51-2
――――凛太郎?
誰かに名前を呼ばれた気がして、俺は目を開ける。
眠りについてから、どれだけの時間が経ったのだろう。
体は汗でじっとりと濡れている。しかし、そのおかげか少しだけ楽になっているような気がした。
「うっ……」
「あ、起きないでいいよ」
「玲……?」
「今帰ってきた。ただいま」
「ああ……おかえり」
起き上がろうとした俺の体を、玲は再びベッドに寝かせた。
心配そうにこちらを見つめる玲を見て、俺はひどく安心した。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いいよ……大丈夫。それより、飯はどうした? 外で食ってきたか?」
「お弁当を買ってきた。ご飯のことは心配しないで?」
「そうか……悪い、作れなくて」
謝ると同時に、きゅっと心臓が締めつけられるような感覚を覚えた。
情けなさと罪悪感で、涙が滲みそうになる。
「……大丈夫だよ、凛太郎。そんな日だってある」
「玲……」
「辛いときは休んでほしい。こういうときは頑張らないでいてくれたほうが、私たちも安心」
「……そうか」
――――今は頑張らなくてもいいのか。
そう思った途端、気持ちがスッと軽くなった。
そうか、俺はずっと、玲たちを失望させるのが怖かったんだ。
「明日から、毎日交代で凛太郎の看病をする。必ず誰かが家にいる状態にするから、凛太郎は安心して休んでて」
「わ――――ありがとう」
〝悪い〟と言おうとして、俺は言葉を変えた。
玲が欲しがっている言葉は、謝罪ではない。
この状況、俺が玲の立場なら、そう思うはずだから。
「ん、今はまたゆっくり休んでほしい。たまに覗きに来るけど、何かあったらすぐに言ってね」
そう言いながら、玲は俺の枕元にスポーツ飲料を置く。
「分かった……二人にも礼を伝えておいてくれ」
「了解。それじゃ、またあとでね」
玲が部屋を去っていく。
体調が悪いとき、自分以外の人が家の中にいてくれるのは、こんなにも安心するのか。
その安心感のおかげか、すぐに眠気が襲ってきた。
――――今は、あいつらがいてくれる。
そうして俺は、再び眠りについた。
◇◆◇
「寝た?」
「多分」
「そ。……しばらくは様子見ね」
レイがリビングに戻ると、そこには神妙な面持ちの二人がいた。
彼女たちが座っていたソファーに、レイも腰かける。
「さて、色々と問題が出てきたね」
そう言いながら、ミアは弁当どころか、何も置かれていないテーブルを眺めた。
彼女たちは、弁当など買っていない。
レイが凛太郎に対して嘘をついたのは、彼を心配させないためだった。
「……まさか、二人ともお弁当を買わずに帰ってくると思わなかった」
「それはあんたもでしょうが……今更、市販のものを食べたくなかった。それだけの話よ」
「右に同じだね。一応お店には寄ったけど、ボクも何も買う気が起きなかった」
普段から凛太郎の温かい料理を食べているうちに、三人はそれ以外の食事に対する関心を失っていた。高級料理など、家ではなかなか食べられないものとなると少し話は変わってくるが、元々彼女たちは、そんなものにほとんど興味はない。
三人が求めているのは、自分たちのためを想って作られた、凛太郎の料理なのだ。
食事を摂らなければならないことは、重々分かっている。しかし、どうしても食欲がそそられない――――そんな状況。凛太郎がいないというだけでまともな生活が送れなくなっているということに、三人は改めて気づかされた。
「……確か、焼きそばが残ってたわよね」
「まさか、カノンが作るのかい?」
「不満かもしれないけど、何か食べないとダメでしょ? どっかで買ってくるくらいなら、あたしが作ったほうがまだよくない?」
「……そうだね。カノンが作ってくれたものなら、ボクも食べたいよ」
「レイもそれでいいわね?」
そう問われたレイは、ひとつ頷いて見せた。
「じゃあさっさと作るわ。テーブルの上だけ片づけておいて」
カノンに指示された二人は、いそいそとテーブルの上を片付け始めた。
「はい、召し上がれ」
そう言いながら、カノンは大皿にこれでもかと盛られた焼きそばをテーブルの上に置いた。具はキャベツ、豚肉、もやし、玉ねぎ。ソースのいい香りがリビングに漂い、三人の腹の虫を刺激した。
「美味しそう」
「変なことはしてないから、まずくはないはずよ。早く食べましょ」
取り皿によそって、三人は焼きそばを食べ始める。
ソースの風味と香ばしさが鼻を抜け、三人は一心不乱に箸を進めた。
――――しかし、しばらくすると、その箸がぴたりと止まる。
「……物足りないわね、なんか」
レイとミアは、作った本人であるカノンに気を遣って、何も言わずにいた。
ただ、カノンに同意を求められると、素直に頷いてみせた。
「なんでだろう。味は美味しいのに、物足りなく感じる」
「そうだね……飽きがきてしまうというか、なんというか」
三人とも、神妙な面持ちで目の前の焼きそばの山を見つめる。
まずいわけではない。それだけは間違いない。しかし、凛太郎が作るものとは、明らかに違っていた。
「……そういえば、前にあいつが焼きそば作ったとき、別でソースを作ってたわね」
カノンの実家で、凛太郎は一度焼きそばをつくったことがある。
そのときに、彼は麺に付属していた粉ではなく、オイスターソースやウスターソースでオリジナルのソースを作っていた。元となる味は変わらないが、複数のソースを使うことで、味に深みが生まれていたのだ。
「一見簡単に作れそうな料理でも、彼なりの工夫が詰まってるってことなんだね」
「恐れ入ったわ。まさかこんなに違うなんて」
カノンは盛大にため息をつく。
しばらくの間、三人はただ黙々と焼きそばを食べ続けた。
やがて三人は焼きそばをペロリと完食し、ミアとレイの手で洗いものを済ませた。
そうしてひと段落ついたあと、再びソファーに腰かけた三人は、これからどうしたものかと考えを巡らせる。
「明日はボクだけが家にいられるんだよね」
「ええ、あたしとレイは仕事が入っちゃってるからね……」
「ちゃんとスケジュールを確認しておこうか」
ミアがメモを取り始める。
「まず、明日はボク。その次の日は、カノンだけ仕事が休みなんだよね?」
「そうよ」
「明々後日は、レイだけが空いてる……と。合ってるかな?」
ミアがそう訊くと、レイは頷く。
「仕事が完全に被らなかったおかげで、必ず誰かが凛太郎君の傍にいられるのはよかったけど……なんか、都合いい感じになったね」
三人が三人とも理解している。
このシチュエーションは、凛太郎へのアピールチャンスであるということを。
「あんたら、あたしがいない間にりんたろーの体調が悪化するようなことしたら、許さないからね」
「こっちのセリフ。凛太郎に無茶だけはさせないで」
「当然だよ。大前提として、ボクらがやらなければならないのは、彼の看病だ。体調不良の弱みにつけ込むような真似は、看過できないよ?」
三人の視線がぶつかり合い、火花が散る。
こうして、今をときめくアイドルたちによる、熾烈な看病バトルが幕を開けた。




