と共に胸を張った。
どうしてこんなにも強がるのだろう。
「うーん……思ったよりも、凛太郎君が動揺してくれなかったな」
「勝手に反省会してんじゃねぇよ。お前のせいで慣れちまっただけだって」
「誠に遺憾だよ。ボクらの水着姿には、とてつもない価値があるんだよ?」
前のめりになりながら、ミアは言った。
胸の谷間に視線が吸い込まれそうになり、俺はとっさに天を仰ぐ。
別に、俺だって動揺していないわけではない。慌てたら、その分ミアを喜ばせると分かっているから、必死に平静を保っているのだ。
よく考えてみると、これも虚勢か。俺もカノンのことは言えないな。
「凛太郎、私たちの体、飽きちゃった?」
「言い方に気をつけろ……!」
「わぷっ」
玲の顔に、お湯をかける。
ムッとした玲は、近くにあった桶を手に取り、お湯をすくった。
「おい……まさか」
「やられたら、五倍にして返す」
「五倍はやり過ぎ――――ぶっ」
問答無用で、大量のお湯をかけられてしまった。
お湯をかけられたところで、当然なんてことはないのだが、不思議な敗北感が俺を襲う。
「なになに⁉ 勝負なら負けないわよ!」
「仲間外れはいただけないなぁ。ボクも混ぜてもらわないと」
「お前らまで⁉」
どこからか桶を取り出した二人は、俺に向かって大量のお湯をかけた。
何故俺ばかり狙うのだ。
仕方がない。こちらもやり返すしかないだろう。無論、五倍返しで。
寝室には、クイーンサイズのベッドがふたつある。
それぞれ二人ずつ、余裕で寝られる大きさだ。
「――――ねぇ、なんでそっちで寝るのよ」
ソファーに寝転がる俺に、カノンは不満そうに言った。
「俺がお前らと一緒に寝ていいわけねぇだろ。バカなこと言ってないで、さっさと寝るぞ」
「そう固いこと言わないでよ。寂しいじゃないか」
いつの間にか、三人が背もたれ越しに俺を覗き込んでいた。
俺はブンブンと腕を振って、三人を追い払う。
「いいから! もう電気消すぞ」
暗くなった部屋の中に、青白い月の光が差し込む。
山奥だからか、今日はやけに月が明るく見える。秋になったら、お月見のために泊まりに来るなんていうのもアリかもしれない。
「明日は何時起きだっけ?」
「朝ごはんを食べるなら、八時には起きてないとだね」
ベッドのほうで、カノンとミアがそんな話をしている。
このホテルの朝食は、ビュッフェ形式らしい。食べ放題なんて言われたら、この三人が大人しくしているはずがない。
「食い尽くすなよ?」
「大丈夫。気をつける」
気をつけずとも、普通は食い尽くすことなど不可能なのだが、玲の場合だと怪しい。
一品くらいなら、本当に空にしてしまうんじゃないだろうか。そのとき、万が一にもレイだとバレたら、即ネットニュース行きだろう。
「じゃあみんな、おやすみ」
「おやす~」
「ん、おやすみ」
俺は手をヒラヒラと振って、寝る前の挨拶を返す。
今日は移動が多く、なんだかんだ体が疲れている。これなら、慣れない場所でも苦労せず眠れそうだ。
そう思っていたのだが……。
体は疲れているはずなのに、やけに目が冴えている。
これでは、まるで遠足が楽しみで眠れない小学生みたいだ。
いつの間にか、寝室が静まりかえっている。全員すっかり眠ってしまったらしい。
俺は諦めて、自然と睡魔が襲ってくるまで、箱根の情報を調べることにした。
――――それから、どれだけ経っただろう。
ぼちぼち眠気を感じ始めた頃、寝室のほうから、人が動く気配がした。
ぼんやりとした意識で顔を上げると、玲がトイレに向かっていくのが見えた。
特に気にするようなことでもない。俺は安心して目を閉じた。
「――――凛太郎」
「ん……?」
名前を呼ばれ、沈みかけていた意識が浮上する。
目を開くと、そこには玲の顔があった。
玲は、優しげな笑みを浮かべ、俺を覗き込んでいる。
月明かりに照らされた金髪が、あまりにも幻想的で、俺は一瞬言葉を失った。
「どうした……?」
「凛太郎がいるなーって」
「ん?」
玲の目が、眠たそうにとろけている。どうやら、寝ぼけているらしい。
ベッドに誘導してやろうとすると、玲が突然、俺のソファーに飛び乗ってきた。
俺に覆いかぶさるような体勢になった玲は、とろんとした目で俺を見下ろした。
「おい……お前の寝床はあっちだぞ」
「やだ、凛太郎と寝る」
「お前なぁ」
玲は、何故か得意げな顔をして、俺の隣に寝転んだ。
俺はため息をついて、寝室に視線を向ける。
わざわざ叩き起こすのは忍びない。確か、玲はひとりでベッドを使っていた。ならば、俺と玲が寝る場所を交換すればいいだけの話である。
「じゃあ、俺が向こうで寝るから――――」
「だめ」
起き上がろうとすると、すごい力でソファーに引き戻された。
「凛太郎は、私と一緒に寝るの」
「い、いや、ちょっとそれは……」
「凛太郎は……私のモノ……」
俺に抱き着いたまま、玲がスヤスヤと寝息を立て始める。
彼女のやけに儚い寝顔は、触れたら壊れてしまうような、繊細な飴細工のようだった。
触れたいという衝動を、必死に抑え込む。このまま手を伸ばせば、彼女を壊してしまうような、恐ろしい想像が頭をよぎった。
このままでいい。少なくとも、今はまだ、この寝顔を見られるだけで満足だ。
ひとつため息をついて、目を閉じる。眠りの淵は、すぐそこまで迫っていた。




