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宗教について(イスラム教の世界)

2015年2月に、IS(いわゆるイスラム国)によりさまざまなテロ行為や、とても残念な結果になった日本人殺害事件があり、それに対して様々な意見がテレビ、新聞や雑誌、そしてWEBでも書かれています。また、観光立国日本の為に、イスラムやユダヤ教に配慮した食べ物やメニューを用意したなど、外国人の習慣への対応なども行われています。 それらの対応や意見の中には、「なるほど日本人ならばこういう受け取り方をするが、一神教の人からみれば誤解だろう」と思える事項があります。

例えば、イスラム教における女性の扱いや、食事の禁忌についてです。

ヨーロッパ系のニュースで、一部 イスラム教徒が大半の国家で女性の扱いに問題がある事から、イスラム教における女性の立場が配慮されていないように誤解をしている人もいるようです。 また、食事の禁忌(例としてブタ肉)については、必ずまもるべき事として過剰に反応している例もあります。 イスラム教における女性の立場は決して低いものではありませんし、ユダヤ教でもイスラム教でも豚肉を絶対に食べられないのではありません。 このような宗教に対するお話が、異なる世界の知識として、小説のネタとなる事を期待して、自分なりにまとめてみます。

イスラム教に関する記載は、ムスリムという記載の方が適切との説もありますが、ここでは便宜上「イスラム」という表記に統一します。

1.始めに

「小説を読もう」の創作小説でも、宗教を材料にした表現が見受けられます。 その中では、中世キリスト教や十字軍をネタにしたものは多く、イスラム教をネタにしたものは殆ど見受けられません。 これらの理由としては、キリスト教は日本にミッションスクールが多く存在し、知識としても得る事が可能で、かつ中世キリスト教世界は 過去のものとして現実とは別世界として扱う事が可能だからと思っています。

一方で、イスラム教については、体験をする機会に乏しく、現代のイスラム教についても不明点が多いのに更に過去にさかのぼる事が、距離的に遠すぎて、小説のネタとして取り上げにくいのだと思います。

私自身は、イスラム教徒でもなく、その専門家でもなく長期に居住した体験もありませんが、仕事でイスラム教が主流の国に出張したり、イスラム教徒の社員がいて彼の為に様々な宗教的な配慮や対応をした体験から、少しは判る部分があります。 そんな小さな縁ですが、比較文化掘り下げてみるとネタになるのではと思い書いてみます。


2.イスラム教徒との立場の相違点

教徒でもない人間が語れる事には制限があるので、比較文化の観点で、非イスラム教徒の日本人の立場で、大きな相違点を上げてみます。


一番大きな違いとして感じた事は、世俗法(欧米社や日本の社会秩序の基本である法律)の上位の存在として、宗教法シャリーアが存在している事です。

宗教法は、日本人には馴染が無いものですが、その宗教の信徒の間を律する法律です。

食事に関するタブーや、安息日などの生活習慣に関わる事から、商売や契約、結婚や葬儀、相続など個人の生活にかかわる部分、そして部族や国家における戦争法規や国際関係に至るまで様々な事が既定されています。 この為、西欧型社会における、民法、訴訟法、刑法から国際法まで含んだものが宗教法となっています。 


イスラム世界と言った場合には 二つの意味があります。 一つはイスラムの宗教法を採用している国家群という意味であり、もう一つはイスラムの教えにそった人々が暮らす世界という意味があると思います。 多くの場合には両者は重なりあっていますが、トルコのように西欧型法治体制をとった国は前者には非該当となります。

また、中国におけるウイグル族のような場合には後者の意味になります。

何やら細かい話と思われますが、テレビの論評などを聞いていると、どうもこの違いを混同しているように思います。 両者が重なった世界では、国家も人々もイスラムの原則に基づいていますので、シャリーアが憲法となる事もあり、宗教警察が存在します。 つまり宗教的な罪で、裁かれる事があります。

