37.その黄色い手紙
封筒の文字は、見た事のないものだった。前にハニューシカさんの電子辞書を見たときと同じで、字を習ったことがない子どもが書いたみたいな、ただのグニャグニャした線みたいに見えるそれを、僕たちはまた見つけて、そして静かに頷いた。
ハニューシカさんは中から手紙を取り出した。
未来でも手紙は手紙なんだね。紙はちょっと僕たちが使うものと違うみたいだけど、「手紙」っていう概念はあるみたい。
取り出した手紙はA4くらいの黄色い紙が三つ折りになっているのが一枚と、もう一枚は白い紙で写真のL版くらいの小さなものだった。
読んでいるハニューシカさんの手は、最初から震えていた。あんなに震えていたら、あの震えた文字は読めなさそうだ。
文章は横書きらしく、顔が左から右に少しずつ移動している。真剣な目をしていて、口は引き結ばれていた。
ハニューシカさんは一度大きく息を吸った。少しだけ目を開いて空を見た。
だけど次の瞬間、手紙を睨むようにくぎ付けになると、震えていた手がもっと震えた。くしゃりと手紙にしわがよるほど強く握り、それでも文章を追う彼の目はだんだんと潤んでいくように見えた。
一度、黄色い紙から目を離し、白い紙の方に移った。
何も書いてないように見えるその白い紙のほうは、チラリと見ただけですぐにポイと置いて、また黄色い紙を手に持った。
さっきと同じように、また黄色い紙の方を最初から読んでいるみたいだった。何度も読み返しているみたいで、彼の大きな息づかいと紙を握りしめる小さなカサカサという音が、僕たちの耳にバカに大きく聞こえた。
随分と長い間、彼はそうやってその黄色い手紙をずっと読んで、いや、眺めていた。
僕たちは、初めこそ緊張して彼のことを見ていたのに、あまりにも長い間そんな様子なので、いつの間にかただぼんやりとその音を聞いているだけだった。
「・・えれる」
「え?」
彼の小さな低い声で、ハッと我に返った。何か言った。そう思ってハニューシカさんに顔を向けると、彼は手紙をくしゃくしゃに握りしめて膝の上に置いていた。握りしめた手が震えている。膝の先を大きな目でジッと見つめるようにしながら、もう一度低い声で言った。
「帰れる」
帰れる?
僕たちは顔を見合わせた。良いことじゃないか。ハニューシカさんはタイムマシンが壊れて、もう帰れないと言っていたんだ。だけど、帰れると言うのだ。嬉しいことじゃないか。
そうだよ。僕は気付いた。
だって、監視がいるんだろう?未来から手紙が届くんだろう?だったら、まだその未来とハニューシカさんは完全に絶たれているわけじゃなくて、繋がりがあるんじゃない。どうにかすれば戻れるんだって、どうして気づかなかったんだろう。
きっと、未来の誰かがハニューシカさんが戻ってこないことで、タイムマシンが壊れた事を知ったんだろう。それで救出してくれることになったんじゃないだろうか。
だけど、ハニューシカさんの様子は、何か変だった。
帰れることになったのに、全然嬉しそうじゃない。それどころか何か怒っているみたいな顔をしていた。
「帰れる、けど・・・!」
ハニューシカさんはそう叫ぶと、苦しそうに胸を押さえてうずくまった。そして大声で泣きだした。時々頭を振って何かを否定するように、泣いた。
一体ハニューシカさんに何があったって言うんだ。
あの手紙は、絶対に未来からのものだ。それはわかる。少なくとも、この現代日本にあるものではないことだけは確信できる。
つまり、ハニューシカさんの故郷から届いたものだ。
ハニューシカさんは前に、もう故郷に帰ることができないというようなことを言っていて、それがこの手紙には、多分「帰れる方法」が書いてあったんだろう。
ああ、わかった。帰って来いって言われたけれど、タイムマシンが壊れているから、結局帰れないってことで泣いているのか。
それほどまでに、故郷に帰りたくて泣いているんだ。
「ハニューシカさん・・・」
大きな声で泣いているハニューシカさんの震える背中を撫でて、何か、声をかけたかった。だけど、なんて言えば良いんだ。大人だったらこういう時、どうするんだろう。気の利いたことのひとつも言えるのだろうか。
こんなに悲しんでいる人を慰めることなんて、できるのだろうか。僕が大人になったって、それは無理だ。だけど、僕たちは、ハニューシカさんの力になりたい。苦しい時や悲しい時に、少しでも慰めになるような友だちでいたい。
こんなに苦しんでいる人を、放っておけなかった。
「ハニューシカさん。私たち、力になるわ。きっと大丈夫だから。タイムマシンだって、直せるかもしれないから」
柚も必死に言葉を絞り出した。
できないよね。僕たちにタイムマシン直すことなんて。
でも、そう言うしかなかった。それが僕たちの気持ちなんだ。ただの気休めじゃなくて、本当に彼には元気になってもらいたいんだ。
柚の言葉が聞こえたんだろう。ハニューシカさんは顔をあげてハンカチで涙を拭きながら、それでも僕たちに微笑んでくれた。
「ありがとうございます。でももう、良いんです」
彼はそう言うと、また涙をボロボロと流していた。




