思惑を重ね、二人は手を取り合う
モニカがレットの部屋を訪れたのは、晴れた日の夕時だった。夕暮れは人の判断を鈍らせる。その薄い可能性に賭けたわけではないが、有利な条件が少しでもあるなら、利用したかった。
伯爵を継ぎ、最終的に大尉という肩書きの彼にしては考えられないほど質素な部屋だ。
一階は閉まった喫茶店、二階は老夫婦、三階に彼の部屋がある。古い建物で、階段を登る度に建物全体が揺れるように思えた。
部屋をノックするとすぐに彼は出てきた。
「この前はごめんなさい。取り乱してしまったの」
「よく私の部屋が分かりましたね。教えていないというのに」
少なからず驚いている。決して喜んではいない。
必要最低限の家具しかないがらんどうの室内は、そのまま彼の内面のように思えた。
「あなたは変わったわね。八方美人が消えたもの」
「ロキシー様は変わらないと言ってくださいましたが」
「変わったわ。権力欲のない、つまらない男になったもの。大尉止まり? 少佐くらいにはなってくると思っていたわ」
いつもの世界だったら、そのくらいには出世している。
「ロキシーの愛があなたを変えたのね」
「私は平凡な人間です。怪我をしなければ、大尉になれたかも危うかったんですよ。……後半は、大いに同意ですが」
レットは自分が発するぴりりとした空気を、もはや隠そうともいていない。モニカを警戒しているのだ。
(いい気味だわ。存分に恐れなさい。そしてわたくしに従うがいいわ)
にこりと微笑んで、告げた。
「ロキシーは王女だって、そう思った?」
表情をひとつも変えずに、彼は答える。
「数ある可能性の一つとして、なくはないとは」
やはりそうか。
だがレットは首を横に振った。
「大した問題ではありません。そうであろうとなかろうと、私は彼女に結婚を申し込みました」
「すぐに振られたんでしょう? 可哀想だけど、ロキシーは別に、あなたのこと好きじゃないものね」
揺さぶるように言ってみたが、レットの表情は、またもや少しも変わらない。モニカの言葉など、まるで響きはしないようだ。
今までの世界であれば考えられない話だが、レットは本気でロキシーを愛していた。気に食わないが、ならそれを、利用するだけだ。
「あなたは正しかったわ」
彼の瞼がぴくりと動き、初めてモニカを見た。未だかつて向けられたことのない、射貫くような視線だ。
「ロキシーが王女なの。びっくりした?」
オリバーから告げられた事実を、淡々と話す。前女王ベアトリクスは女児を産み、ファフニール家で育てられた。そして実の母に引き取られ、その死により再び戻ってきたということを。
彼は黙って聞いていた。
「わたくし、反乱軍にロキシーが王女だと言うことだってできるわ。そしたら怒れる反乱軍は、きっとロキシーを殺すわね」
「……そのおつもりはないでしょう」
「ええ、今はまだ。だけどあなた次第よ」
訝しそうに眉を顰めるレットに、モニカは、とある提案をした。
「ねえレット。わたくしの夫になって。そうしたら、ロキシーを今のまま、幸せな状態でいさせてあげるから」
じわじわと、蝉の声が聞こえてくる。近くの木にでも止まっているのだろうか。
道ばたで遊ぶ子供の笑い声が、空へと吸い込まれていった。
長い沈黙の後でレットが口にしたのは、やはり疑問の言葉だった。
「理解に苦しむ……。なぜそんなことを」
拒絶ではない。困惑だ。
モニカは優しく笑いかけた。
「言ったでしょう? あなたを愛してるって。どんな形であっても、側にいて欲しいの」
愛なんて、性欲と所有欲を都合よく言い換えただけのまやかしだ。モニカは愛なんていらない。愛なんて信じない。だから彼を愛していない。手に触れる。彼は逃げない。代わりに、感情の伴わない声で言った。
「愚かで可愛い女だな、あなたは」
想定外の言葉に、モニカは驚いた。
レットの目はモニカを映している。だがそこには、愛情も困惑もない。鏡面のように、反射があるだけだ。
「……さて、どうしたものかな」