この事は、日本人のように宗教法に馴染みのない人間には、宗教警察と聞くと非常に怖く思えますが、基本的には他の地域の習慣や宗教的常識(飲酒制限や自己の信仰をあからさまに主張しイスラム教を侮辱しない等)を守れば問題はありません。

裏返せば、公開の場で自己の信仰をあからさまに主張しイスラム教を侮辱する事は、大きな罪になるという事です。 私はテロ行為を是認する気は全くありませんが、フランスの雑誌社の風刺が、なぜ一方で大きな問題になるかは、宗教的な大罪に該当するとの解釈がイスラム側の立場では可能だからです。


3.イスラム教徒からみた非イスラム教徒

私の会社には、セネガル出身のOさんという、非常に優秀な社員がおりました。 彼は日本の大学に留学し、日本人の奥さんを持ち、会話もメールも日本語はOKという人です。

同時に彼は、敬虔なイスラム教徒でもありました。 彼に会った当時の私は、イスラム教について中途半端な知識を持ち、彼に対して、「豚は食べられないよね、鶏肉を用意しようか」とか、就業中のお祈りの時間はとった方が良いなどと、妙な提案をしておりました。

結局、彼と真剣に話して判った事は、非イスラムの人間が勝手に気をつかうよりも、彼が望む事はイスラム教徒として会社で働く為には、何を希望するかをはっきりする事でした。

具体的には、会社が食事を用意する時(会社主催の食事会など)はベジタリアンフード(サラダ類か稲荷鮨に干瓢巻などの精進食)を用意する。日に三度のお祈りを就業時間中でも行って良いが、その時間分は追加の労働をする。ラマダン等で飲食制限がある場合には、その実行を許可するが業務には支障を出さないという事を、労働条件の中で明確にする事でした。 結果だけみると、イスラム教徒への一般的な配慮だと思われるかもしれませんが、それを決めるのが会社側では無く、彼の側から提案して会社と合意する事がとても重要なのです。 日本では、会社と労働者の契約には、定型がある事が多く、それを変える事は困難な事が多いです。 同様に、会社間の契約でも、学校から生徒への規約でも、個別の事例で柔軟に変更する事は少なく、基本的にはお仕着せを受容する事が多いと思います。 しかし、宗教の自由、信仰の保持という観点で考えれば、その宗教を信じる人が最善と思われる、労働条件、学校側の対応を個別に考え調整する事が、とても重要なのです。

 それが重要な理由は、宗教的な禁忌も含めて、イスラム教(及び多くの一神教)では、宗教的戒律とは、個人と神との契約なので、契約者の意図が最重要で、いくら第三者が配慮してくれてもお仕着せを単純に受容できないからです。 神との契約は、人それぞれの事情や立場があるので、決して一律ではありません。 「豚肉を食べない」という禁忌についても、飢え死にしようが食べないと思う人から、海外(非イスラム世界)で豚肉が出てくるならば食べると考える人もいるのです。 ラマダンにおける日中の飲食禁止も、「なるべく飲食を控える」、「水は飲む」という人から、「自分のツバも含めて全く飲み食いをしない」と考える人など、様々なのです。 ですから、宗教的禁忌については、個別のその人の希望を聞いて、対応可能な範囲を決める事が望ましい対応であり、一律のお仕着せな配慮は、いくら相手を気遣っていると思おうが意味が無い場合があります。

同様に、他人の信仰心の有無を非難出来るのは神以外にはありませんから、他人の宗教的禁忌のやり方を非難する事もないのです。この点は、神との介在者として聖職者が存在するキリスト教(特にカソリック)や、坊主や神主が神仏との間を仲介する宗教とも異なります。 つまり、信仰の在り方は明確に神と個人の者であり、第三者が判断するものではないのです。 この為、西欧社会や日本のカルトのように、信仰が足りない事をカルトの幹部が問題にして、強制的な寄附や罰を与える事は出来ません。

