31-1 対策会議
カノンの家に行った日から、二日経過した。
今日は玲が仕事の遠征から戻ってくる日。
俺が用を終えてすでに帰宅していることは、彼女に告げてある。
二日ぶりに俺の作った飯が食べられるとはしゃいでいる様子の彼女を喜ばせるべく、今日はいつも以上に手の込んだ料理を用意するつもりだ。
「ん……いい感じ」
俺は味見用の小皿から口を離し、そう呟いた。
今日の献立は、ビーフシチュー。
デミグラスソースを元にした、本格的な物を作ってみた。
とはいえお店で出るような物とは比べ物にならないくらい簡略化されているだろうが、ビーフシチューのルーを使った物と比べれば少しは本格的と言える……はず。
デミグラスソースに、トマトペースト、コンソメや赤ワインを入れて、ソースを作る。
具材の方は牛もも肉に、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、ブロッコリーなど。
一度全体を炒めてあらかた火を通した後、それらをソースの中でコトコトとじゃがいもが柔らかくなるまで煮込む。
味は塩コショウで整えつつ、気になり過ぎない程度に少しニンニクを入れてみたりすると、絶妙に食欲をそそる香りが周囲に立ち込めた。
こだわった点を少し挙げるとすれば、具材を炒める際にバターを使ったことだろうか。
これでコクが出て、シチュー自体がさらに濃厚に感じられる。
最後に具材にもっと味を染み込ませるために、一時間ほど放置して完成。
「っと、そろそろか」
玲からもうすぐ着くというラインが来たため、食器の準備をし始める。
すでにビーフシチューの方は温め終わっているため、いつでも食べられるようになっていた。
一緒に食べるために用意したバケットも口に入れやすい薄さにカットしてあるし、準備は万全と言ったところだろう。
そんなこんなをしていると、玄関扉が開く音がして、控えめな足音がリビングの方へと近づいてきた。
「――――ただいま、凛太郎」
「おう、おかえり」
リビングに入ってきた玲は、俺を見つけて嬉しそうな表情を浮かべた。
たった二日くらいしか離れていなかったのに、そんなに俺が恋しかったか。愛い奴め……などという茶番は置いといて。
「手、洗ってこい。もう飯できてるから」
「うん。……いい匂い」
「ビーフシチューだ。味は保証するぞ」
「楽しみ。ちょっと待ってて」
そう言い残し、玲は洗面所の方へと足を運んだ。
やはり玲との会話はどこか落ち着く。
一人でいるしかなかった昨日はまた少しだけ不安を募らせる羽目になっていたのだが、それも玲の顔を見ただけで吹き飛んだ。
これなら食後に話そうと思っていることに関しても、きっと上手く伝えられる気がする。
「手、洗ってきた。うがいも済んでる」
「よし、腹は空いてるか?」
「もちろん。ペコペコ」
「じゃあ座って待っとけ。すぐに用意するから」
玲を待たせ、俺はビーフシチューを皿によそう。
そして最後に軽くパセリをふりかけ、それを彼女の前まで持っていった。
「すごい、本格的」
「味もまあまあ寄せられたと思うぜ」
俺は一度キッチンに戻り、自分の分のビーフシチュー、そして簡単に作ったサラダを持ってきてテーブルへと並べる。
そして俺と玲の間に切り分けたバケットを置いて、準備万端。
俺たちは手を合わせ、食事を始めることにした。
「「いただきます」」
玲がビーフシチューをスプーンですくい、口に運ぶ。
この料理を作った者として、なんとなく相手の最初の一口はついつい観察してしまう。
ホロホロと崩れた肉と共にビーフシチューを口に運んだ玲は、すぐにその目を輝かせ始めた。
「美味しい!」
「そいつはよかった」
「お肉がすごく柔らかい……! トロトロで美味しい」
そんな感想を最後に、玲は食事に夢中になる。
同じようにスプーンで食べたり、バケットと一緒に食べたり。
