無視され続けた感情
最近、ムスが何かにつけて「どっちがいい?」と訊いてくる。
ムスに影響されたのか、リーナも「どっちにすんだ?」と尋ねてくる。
「正直、選ぶのに疲れた」と、ベネデッタは思った。
「どちらでもいいわ」と淑女の笑みで答えると、それは駄目らしい。
好きとか嫌いとかよくわからないと言ってしまってから、罰ゲームのように繰り返される。
「じゃあ、あーげない」
そう言って、ムスは持って帰ってしまうのだ。
ベネデッタは眉を下げて悲しい顔をするだけ。
何度か繰り返した後のこと。
「あげないって言われて、怒らないの? 悲しくならないの?」
と、ムスが訊く。
「だって、仕方ないもの」
ベネデッタは困った顔をして微笑む。
それが、ムスの勘に障ったらしい。
「怒りをコントロールできないのは未熟者だけど、怒りを感じないのはおかしい!
怒ったときに、理由を聞かずに「怒るのはおかしい」と言ってくる奴は、相手をコントロールしたいだけ。
言いなりにしたいだけだから、まともにとりあわなくていい。
自分を守るために、怒って見せろ」
ベネデッタは驚いて、ぽかんとしてしまった。
「悲しい顔をして『察してくれ』と周囲に要求するな。
そんなことしてるから、踏みにじられるんだ」
ムスは言ってからハッとしたように、気まずそうな顔をして出て行った。
一緒にお茶をしていたリーナが、雰囲気を和ませるように軽く笑い声を立てた。
「ムッさんも、自分をコントロールできなくなってるな。
ずっと、ベネさんの感情を解放してあげたいって言ってて、成果が出ないから『悲しい』と『自分は無力だ』ってのが爆発しちゃったんだべな。
怒られて、悲しいか?」
「……怖かったけど、嬉しいかもしれないわ」
ベネデッタは自分の胸にそっと手を当てた。
「んだな。今度ムッさんが嫌なことをやったら、怒ってやんな。喜ぶべ。
今日のお菓子を持って帰っちまったことは、オラも怒ってやる」
「怒っていいの?」
自分が正しいと確信を持てなければ、怒れない。怒る資格があるのか、わからない。
「その方が、こっちも安心してつきあえるよ。
やってやった時に、『嫌だ』って断られる方が気が楽だ。
反応がねえと、良かったんだか悪かったんだか、わかんねえべ」
リーナはカップを持ち上げて、続けた。
「どうせお茶するんだったら、少しでも好きが多い方を選んで、幸せを増やすんだ」
「……そう? そうなのね」
あの王太子……元婚約者にも感情を見せたら違っていたのかしら。
感情を隠せないソフィアを気に入っていたようだったし――。
「ん~、赤ん坊は泣くのが仕事だべ?」
リーナはベネデッタが理解できるように、たとえ話を始めた。
教会に付属している孤児院に手伝いに行くこともあったので、少しは知っている。
「泣かない赤子は、大丈夫かって周りの者が気を使うべ。
ベネさんはそんな感じなんだな。
泣いたり、嫌だって言ってくれないから、逆に手間がかかる」
「え、そんなつもりは……。気にしないで?」
泣かない赤子と言われて、恥ずかしくなった。
「だからぁ! そんなこと言うから、人にいいように利用されんだって。
対等な関係になりたくて、意見を聞きたいって言ってんのさ。
わかんねぇかな?」
リーナはもどかしげに、手を握ったり開いたりしている。
「ベネさんだって、ちんまいころは泣いて、嫌だって伝えてたはずだ。
途中で、言えねえ環境に慣れちまっただけだべ。
自分の心を思い出すんさ」
リーナはベネデッタの手を握り、「な?」と顔をのぞき込んだ。
なんだか、喉の奥が熱くなってきた。
こんなふうに気遣ってもらうのは、いつぶりだろうか――
涙がこぼれそうになるのを、必死に堪える。
すると、
「ほら、泣け」
とリーナに優しく背中をさすられた。