但し、宗教法に反する行為、イスラム教の聖なるものへの侮辱、飲酒、姦淫、棄教などは大きな問題になりますし、異教徒である事はイスラム世界で生きるには大きなハンディになる事も事実です。 建設ラッシュに沸くドバイで、外国人労働者の過酷な労働条件が問題になりましたが、イスラム世界では異教徒とは対等な契約が結べない非対称な扱いは許容されます。 ですから異教徒でイスラム世界にいる事は不利益を受任する事も必要ですし、有利だからとイスラム教に改宗してから気軽に棄教するものならば厳罰にさらされる危険もあります。

この事は、宗教法の世界と、そうでない世界から来た人間の大きなギャップと思います。


4.ジェンダー(男女)の問題

イスラム教が女性に関する差別があるかのような誤解は、時にマスコミの論調やコメンテーターの言葉に見受けられる事があります。 イスラム教では女性の権利は、しっかりと認められており、家庭の中の管理権や、家の所有権、離婚の自由と夫からの保証など、様々な権利が宗教上も保護されています。

 但し、西欧型(日本も含む)のジェンダーフリーや男女同権という観点から言えば、全く異なった世界です。 イスラム教では、人間を欲望に弱いものとみています。ですから、未婚の男女は、生活の中で分ける事が普通です。 具体的には、学校でも教室は別、未婚の女性はみだりに肌や顔を見せない、家庭の中でも女性にいる場(部屋)と、男の部屋は分かれており、異性の訪問者は入れません。 都会で部屋が狭い場合には、女性は自宅を使い、男性は外のカフェ(酒は飲めませんので)でお菓子を食べながら話をします。

 Oさんのようなイスラム教徒が、日本のような非イスラム世界でくらす場合には、大変に誘惑に満ちたトンデモな世界になります。 日本では、広告で下着姿の女性が普通に出てきますし、それらが駅や電車内にも貼られています。 ネットでは異性の裸体の写真や動画が制限なく見られます。これは、本国では、そうしたエロ・コンテンツが宗教的に禁止され免疫の無い人間にとっては、非常に刺激が大きな世界です。

その結果は、異国にいるからと制限付きで受け入れてしまう人と、さらに厳しく自己規制する人に分かれるようです。


5.ユダヤ教とキリスト教との関係

イスラム教では、ユダヤ教の聖者:モーゼや聖典、イエス・キリストも預言者として扱い、聖書も尊重しています。 これは当時 ムハンマドが布教を始めた時には、ユダヤ教やキリスト教が既存の宗教として根付いていた事から対立的な立場を取らなかった故と思います。 イスラム世界では、イスラム教徒、その下にユダヤ教、キリスト教など一神教を信じる信徒を置き、多神教やそれ以外の信徒よりも上の近しい立場として扱っています。 


日本に話を戻すと、とある有名大学に、日本画家 平山郁夫さんの絵が寄贈されており、その絵には、孔子、釈迦、イエス・キリスト、ムハンマド(モーゼもいたかもしれませんが記憶があいまいで申し訳ありません)が書かれているそうです。

とあるイスラム教国の元首が来たときに、せっかくの名画だから両国の友好のしるしとして会場にこの絵をかけようと事務局側の案があったのを、文化人類学の教授が必死に止めたそうです。 日本人から見れば、特に違和感の無い絵でしょうが、一神教の信徒からみれば非常に奇異に思われる題材です。 この問題は、宗教学をやった人や、一神教の世界を知っている人には、理解できるものでしょう。一神教の世界では、神を人として描く事自体 非常に注意が必要ですし時には禁止されます。 ましてや、一神教以外の聖者:釈迦や孔子と共にいる事は、考えもつかない事なのです。

イスラム原理主義者が見れば、当然に怒る内容なのです。

 当然 画家は、イスラム教を貶める意図もなく、四聖人そろい踏みに多くの日本人が違和感を感じない事こそが、お互いの理解のギャップの一例なのだと思います。


6.神との直接の結びつき

キリスト教も含め、多くの宗教では、宗教を専業とする聖職者、僧、神官が存在します。 これらの聖職者は、様々な戒律に縛れていますが、同時に一般人と神の仲立ちをする存在であり、それ故 宗教的な力を持ち、それらが政治力や財力など世俗的な力になっている事も多いようです。

