日本人の宗教観 その1 現代人の宗教観
NHK放送文化研究所が2008年に行った日本国民へのアンケートによると、「あなた自身は、何か宗教を信仰していますか」という問いに対して、「宗教を信仰していない」と答えた人は49%で、「信仰している」の38%を上回っていたそうです。
ほぼ半分の人が「宗教を信仰していない」と回答した、現代の日本 これについて私自身の体験に照らし合わせて考えてみます。 長いので5編に分けました。
1.現代日本人の宗教観とは?
以前 宗教というネタを取り上げてしまったので、日本人の宗教観について考えてみます。
私は、本業はIT関係の世界で、そこでIT関連の国際規格の仕事をしていた頃は、海外に仕事で行く事が多かったのです。そこには、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリム、仏教、儒教など、様々な宗教を信じる人がおりました。
もちろん、会議の場では宗教の話は全く出ませんが、仕事の後に食事をしながら話題になるのは、趣味や宗教の事もあります。
1890年代は、日本はIT分野でも大変強かった時代で、その頃「日本人が、あれほど休みを取らずに、一生懸命に働くのは、何か宗教的な理由があるのか?」と聞かれた事があります。 これに関連して、日本人の宗教観を聞かれたのですが、いづれも大変回答に困りました。 自分と周りを振り返ってみると、子供が誕生するとお宮参りという神道式、結婚式はチャペルで、死ねば寺で仏式の葬式が、ほとんどの日本人のスタイルです。 加えて、新年には初詣でに寺や神社に行き、12月24日にはクリスマスをお祝いしますが、どちらも行うのが日本では普通です。 このような日本人の宗教スタイル?を正直に説明すると、相手は更に困惑して、いったい何が日本人の宗教的な心情や、規範なのと聞かれて、どうにも答えに窮しておりました。
私自身を振り返ってみると、家の墓は都内の浄土宗の寺にあり、普通に家族、親類を集めて法事や仏事を行っています。 更に古いご先祖様たちの墓は、谷中墓地にあり、明治の一時期に流行った神道式です。
私の両親は昭和ヒトケタで、神国日本を決定的敗戦で突然否定された世代で、その反動なのかキリスト教信者で教会にて結婚式、その影響で子供の頃は、プロテスタント系の教会の日曜学校に通った事があります。
そのお蔭(笑)で、外国人との話をする時に、聖書に関する基本的な知識があった事は、意外と役に立ちました。
両親は、仏事を否定する訳でもなく、普通に寺で法事を行い、正月には家族で初詣でをしておりました。 一方で、私個人は茶道や武術に興味があった事もあり、その縁で臨済宗の寺で短期ですが修行もどきを体験した事があります。
このように、色々な宗教のつまみ食いの如き行動をしていた私ですが、特に周囲から批判をされなかったので、これが特殊な行動でもなさそうです。 もちろん、特定の宗教を敬虔に信じている人から見れば、批判されるか、不快である事も否定しません。
始めに出したNHKの調査によれば、「親しみを感じる宗教は?」という問いに対して、仏教:65%、神道:21%、キリスト教:13%、イスラム教:0%(0ではなく小数点以下四捨五入の為切り捨て)、その他:1%(以上 重複回答可)、そして「無し」と回答した人は29%だったそうです。 この統計を見ても、私のような、様々な宗教に興味をもつ人間は、特殊ではなさそうです。
今回のお話では、特殊な例は取り上げず、基本的には、おおまかな見方をお話します。
信仰の姿は人それぞれなのですが、上の統計にあるような過半数にあたるような人々の考え方や行動をもって、お話を致します。 ですから、個別の体験やお考えで、皆さんのお考えに合わない場合もある点は、あらかじめご容赦ください。
2.私の体験した欧米人の宗教観との比較
海外の人と話してみて、どうも日本人の宗教観が特殊だという事は、私自身が体験したのですが、ならば欧米人の宗教観は、どのようなもので、そこから見ると日本人の何が特殊なのでしょうか?
私が知り合った欧米人のほとんどは、信仰の深さは人それぞれではありますが、おおかまにいえばキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒であり、一神教の信徒です。
前にも書きましたが、一神教の世界では、信仰とは神と人との契約です。 この契約の中に、生き方の規範であるモラル:殺すなかれ、盗むなかれ などが存在します。
この立場の人から見れば、「信仰が無い」と言われると、その人は「神との契約」とは無関係な人と見られます。 つまり、当たり前のモラルを持たない人、極論すれば「殺すなかれ」「盗むなかれ」などが通じない危険があると認識されます。 これは、相手の立場から見れば、当然の事で、初めて会う外国人の私が、どのようなモラルで動いているのかは、まず確かめるべき事なのです。 この時に、相手が「信仰は無い」と言えば、疑ってかかるのが当然なのです。
一方で、その「日本人(私?)」の行動を見ると、勤勉に仕事をして、約束を守り、お互いのルールを尊重するのです。 となると、「信仰の無い日本人」は、何を規範に行動しているかが、とても疑問になります。 そして外国人からの典型的な質問が出てきます。
「日本人が一生懸命働くのは、何かの宗教観に基づくのか?」つまり日本人の、そのような倫理観は何から来ているかというのが、外国人の謎だったのです。 当時もIT産業は米国が中心で、米国の建国の理念をさかのぼれば、ピューリタン(清教徒)の精神になります。 ピューリタンの考えは、キリスト教の中でも、清貧、勤勉、誠実、堅実を重んじます。
日本人が、車やIT産業で90年代に成功できたのは、時代のめぐり合わせや運もありますが、このようなピューリタンの価値観と、日本人の勤勉の思想とが、行動の面で似通っていて信頼につながり易かった事も重要だと思います。
例えば、当時の車では、アメリカ車は大きくてパワフルで、革張りシートなど豪華な装備が特徴でした。 一方で、日本の車は、燃費が良くて、故障しない事が特徴で、内装にはお金がかかっていませんでした。 このような価値観は、意外にもピューリタンの質素で堅実という価値観に合っていたのです。
このような例や、日本人の行動が、米国人の価値観に共感を得たという事は、何となくわかりますが、それならば何故 日本人は、このような価値観を持っているのでしょうか? 「日本人とユダヤ人」の著者:山本七平氏は、これを「日本教」と名付けました。 この本は比較文化の観点で、日本人を見るのにとても良い本ですが、人様の著作のコピペはできないので、私なりに、それがどこから来たのかを掘り下げてみます。
次(2/5)に続きます。 戦前辺りにさか上ってみます。 文中の章番号は「日本人の宗教観」の通しです。




