56-3
……腹が苦しい。
しかし、動けないほどではない。
「凛太郎、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。でもちょっとゆっくり歩いていいか?」
「うん。のんびり行こう」
玲がそう言ってくれて助かった。
歩けば歩くほど、きっとこの満腹感も薄れていくことだろう。
「お笑いライブやってまーす! お笑いライブどうですかー!」
「ん?」
歩いていると、道端でそんな風に叫んでいる人を見かけた。
「お笑いライブだって。興味あるか?」
「行ったことないから、ちょっと気になる」
「俺もだ」
思い立ったが吉日。
俺と玲は、案内に従ってお笑いライブを見に行くことにした。
たどり着いた場所には、地下に伸びた階段があった。パッと見では怪しさ満点だが、ちゃんとお笑いライブの張り紙が貼ってあった。どうやら複数のコンビが、合同で開いたイベントらしい。
二人で入場料を払い、会場の中へ。
会場は思っていたよりも狭く、座席の数はせいぜい三十前後といったところか。
「つーか、全体的に薄暗いな……」
「地下の会場は、大体こんなものだと思う」
「へぇ……」
「多分、普段は音楽ライブに使われてるんだと思う。ステージの端に機材とかある」
「あ、ほんとだ」
よく見れば、ドラムやアンプが隠されている。
あれを見ると、文化祭でバンドを組んだときのことを思い出す。久しぶりにベースの練習しようかな。まだ一曲しか弾けないし、せっかく譲ってもらったのだから、もう少し上手くなりたい。
「そう言えば、お前らにもライブの練習に付き合ってもらったっけ」
「ん、懐かしい」
「まだ半年も経ってねぇけどな」
そうツッコミながら、俺は自分の言葉に驚く。
文化祭があったのが九月だから、まだ三か月しか経っていないことになる。そんなバカなと言いたくなった。感覚的には、もう一年前くらいな気がする。それだけ日々が濃密ということだろうか?
「面白いといいね」
「え? あ、ああ、そうだな」
玲が放った一言で、俺は顔を引き攣らせる。
きっと彼女に悪気はないのだ。悪口や嫌味を言える性格じゃないことは分かっているし、今の言葉だって、純粋にこのライブを楽しみたいという気持ちから出たものだろう。しかしこの発言を出演者が聞いていたら、かなりのプレッシャーになってしまうに違いない。
「ん、そろそろ始まるみたい」
席に座って待っていると、楽しげな音楽が鳴り始めた。
そして最初の出演者が、ステージ上に現れる。
「「どうもー! マダラメロンです!」」
――――その名前はどうかと思うぞ。
「……」
「……」
それから一時間ほど芸人のライブを見ていた俺たちは、無言で会場をあとにした。この空気で察してほしいのだが、うん……まあ、良くもなく、悪くもなく。芸人からすれば〝つまらない〟よりも言われたくない言葉かもしれないが、もうそう言うしかないのだ。
「……面白いところもあったね」
「ああ……」
そう、面白いところもあった。
面白いところと、面白くないところがあった。
塩梅がなんとも絶妙で、面白いと思った直後に白けるやり取りがあり、ずっとその高低差を味わわされていた。
「芸人って大変だよな……客の反応が悪くても、最後までやり切らないといけないんだから」
思ったことをそのままつぶやく。
俺たちは、多分いい客とは言えない。俺も玲も口を開けて爆笑するタイプじゃないし、会場の盛り上がりには一切貢献できなかった。それでも芸人たちは、最後まで自分たちの漫才をやり切った。
笑いとは別に、どこか感動してしまった。
「収録で出会った芸人さんたちも、ああいう時代があったのかな」
「そうか、お前は売れてる人たちとも会ってるもんな」
バラエティに出演した際は、玲も一流の芸人たちと顔を合わせている。
テレビで活躍している人たちは、やっぱりそこにいられるだけの技術とハートの強さを持っているのだろう。
さっきの出演者たちは、全員芸歴の浅い新人だった。まだまだこれからということなのだろう。いつか、彼らを地上波で見ることがあるかもしれない。
「テレビで合う芸人さんは、みんな面白い。収録の裏でも、笑わせようとしてくれる」
「へぇ……やっぱり芸人ってすげぇな」
「でも、危険な人もいる」
そう言いながら、玲はどこか不満そうな表情を浮かべた。
「芸人さんに限らないけど、連絡先とかしつこく聞いてくる人は、ちょっと危ない。私たちは近寄らないようにしてる」
「おいおい……未成年をナンパしようとするやつなんているのか?」
「たまにいる。どういう意図かは分からないけど」
どういう意図かなんて、そんなの分かり切っているだろう。
俺は自分が怒りを覚えていることに気づいた。
「……気をつけろよ、ほんとに。玲が狙われるのは当たり前なんだから」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃお前が可愛――――」
はっきりぶちまけそうになって、俺は慌てて口を閉じる。
恐る恐る隣を見ると、玲は目を細め、からかうような笑みを浮かべていた。
「そっか、凛太郎は私のことを可愛いと思ってくれてるんだ」
「……口が滑った。忘れろ」
「やだ。忘れない」
玲は無邪気に舌を出して、俺を挑発する。
これはもう取り返しのつかない事態だ。だったら開き直るしかない。
「……お前は可愛いよ。ずっと前から」
その言葉は、自分でも信じられないくらいスムーズに飛び出した。
小さい頃、俺は玲と会っていた。俺が料理好きになったのは、玲の影響だったんだ。
あの頃から、玲はずっと魅力的だった。その魅力は、今もなお増し続けている。そして俺の胸に秘めたこの想いも、看過しきれない大きさになっていた。
「お前が俺の世界を変えてくれたんだ。だから、その……ありがとな」
急に照れ臭くなって、最後は言葉を濁してしまった。
しくじった感は強いけど、なんだか妙にすっきりしている俺がいる。
「恥ずかしいから……あんまり言わせんなよ――――って、どうした?」
「……凛太郎、それは反則」
玲は顔を真っ赤にしながら、こちらを見つめていた。
どうやら、俺の言葉が彼女を照れさせてしまったようだ。
ここからは一転攻勢。俺のターンというやつである。
「あらら、玲さんや……照れてしまいましたか」
「凛太郎にそんなこと言われたら、絶対照れる」
「そうかそうか」
満足げに頷いた俺を見て、玲はどこかムッとしたのだろう。
突然俺の手を取って、その体を寄せてきた。
「なっ……」
「今日は手を繋いで歩くって決めたから」
「だからってこんなくっつかんでも……」
「だめ?」
「っ……」
相変わらず、こいつの上目遣いは最強だ。
やっぱり、誰もこの魅力には敵わない。
「……分かったよ。はぁ、結局お前のペースじゃねぇか」
「まだまだ若い人には負けない」
「同い年だって」
どこか噛み合っていないような、それでいていつも通りの会話をしながら、俺たちは歩く。
さて、まだまだ時間は残されている。
次なる目的地を考えながら歩いていると、不意に面白そうな看板が目に入った。
「凛太郎、あそこ面白そう」
「ああ、俺も同じこと考えてた」
俺たちの視線の先にある看板には〝猫カフェ〟と書かれていた。




