03 変質者の知り合いはやっぱり変な人でした。
ユカは店の看板を見上げた。
『魔法の杖専門店 悪魔の痰ツボ』
とても嫌な店名に、彼女は顔が引きつった。そして脚は石になったかのように全く動かなくなった。
「何をしてるんだい? 早くおいでよ」
ヘイヤが店から顔を出して手招きした。
「え? あ、はい……」
ユカは蚊の鳴くような声で返事をすると、引き寄せられるかように店の中へと入った。
彼女は思った。今日は厄日だと。殺人鬼に襲われかけ、変態と知り合いになり、卑猥な物を見せられた。今日の運勢は大凶で間違いないと確信した。
しかし、一つだけ希望があった。少なくても死んでしまう程に運が悪いわけではないという事だ。だから、この店でどれだけ酷い目に遭ったとしても、死ぬ事は無いと思い、覚悟して中へと入ったのである。
中に入った瞬間、ユカは大きなくしゃみを1つした。とても埃っぽかったからだ。
それだけではなかった。とてもカビ臭かった。昼間だというのにとても薄暗く、クモの巣だらけ。おまけに陳列棚であったと思われる物は、全てボロボロで使いものにならないくらいであった。
「足元に気をつけてね。最近床板が腐ってきたみたいでさ、前回来た時は足を踏み抜いちゃって、穴を開けちゃって怒られたからさ」
ヘイヤはユカの手を取ると、慎重に店の奥へと案内していった。
「何のようだ?」
店の奥にはカウンターがあり、そこにアライグマの老人が頬杖をつきながら待ち構えていた。そして『いらっしゃいませ』の代わりに今の言葉を発したのであった。
第一印象は最悪だった。無愛想で不機嫌。できる事なら今すぐにでも立ち去りたいくらいだったが、ヘイヤにしっかりと手を握られているため、ユカはそうする事ができなかった。
「やあ、オリバー」
店主の様子を全く気にする事無く、ヘイヤは彼に挨拶した。
「彼女に合う杖が欲しいんだ。後、僕の杖のメンテナンスをお願いしてもいいかな?」
ヘイヤはそう言いながら、かぶっていた帽子を取る。するとオリバーと呼ばれた老人はそれを奪うように取った。そして帽子のあちこちを見る。
「また派手に暴れたみたいだな。前回修復したところもだいぶ傷んでいる。ヘイヤさんよ、何度も言わせてもらうが、こいつはもう限界だよ。だいたい他人の杖を改造するだなんて無茶なんだ。気持ちは分かるが諦めな」
オリバーは鼻を鳴らしながら、乱暴に帽子をカウンターの上に置いた。
「そこをなんとか……僕にはまだこれが必要なんだ……」
ヘイヤは明らかに困った様子で帽子をオリバーの方へと寄せる。
「……へっ、諦めの悪い奴め。分かったよ。じゃあ、いつも通りに補修と補強だな?」
オリバーは舌打ちすると、帽子を取ってカウンターの下にしまった。そして、ユカの方を見る。
「で? このお嬢ちゃんに杖を売ってやればいいんだって?」
「ど、どうも……お願いします……」
ユカは小さな声で言った。
「何が欲しい? ワンド型か? スタッフ型か? 言っとくが洒落たチャーム型を探しているなら他を当たってもらおうか!」
「え? え?」
ユカは知らない言葉ばかりを並べられて、答える事ができなかった。仮に全て知っていたとしても、彼の激しい口調の前ではうまく答える事ができなかったのだろうが。
「あ、ゴメン。彼女、まだ杖の事をよく知らないと思うんだ。説明してあげてくれないかな?」
「何だと? これからアンタの杖を直すのに忙しくなるってのに、そんな常識的な事を教えなきゃいけねぇってか?」
「頼むよ……やっぱり、その道のプロの前で説明するだなんて僕にはできないよ……ほら、礼はするからさ」
そう言ってヘイヤはパンツの中から酒瓶を取り出して、カウンターの上に置いた。色からしてウィスキーだろうか。
「……まあ、いいだろう。良かったな、お嬢ちゃん。この王子様のおかげで俺は気分がいい。一回しか言わねぇから、聞き洩らすんじゃねぇぞ!」
オリバーはカウンターの下に酒瓶をしまうと、代わりに3つの何かを取り出した。
指揮棒のような物、長い棒状の物、そしてヘイヤの帽子だ。
「……さて、まさかとは思うが、杖が何のためにあるかも知らないわけじゃねぇだろうな?」
