67-3
「ただいま」
「おう……おかえり」
「……なんか疲れてる?」
げっそりしているであろう俺の顔を見て、玲は首を傾げた。
嫌なことがあったわけじゃないのに、精神的疲労がすごい。
ただ、それは玲には関係のない話である。
俺は頬を両手で挟むように叩き、意識をはっきりさせた。
「悪い悪い。全然大丈夫だ」
「ほんと?」
「ああ、問題なしだ」
俺がサムズアップしてみせると、玲は安心した様子で頷いた。
「凛太郎。渡したいものがある」
「……さすがに察しはついてるよ」
苦笑いを浮かべる俺をすり抜け、玲は戸棚を漁り始める。
お前もそこに隠してたんかい……。
「これ、チョコチップクッキー。……受け取ってくれる?」
「クッキー……」
「凛太郎、クッキーが好きだって言ってたから」
やはり、あのときの質問は、この日のためだったのか。
「ありがとな、覚えててくれて」
「ん、当然のこと」
玲のクッキーも、二人の菓子と同じで、ちゃんと包装されていた。
そして、口を閉じているのも、同じくピンク色のリボン。
こんなに被るということは、これが流行りなのだろうか? それとも、何か意味があるのだろうか。
「……いただきます」
包みを開き、少し歪な形をしたクッキーを手に取る。
「ごめん……何度やっても、上手く整えられなかった」
「気にすんな。手作り感があっていいじゃねぇか」
口に放り込むと、サクッとした食感と共に、優しい甘味が広がる。
決して甘すぎないクッキー部分と、チョコチップの甘さが調和していて、なんとも俺好みだった。
「どう……?」
「美味い。このくらいの甘さがちょうどいいよ」
「ん……よかった」
俺が自分用に作っていたクッキーと、ほとんど変わらない味。
なんだか、それがすごく嬉しいことのように思えた。
「前に家に招いてもらったときもそうだけど、上手くなったな、料理」
「色んな人が助けてくれるおかげ。今回も、なんだかんだカノンがアドバイスをくれたり、スタッフさんが教えてくれたりした。ひとりじゃ、多分完成させられなかった」
「最初は誰だってそんなもんだって」
「ん……ダンスなら、一回見たら大体覚えられるのに、料理は何度手順を見ても、全然覚えられない。難しい世界」
「俺とは真逆だな……」
一度レシピを見たら丸暗記できるし、料理過程が動画で上がっているものに関しては、すぐにトレースできる。
ただ、ダンスなんて、ひと月もらったとしても覚えられる気がしない。
「もっと料理が上手くなりたいなら、教えようか?」
「……ううん、それはいい」
玲が首を横に振る。
「私には、他にやらなきゃいけないことがあるから」
「……ああ、そうだな」
「逆に、凛太郎はダンス覚えたい?」
「わりぃけど、まったく興味ねぇよ」
「だよね」
そう言って、玲は笑顔を見せた。
俺も玲も、他のことにうつつを抜かしている場合じゃない。
不得意なことに手を伸ばしている暇があるなら、得意なことを伸ばすために使う。
未来のことは、今やるべきことを終わらせてから考える。
「私は、料理に興味ないわけじゃないけど……ずっと凛太郎と一緒にいるなら、覚える必要ないから」
「ずっと俺に作らせるつもりなのかよ……」
「だめなの?」
「いや、望むところだ」
こいつの体は、俺が作る。
それが俺の目標なのだから、譲ってたまるものか。
「でも、お菓子は毎年作る。そこは、女の子としてのプライド」
「そいつは楽しみだな」
もう一枚、玲のクッキーを口に放り込む。
こんなに美味いなら、いつでも大歓迎だ。
「贅沢だな、お前から毎年チョコをもらえるなんて」
「もちろん本命」
「意識させんなって……」
こっちからは、ほとんどやり返すことができないこの状況。
まるで、手足を拘束されたまま、全身をくすぐられているようなもどかしさがある。
「でも、凛太郎に意識してもらわないと、二人に取られちゃうかもしれないから」
玲は、不安そうにしながら、自身の手を握る。
俺は呆れ気味にため息をつき、彼女の頭を撫でた。
「そばにいるって言ってんだろ? お前は堂々としてたら、それでいいんだよ」
「……ん」
頷いた玲の頬は、赤く染まっていた。
「凛太郎」
「ん?」
「この手、もう少し借りてもいい?」
「借りる? 別にいいけど……」
俺の手を取った玲は、その手のひらに頬ずりし始めた。
冬場でもしっとりとした彼女の肌に、俺の手が触れている。
胸の鼓動が、激しく高鳴っていく。
「凛太郎の手、少し冷たくて、気持ちいい」
「な……なんのつもりだよ……」
「他の人に取られないように、マーキングしておこうと思って」
どうやら、玲は俺に自分の匂いをつけようとしているらしい。
くすぐったくてたまらないが、突き放すわけにもいかないし、しばらく我慢するほかなさそうだ。
「……ちょっと、時間かかりすぎじゃない?」
下りてきたカノンが、俺と玲にジト目を向けた。
「そんなことない。むしろ少ないくらい」
「くっ……人が気を遣ってりゃ調子に乗りおって……」
口調を乱しながら、カノンは地団駄を踏み始めた。
「まあまあ、あとがつかえてない分、最後になった人の持ち時間が多くなるのは、仕方のないことじゃないか」
「分かってるけどっ! いくらなんでも長すぎるって話!」
確かに、カノンやミアと話していた時間は、三十分くらいだった。
しかし、俺が玲とリビングで話していた時間は、大体一時間。
ひとり三十分という取り決めがあったのなら、だいぶオーバーしている。
まあ、そんな取り決め自体を知らなかった俺には、何も言う権利はないが。
「ごめん、凛太郎とイチャイチャしてたら、時間を忘れた」
「む、むかつくぅ~~~~!」
カノンの地団駄が、さらに強くなった。
「ふーん? イチャイチャしてたんだ、ボクを差し置いて」
「別にしてねぇよ……! ただ雑談してただけだ!」
俺と玲の会話は、本当に取り留めのないものだった。
進級の話とか、次のライブの話とか、その程度である。
「君と一対一で話してたら、それはイチャイチャとみなすよ」
「理不尽だろ……。じゃあ、雪緒と二人で話してるときも、その範疇に入っちまうじゃねぇか」
そう言った途端、三人の視線が、これでもかと俺に突き刺さる。
当たり前だろ、と言わんばかりに――――。
「まあ、終わったことだし、もういいわ。それよりも、ほら」
カノンは、ミアと玲に包みを投げ渡した。
「あんたらの分。一応、作っといた」
唇を尖らせながら、カノンはそっぽを向いた。
その包みは、俺がもらったマフィンの包みと同じもの。
それを見て、自然と俺の頬が緩む。
「ふふっ、なーんだ。考えることは同じだね」
「ん、同じ」
ミアと玲は、背中に隠していた包みを取り出した。
もちろん、それも俺がもらったものと同じである。
「凛太郎君には世話をかけているけど、それと同じくらい、二人にも感謝を伝えておきたくてね」
「……確かに、考えることは同じね」
カノンは呆れた様子でため息をつく。
「じゃあ、交換会ね。あたしも、あんたらのチョコ食べてみたかったの」
「ん、賛成」
話が落ち着いたのを見計らって、俺はソファーを立つ。
「よし、そんじゃコーヒーでも淹れるか。あ、それと――――」
俺は冷蔵庫に入れていたエクレアと、追加で作ったマカロンを三人の前に置いた。




