57.行ってあげて
ハニューシカさん一人称語りになります
一台の救急車が拡声器で「通ります」「道を開けてください」と連呼しながら、けたたましくサイレンを鳴らして通り過ぎようとしていました。
野次馬はたくさんいますが、日本人は無駄な邪魔はしません。彼らも、救急車を一刻も早く目的地へ送るために道を開けていました。
警察官に誘導されて、救急車は向きを変え、そしてピーポーピーポーと少しずつ音を低くして去って行きました。
その去って行った救急車を見送るようにして、たくさんの人混みの中に、高校生が二人立っていました。
「由さん、柚さん!」
すぐに分かりました。やっぱり彼らはここにいたのです。きっと私を呼んだのでしょう。
お二人は振り向くとすぐに私に気づいてくれました。由さんは真っ青でした。
「ハニューシカさん!あの救急車、きっと小児救急病院に行くから、すぐ行って!」
柚さんは私に駆け寄ってきて、まくしたてました。
「え、なんですって?救急車って、私が病院に行くんですか?」
「乗ってったの、そらちゃんなの、そらちゃんなの!」
「え」
血の気が引くような気がしました。
この大事故の中に、娘が、あの子がいたのです。
「大丈夫よ、そらちゃんは死なないわ。ベビーシートに守られていたから、ちょっと擦り傷を負っただけよ。だけど、こういう事故の時は、救急車で運ばれるものなの。だから、行ってあげて」
擦り傷と聞いて安心しました。
「いいえ、私は行けません。もう、私の子ではないのです。私は他人なのですよ」
「だって、そんなこと言ったって、あの車を見てよ!」
柚さんが叫びました。
何があったかすぐに分かりました。
「だけど、ダメなんです。私はもう他人なのです」
「だって!」
「いいえ」
必死に私に訴える柚さんに、きっぱりと伝えなければなりません。
「分かってください。あの子はもう、日本人になったのです。これだけたくさんの人の目に触れた子を、いくら私でも取り返すことはもうできないのですよ」
「そんな・・・」
彼女はそれ以上何も言いませんでした。言いたいことはたくさんあるでしょうが、彼女も分かっているのです。私が宇宙人で、もうこれ以上手を出せないことになってしまったことを。
手放した途端に、私の子は孤児になってしまいました。悔やんでも悔やみきれません。
でももう、あの子は日本人になったのです。今更どうにもできません。あの夫婦の親戚に引き取られるか、何かの施設に預けられるかはわかりませんが、それでもあの子は日本人として生きて行かなければならないのです。
たとえ、私があの子を取り返したところで、あの子を星に連れて帰ることはできないのですから、どうしようもありません。それこそ、私はあの子と一緒に日本に残ることはどう考えたって無理なのです。いくらなんでも、赤ん坊を段ボールハウスでは育てられません。
あの子がどうなっていくのか、ただ幸せを願うことしかできないのです。
「分かったよ」
由さんが言いました。
「そらちゃんはもう・・・他人になっちゃったんだね。僕たちとももう、会えないんだ。
それに、ハニューシカさんにはハニューシカさんの宇宙人としての責任があるもんね」
「はい」
「でもさ、せめて、もう少しいられないの?ひと月じゃなくて、そらちゃんがもう少し安心できるまで、いられない?」
「それは・・・できるならそうしたいですが」
「したいですが?」
またお二人は揃って私を見ていました。
「きっとまた、別れがたくなってしまうと思うと」
「そうよね」
柚さんが納得してくれました。
こんな事故があって、帰りたいはずがありません。あの子のそばにいてあげたい。せめて、あの子が、誰か良い人にもらわれることができるように、何か手を打ってあげたい。
でも、そうしてあの子との時間を増やすことは、どうしたって私を星から遠のかせます。このままだと、私は罪人として一生流刑のこの地にいることになってしまうでしょう。
私の揺れる心を、由さんも柚さんも分かってくれました。