 一方で、イスラム教では、このような専業の聖職者が存在せず、信仰は信者個人と神との直接な結びつきとなっています。 私の会社にいたイスラム教信者のOさんは、、非常に厳格に戒律を守り、豚や鱗の無い魚(鰻など、蟹や貝も含む)は決して食べず、酒も飲まず、ラマダンでは日中の飲食をせずに過ごしていました。 彼の父親が日本に来たときに、親子を食事に誘いました。 彼のお父さん(イスラム教徒)に禁忌食は無いかと聞くと、お父さんは海外では何でも食べるから大丈夫との事で、実際にお父さんは豚の角煮を美味しいと食べ、ビールも飲んでおりました。Oさんに宗教上の問題はないのかと聞くと、彼は「それはお父さんと神様の問題だから」との答えが返ってきました。

なるほど、信仰が神と個人の約束ならば、それに対して評価できるのは神様だけで、周りの人間が言うべきでないというのは、とても新鮮で合理的に感じました。

日本では、詐欺まがいの新興宗教団体が、「信心が足りないから悪い事が起こる」などと信者を脅迫し、壺を売りつけたりマインドコントロールする例もありますが、このように信仰は神との間だけの問題なのだという考えは、私には合理的なものとして大変、感心しました。


門外漢の大雑把な感想である事は承知なのですが、イスラム教では人間は弱いものだという前提に立っているように思えます。 ですから、若い男女を一緒にさせない、女性は顔や肌をさらさない、などの戒律があります。 これは、人は欲望に対して弱いものだから、それに負けないような習慣や戒律を定めているように思います。

一方で、イスラム教徒が、日本や西欧にくると、性的なものに社会のバリアが低い世界に感じられるそうです。 日本の場合では、満員電車に乗れば、知らない女性と密着する状況もありえますし、美しい顔や足など 魅力的で刺激的な誘惑に晒されます。

飲酒の習慣のない人が、酒を飲めば、自制心を失うでしょう。 ですから、こうした事を戒律で、あらかじめ防ぐという考え方です。 ですからイスラム教徒(特に男性)にとっては、非イスラム国(特に日本の都会は)とても堕落への誘惑に満ちた怖い場所なのです。そこに飲み込まれてしまえば宗教的にも堕落し規範を失い犯罪に走るかもしれないし、拒否すれば厳格な宗教的戒律を守る事にもなります。 繰り返して言いますが、イスラム原理主義者のテロ行為を擁護するつもりはありません。 しかし原理主義者の強硬な行動は、西欧文明が押し寄せる事で、イスラム教の世界が悪い影響を受けるという危惧が根底にある事も理解した方が良いと思います。 それは中東に限らず、日本に住むイスラム教徒の人にも多かれ少なかれ存在していると感じます。



7.まとめ

このような、いつも以上に判りにくく面白くもない話をまとめたのは、ISに関するテレビのコメントの中で、イスラム世界を理解していないと思われる、的外れの批判やコメントを聞いたからです。

私自身も、一神教の世界や、イスラム世界に詳しい訳ではありませんが、海外と仕事をしてきて、日本人の考え方が 異なっている事に気づいています。 それは日本の中にいると判りにくい事ですし、それが悪い事と批判するつもりもありません。

但し、日本人が普通に思っている事が、時に 他の宗教からみると奇異に見え、その逆に日本人には他の世界の行動が不思議に見える事があり得るという、見方の違いがある事を知っていただきたくて書いてみました。 私の不勉強ゆえの、勘違いや、間違いなど、ぜひご指摘いただければ幸いです。


書きたいと思いつつ、特定の宗教を批判したり擁護するつもりもないので、難産でした。

できるだけ比較文化の観点で書いたつもりですが、内容についての不足や誤解についてはご指摘ください。 特定の宗派への批判、擁護は意図していませんので、この点はご理解をお願いします。

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