「あ、はい! 魔法の力を増幅させたり、制御しやすくしたりするための物です!」
ユカはオリバーの剣幕に負けじと大きな声で答えた。
「よし! ならいい。じゃあ、杖にはどんな物があるか教えてやる」
オリバーはそう言うと、指揮棒のような物を手に取った。
「これはワンド型の杖だ。短めで軽くて扱いやすい。クセが少なくて万人に好まれるタイプだ。ただし、耐久性は弱い。これで誰かを殴ってみろ。確実に杖が真っ二つになるだろうよ」
彼は杖の先端をユカに向けて言った。
「これの亜種にバヨネット型ってのもある。耐久性を高めた奴で、近接武器としても使える優れ物だ。だが、その分重い。それに耐久性があるって言っても限度がある。ガキみたいに振り回したら、簡単に折れるだろうよ」
彼はワンド型の杖をカウンターの上に置くと、代わりに長い棒状の物を手にした。
「今度はスタッフ型だ。デカくて頑丈なのが特徴、それにワンド型よりも魔法の力を増幅させる力が強い。近接武器として使う事を前提にしてるんで、無茶な使い方でもしない限り折れる事はない。だが、重いし取り回しに工夫が必要だ」
彼はスタッフ型の杖をカウンターの上に置くと、代わりにヘイヤの帽子を手にした。
「最後にチャーム型だ。『杖』と言われてるが、実際は指輪や首飾りといった装飾品の形をしている。これもそうだ。魔法の力を増幅させる力は最も高い一方で、制御する力も耐久性も最も弱い。かなり極端な性能だ。杖を使わずとも安定して魔法が使える人向きだ」
彼はヘイヤの帽子をカウンターの下にしまった。
「以上だ。 で? どれが欲しい?」
「えっと……」
ユカは考え込んだ。
彼女は今まで魔法を使う時に杖は使用しなかった。ヤマト国では杖屋は極端に少なく、そして高価だからだ。部活の備品としても無かった。だから、杖を使わないスタイルで魔法の練習を続けてきた。
それを考えると、チャーム型が向いているのではないかと思った。
しかし、今までやってきたのは独学と言ってもいいような内容であった。とすると、これから基礎を習う上ではワンド型の方がいいのかもしれないと思った。
「じゃあ、ワンド型で……」
ユカが出した答えはこれであった。
「やっと決めたかい。日が暮れるかと思ったよ! じゃあ、ワンド型で在庫を調べるから、その間にこの書類を書いて待ってろ」
オリバーはそう言ってカウンターの下から一枚の書類と羽ペンを取り出して置くと、忙しそうにカウンターの奥へと消えていった。
「何ですか? この書類……」
ユカはヘイヤに訊ねた。
「えっと……『杖使用者……』なんだっけ? 正式名称は忘れたけど、自動車で言うならナンバープレートみたいなものさ。杖とその持ち主を紐づけするための大事な書類だよ」
「へぇ……」
とりあえず杖を持ち歩くには必要である事は分かったため、ユカはさっそく書類に記入しようと羽ペンを手に取った。
するといきなり、その手をヘイヤが掴んだ。
「あ、ちょっと待って」
「はい?」
「君、貧血になりやすい方?」
「いいえ、違いますけど……どうしました?」
「この手の書類には、インクの代わりに書く人の血を使うんだ。つまり君の血を。このペンはそういう物なんだ。だから心配になって……」
「そう……だったんですか……」
ユカは手にしたペンをジッと見た。
「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫です。私ってとても健康ですから」
彼女はヘイヤに向かって微笑んで見せると、書類にペン先をつけた。
その途端、ペン先からは赤い液体が滲み出してきた。どうやらこれが自分の血であるらしい。特に痛みは無いが。そう思った彼女は気にする事無く、書類に記入していった。
◆◆◆
二人が店を出たのは、それから2時間後の事だった。ユカの手には綺麗な黒塗りの杖が、ヘイヤの手には新品同様に綺麗になった帽子があった。
「綺麗……」
ユカはウットリした表情で、手にした杖を眺めた。店で一番安い物であったが、職人の手で自分専用にと調整が施された杖は手に良くなじみ、まるで体の一部のようであった。
「ね? ここに来て正解だったでしょ?」
ヘイヤは満足げな顔をして帽子をかぶった。