その姿を見て、やはり俺はたまらない喜びを覚えるのだ。
「おかわりはまだまだあるから、欲しくなったら言ってくれ。あ、それと一応白米もレトルトだけど用意したから、試してみたかったら――――」
「試してみたい」
「……はいよ」
飯のこととなると、玲はいつだって食い気味だ。
……我ながら上手いことを言った気がする。
まあそんなことは置いてといて、俺は玲の器におかわりをよそいつつ、電子レンジでレトルトご飯を温めた。
白米がビーフシチューに合わないという道理はない。
ハンバーグで飯が食える以上、同じデミグラスソースが元になっているのだから、合わないわけがないのだ。
もちろん俺の好みの話だし、バゲット派を否定するつもりはない。
どっちでも美味けりゃそれでいいだろう。
ただクリームシチューを白米と一緒に食べる感覚は俺には分からん。
白と白で全部真っ白やんけ。
――――という、どうでもいい話。
「ほい、おかわり分と白米」
「ありがとう」
俺が作った料理は、瞬く間に玲の胃袋へと消えていく。
すでに自分の分の食事を終えてしまった俺は、それを見つめながら小さく笑みを浮かべるのであった。
◇◆◇
「ごちそうさまでした」
「あい、お粗末様」
玲に食後の休憩を取らせている間、俺は自分たちで使った食器を洗っていく。
俺たちが気に入っている、やすらぎの時間。
そんな大事な時間に、俺は今から不釣り合いな話題をぶち込まなければならない。
「玲、ちょっといいか?」
「ん?」
スマホを見ていたところに話しかけると、玲はすぐに顔を上げてくれた。
そしてスマホをテーブルの方へと置き、俺の方へと体を向ける。
「何か話?」
「ああ、割と大事なことだ」
俺はまず、自分の身に起きていることを包み隠さず玲へと伝えた。
志藤グループに呼ばれ、天宮司グループの娘である天宮司柚香との婚約を迫られたこと。
それ自体は断ったが、天宮司柚香がどんな手段を使ってでも俺を婚約者にしようとしていること。
そして――――。
「私たちの関係が、弱点になる……?」
「ああ、そうなる可能性が高い」
俺たちの間に緊張が走る。
ここまで一緒に過ごしてきてなんだが、俺たちの関係が世間様にバレていないのは奇跡に等しい。
外では変装して過ごしていることの多い玲だが、迂闊だと思う時は何度もあった。
そしてそれは俺も同じ。
気を緩めているつもりはないが、慣れというものは恐ろしいもので、周囲を警戒する機会は減っていっているように思える。
遅かれ早かれ、俺たちには気を引き締め直すタイミングが必要だった。
「……悪い。俺のせいで迷惑をかけて」
「迷惑だなんて思っていないし、まだ迷惑なことになるって決まったわけじゃない。それで、私はどうすればいい?」
「特に玲の方でしてもらいたいことっていうのはないんだが、俺の方はしばらくこのマンションに近づかないようにしようと思う」
「え……?」
玲の表情がいつにも増して固まる。
こんなこと、突然言われたのだから無理もない。
「しばらくは優月先生を頼ろうと思ってる。どれくらいの期間かは分からないけど、とりあえずほとぼりが冷めるまでは――――」
「……やだ」
「へ?」
玲が突然立ち上がり、俺は驚きのあまり硬直してしまう。
「凛太郎と離れるのは……やだ」
「っ……」
玲の目は、今にも泣き出してしまいそうなほど潤んでいた。
こんな顔、俺はまだ見たことがない。
顔を押さえ、玲は玄関の方へと駆けていく。
「玲……!」
「――――ごめん、少し頭冷やしてくる」
そう言い残し、彼女は部屋を出て行ってしまった。
対する俺は、この場から動けずにいる。
まるで足を床に縫い付けられてしまったかのような、そんな感覚。
脳が情報を処理し切るまでの間、ただただ俺はそうしていることしかできなかった。




