65-1 バレンタインシーズン
その日、学校に登校すると、教室の雰囲気がいつもと違うことに気づいた。
「おはよう、凛太郎」
「あ、ああ……おはよう」
雪緒の様子は、いつもと変わらない。
俺は違和感の正体を確かめるため、教室を見回した。
「なんか、みんなソワソワしてねぇか?」
「そりゃそうだよ。なんたって、もうすぐバレンタインデーだからね」
「……ああ、バレンタインか」
ようやく合点がいった。
この違和感の正体は、男どもにあったのだ。
ほとんどの男子が、きょろきょろと女子の動向を観察している。
――――なんか、キモイな……。
彼らの気持ちは分からないでもないが、必死さがあまりにも哀れすぎる。
それに比べ……。
「うっす!」
「おはよう、凛太郎、稲葉」
声をかけてきた堂本竜二と柿原祐介に、挨拶を返す。
クラスでも群を抜いたリア充である彼らの余裕っぷりは、もはや清々しいとすら感じた。
「どいつもこいつも、なーんかソワソワしてんな。何かあったんか?」
「もうすぐバレンタインだからじゃないか? 去年もこんな感じだったし」
「ああ! そういやもうすぐじゃねぇか!」
竜二のでかい声が、教室に響く。
その瞬間、男子たちの肩がビクッと跳ねた。
「柿原くんは、去年たくさんチョコもらってたよね。何個くらいだったの? あれ」
「え? あー……んー……ごめん、数えてなかった」
そう言って、祐介は頭を掻いた。
男子たちの鋭い視線が、祐介に集まる。
当然のように敵認定されていることが、かわいそうであり、同時に面白くもあった。
「梓からもらえるかどうかのほうが大事だったもんな、お前」
「こ、ここで言うなよ……」
「実際もらえたのか?」
俺がそう訊くと、祐介は遠い目になった。
「あ、ああ……なんかすまん」
「いや、変な誤解させてごめん。実際もらえたんだよ、義理だったけど」
「なるほどな。それもちょっと切ないが……」
「もらえただけマシだよ。それに、今年は去年と違うから」
祐介は、幸せそうに頬を緩めた。
報われてよかったな、本当に。
「ひゅう、お熱いねぇ」
「そう言う竜二だって、今年はほのかからもらえるんだろ?」
「……あいつのチョコに期待できると思うか?」
ギンッと目を見開いた竜二に、俺たちはゾッとした。
こいつは、地獄を知った男の顔だ。
「いや、あいつの名誉のために言っておくとだな……一応頑張ってはいるみたいなんだ。何度か飯作ってくれたし」
「おお、すげぇじゃん」
「五回中、五回は腹壊したけどな」
「百パーセントじゃねぇか」
どうしたらそんなヤバイものが作れるのか、逆に訊きたいくらいだ。
「まあ、もらえるんなら、全部食うつもりだけどな」
そう言って、竜二は赤くなった頬を掻いた。
なんだかんだ言って、こいつも幸せ者ということか。
「そういえば、稲葉も去年はめちゃくちゃ人気だったって聞いたけど」
「あ、うん……まあ、たくさんもらえたけど」
祐介の言葉に、雪緒は浮かない顔になった。
確かに、去年雪緒は大量のチョコをもらった。
そのうち、半分以上が本命だったと聞いている。
普通の男子からしたら、羨ましい限り。しかし、異性に関してあまりいい経験をしてこなかった雪緒にとっては、脅迫文のように映ってしまったらしい。
だから、雪緒にとってバレンタインは、あまりいいイベントではないのだ。
そんな事情を知らない祐介と竜二が、様子のおかしい雪緒に首を傾げている。
俺は雪緒の頭をクシャッと撫でて、ニヤリと笑った。
「あんまり得意じゃねぇんだよな、チョコ。去年はしんどかったろ?」
「っ! う、うん、そうなんだよ」
雪緒は、笑顔で俺に話を合わせた。
「ああ、それはキツイな……」
「オレも甘いもんはそんなに食えねぇんだよなぁ……。ラーメンなら何杯でも替え玉できんのに」
竜二の言葉に、俺たちは笑う。
そのとき、教室に二階堂と野木が入ってきた。
「お、相方が来たぞ。合流しなくていいのか?」
「あっ……! じゃあ二人とも、またあとで!」
そう言って、二人は彼女たちのもとに向かった。
それを見送った雪緒が、俺の袖を引っ張る。
「ごめん、ありがとう」
「別に、たまには誤魔化しが必要なときだってあるさ」
祐介たちには申し訳ないが、雪緒は自分の事情について誰にも話すつもりがないらしい。
ならば、俺はその意思を尊重するだけだ。
「あーあ……本当は大好きなんだけどな、チョコ」
「まあまあ、今年も俺が用意してやるよ」
「いいの⁉」
「当たり前だろ?」
「でも、今年はあの三人の分で忙しいんじゃない?」
――――そういえば……。
バレンタインのことをすっかり忘れていたせいで、まったく考えていなかった。
確かに、彼女たちの分は用意しなければならないだろう。
とはいえ、雪緒の分が用意できないほど忙しくなるかと言われたら、それはノーだ。
「あいつらのはあいつらの分として用意するけど、お前のは別でちゃんと用意するからさ」
「ほんと⁉ 凛太郎大好き!」
「大袈裟だなぁ」
呆れた顔をしながら、俺は仕事でいない玲の席を見た。
〝凛太郎って、甘いもの苦手……だよね〟
ふと、彼女の言葉を思い出す。
あれって、もしかして――――。
……いや、変な期待はやめておこう。
バレンタインは、渡す側のほうが気楽だ。