「はい! 本当にありがとうございます!」
ユカは腰のホルダーに杖をしまうと、深くお辞儀をした。
「探偵として当然の事をしただけさ。……さて、次はどこに案内しようかな? ここから近い所だと……」
「あの!」
「ん?」
「観光もいいですけど、先に今日泊まる場所を確保しておきたいんですけど」
ユカは手に持ったスーツケースを指差しながら言った。
さっきからずっと煩わしかったのだ。どこかで宿を見つけて部屋を借り、荷物を置いていきたかったのである。
「あ、そうか……ゴメンね。うっかりしていたよ」
ヘイヤは頬を掻きながら謝った。
「そうだね……泊まる所……なるべく安い方がいいよね? ええっと……ん?」
「どうしました?」
「確か君って、住む場所を探しに来たんだよね?」
「あ、はい。そうですけど」
「もしかすると、1度に2つの要望に応える事ができるかも」
「え?」
よく分からないユカは首を傾げた。
「今日泊まる場所も、これから住む場所も1度に紹介できるかもしれないんだ。しかも交渉次第ではかなり安いかも」
「え! 本当ですか?」
「うん。ここからだいぶ歩くけど……それでもいい?」
「はい! 安く済ませられるなら、それで大丈夫です!」
「分かった。じゃあ行こうか」
ヘイヤが歩き出したので、ユカは後を追いかけた。
「それにしても、その帽子ってそんなに気に入ってるんですか?」
「え?」
「いえ、ヘイヤさんとお店の人との会話を思い出しまして。プロの人が『限界だ』って言っているのに、ヘイヤさんったら使い続けたいって……」
「あー、うん。これはとても大事な帽子……杖なんだ。どうしても手放す事ができないんだよ」
「どうしてですか?」
「これは元々、師匠が使ってた杖なんだ。死ぬ間際にかぶせてもらってさ、『これが似合う男になれ』って言われたんだ」
ヘイヤはユカの方を向いて答えた。
「……形見だったんですね」
「うん。それを僕用の杖に改造してもらったんだけど、それってだいぶ無茶な事みたいでさ、魔法を使うと負荷がかかってどうしても傷みやすくて、すぐにボロボロになっちゃうんだ」
ヘイヤは小さくため息をついた。
「僕はまだ半人前、この杖が似合う男にはなれてないのさ。だからなれるまでは、これを使い続けたいんだ」
「……凄い信念ですね」
「それが男という者の生き方さ」
ヘイヤは肩をすくめた。
◆◆◆
ヘイヤが言った通り、目的地まではだいぶ歩いた。もちろん、時間もかかった。
そうして着いた先は、庭付きの一軒家であった。それも周りが木々に覆われていて、隠されているかのように、ポツンと建っている家である。
「あの……ここは?」
「ここは僕の親友の家さ。名前はアリス」
ヘイヤは答えた。
「アリス? 女の人ですか?」
「うん。この家に一人で暮らしているんだけど、寂しがり屋でさ。以前、『ルームメイトが欲しい』って言ってたのを思い出したのさ」
「あの……そういうのって事前に連絡とかするものじゃ……」
「大丈夫大丈夫。僕なんていきなり訪ねる事なんてしょっちゅうあるけど、いつも受け入れてくれるしさ。さ、行くよ」
ヘイヤはそう言って玄関の前まで歩くと、呼び鈴を鳴らした。
少し間が空いてドアが開く。が、誰の姿も見えない。しかし、女性の声が聞こえた。
「あら、ヘイヤ。今日は何の用? また、泊まりに来たの?」
「いや、それもあるんだけど、紹介したい人がいるんだ」
「誰?」
ヘイヤは答える代わりに横に移動した。すると、ここで初めてアリスと思わしき人の姿が見えた。
彼女は白い兎だった。それも身長は120cmくらいしかない。どうやら小さ過ぎてヘイヤの陰に隠れて見えなかったようだ。
服装は青のエプロンドレス。童顔なのもあり、まるで子供のようだが、それにしては胸が非常に大きかった。メロン、いやスイカ、そのくらいはある。
「アリス、彼女はユカ。魔法の勉強をしにこの国に来たんだけど、住む所が決まってなくて困ってるんだ。部屋を貸してあげてくれないかな?」
「あ?」
アリスは明らかに不機嫌そうな声を出した。ついでに足も踏み鳴らす。
「ほら、前言ってたでしょ? 『ルームメイトが欲しい』って。だから連れて来たよ」
「あのね! そういう事は前もって連絡しなさいよ!」
アリスはもっともな事を言って声を荒げる。
「……ダメ?」
ヘイヤは訊ねる。すると少しの沈黙の後に、アリスは深くため息をついた。
「分かった。とりあえず中に入って! ほら、ユカだっけ? アナタも!」
アリスは手招きしながら中へ入っていった。ヘイヤもすぐに中へ入る。
ユカは不安を感じながら恐る恐る中へと入っていった。
玄関を通り、廊下を通り、案内されたのは台所であった。
ヘイヤは着くなり、席に座った。そしてアリスはすぐにお茶の準備をする。
「飲み物は何? アップルティーでいいわね?」
アリスは答える時間を与えなかった。カップにティーバッグを放り込み、指先から魔法で熱湯を出して注ぐ。そしてテーブルの方を指差すと、カップは勝手に宙に浮いてテーブルの上に着地した。
「お茶菓子はいる?」
アリスが冷蔵庫に手をかざすと、勝手にドアが開き、中から1/4ほど無くなったホールケーキが飛び出して、テーブルの上に着地した。
そして彼女が食器棚の方に手をかざすと、取り皿とフォークが人数分飛び出し、やはりテーブルの上に着地した。
「昨日焼いたニンジンケーキよ。好きなだけ取って食べて」
アリスはそう言って席に着くと、自分の紅茶を一口飲んだ。
ユカは魔法使い流のおもてなしに驚いてしばらく固まったままだったが、そのまま立っているのは失礼かと思い、用意された席に着いた。
とりあえず紅茶を一口飲む。火傷しそうなくらいに熱かったが、リンゴの甘酸っぱい風味が口の中を通り抜け、一瞬で幸せな気分になった。
「それで? ユカだっけ? どういう事か詳しく説明してもらおうかしら?」
アリスはユカを睨み付けるように見ながら言った。
「えっと……」
ユカはこの国に来た理由を話し、ヘイヤの紹介でここに来た事を説明した。
「ふーん、そう。私は別にいいけど。この家、私一人で暮らすにはちょっと広過ぎるのよね。だからまあ、家の手伝いをしてくれるなら、住ませてやってもいいわ」
アリスは大きめにカットしたニンジンケーキを頬張りながら、高飛車な言い方で答えた。
「じゃあ、本当にここで暮らしていいんですか?」
「したいならどうぞ。ただし、この家では私が規則だから」
アリスの返事を聞いてユカは嬉しさを隠す事ができなかった。顔は自然に笑みを浮かべる。
「あ、ありがとうございます!」
「さて、今日の夕食はどうしようかしら? アナタが来るってあらかじめ分かっていたら、『月見パイ』でも作ってあげてた所なんだけど」
「僕は野菜スープとパンがあれば十分だよ」
「そうね。アナタと私はそれで十分よ。でも、彼女は肉食でしょ? それで満足するかしら?」
「あ、それで大丈夫です」
あまり迷惑をかけないようにしなくてはと思い、ユカは早口で答えた。
「あら、そう。それならいいわ。後は夕食の時間まで適当にゆっくりしてて、後で色々と手伝ってもらうから」
アリスがそう言い終わるや否や、どこからか電話の音が聞こえてきた。
ユカは自分だろうかと思ってスマートフォンを取り出すが、そうではなかった。
では誰だろうか。そう思っていると、ヘイヤがパンツの中に手を突っ込み、スマートフォンを取り出した。
「あ、ゴメン。たぶん仕事の電話だ」
彼はそう言うと、電話に出た。
「はい、イームズ探偵事務所です……あ、すいません。今、出先なもので……はい、では今から事務所に――え? そちらで待ち合わせですか? 分かりました。すぐに向かいます」
彼は電話を切った。
「ゴメン、アリス。今から依頼主に会ってくる。きっと遅くなるよ」
「別に気にしないで。こんなのよくある事でしょ? アナタの分の夕食も作っておくから終わったらちゃんと戻ってきてね」
「うん。ありがとう」
ヘイヤは急いで立ち上がると、家を出ようとした。が、ユカと目が合い、動きを止める。
「ゴメン。仕事が入っちゃったから、今日はもう観光案内はできないと思う」
彼はユカに謝った。
「いえ、大丈夫です。ヘイヤさんにはもう十分お世話になりましたから……」
彼女は微笑んで返した。
「じゃ、行って来る!」
そう言ってヘイヤは家を飛び出した。
そしてこの日は、それ以降いくら待てども彼は帰っては来なかった。




