新たな人物に、わたしは出会う
遂に少年は、一つの建物の中に入る。手を掴まれたままのロキシーも扉の中で息を潜めた。兵士たちは通りすぎていく。
彼らが本当に過ぎ去ったと確認したところで、少年は安堵のため息を吐きながらその場にへたり込んだ。
ロキシーは建物の中を見渡す。昼間なのに、随分暗い。窓には覆いがしてあり、わずかに射し込む日の光で埃が舞っているのが見えた。
今立っているのは玄関口らしく、奥に扉が見えた。
そこが開けられ、思わず身構える。
「オークリー! 戻ったか」
そう口にしながら現れたのは背の高い男だった。無駄のない身のこなしと神経質そうな表情に、ロキシーは野生の豹を思い出す。ウェーブがかった濃い茶色の髪は、どこか女性的で、わずかに浅黒い肌は、異国の人を思わせた。
扉の奥からはまだ数人の気配が漂っていて、煙草の匂いが立ちこめる。どうやら何人もいるらしい。
男はロキシーよりも幾分年が上に見える。切れ長の目が、鋭く少年を見た。
「マーティーさん、すみません」
オークリーと呼ばれた少年は、その男に謝る。彼は舌打ちした。
「だから僕は、君に任せるのは反対だったんだ」
マーティーと呼ばれた男はオークリーをギロリと睨み付けた後、そこで初めてロキシーの存在に気が付いたかのように眉を顰めた。
「そちらの娘は?」
オークリーにしても、ロキシーを見て、驚いたように言った。
「な、なんで、あんた付いて来たんだ!?」
子犬のような大きな瞳を更に大きく見開いているオークリーに向けて、呆れながらもロキシーは答えた。
「なぜって、あんまりだわ! あなたがわたしの手を離してくれなかったのよ」
証拠を見せつけるように、未だしっかりと握られている右手を目の前に見せると、少年は慌てて離した。どうやら無意識だったらしい。
「あなたたち、なんなの?」
ロキシーは男がいたらしき部屋をちらりと見た。カーテンは締め切っているし、明かりといえばぼんやりとしたランタンが置いてあるだけだ。
――いかにも怪しい。
以前誘拐されたときに連れて行かれたワイン倉を彷彿とさせた。
「銃をどこかからか、大量に盗み出したとか? まるで反乱軍みたいね」
言ってから、しまったと思う。二人の顔色が変わるのが分かったからだ。だが後の祭りだ。
(嘘、本当に?)
背筋が凍る。
この出会いは、やばいんじゃないだろうか。やはりモニカと一緒に出かけた方がよかった。
オークリーとマーティーは黙ってロキシーを見つめている。どうしたものか思案しているようだ。
マーティーの方が先に動いた。彼は腰に手を回す。それが銃を取り出す仕草だと直感して身構えた。――いつも身を守る武器を身につけていなさい。母の言葉が耳に響く。だがいつの間にか、その言いつけを守らなくなっていた。
だからロキシーは丸腰だ。
――が、彼が取り出したのはハンカチだった。
「君、顔が汚れている。拭いたらどうだ」
マーティーは表情を一切変えずに真っ白なハンカチをロキシーの前に差しだした。拍子抜けしたロキシーは、ぽかんとそれを見つめる。
そして笑みがこぼれた。
「反乱軍にしては、随分紳士的なのね」
「僕らは以前の奴等とは違う。いたずらに暴力を奮ったりはしない」
「拳銃を盗み出してたのに?」
「必要なものだ。……失敗したけどな」
マーティーがそう言うと、オークリーがびくりと体を縮めた。どうやらマーティーの方が立場が上らしい。
張り詰めた空気がふと変わったのは、マーティーがいた部屋から更に別の人物が出てきたからだ。
「……ロクサーナ様?」
名を呼ばれ、驚いてそちらをを見た。
ふわりと長い栗毛に、人なつっこい瞳。こんな薄暗い場所に似つかわしくないほどの可憐な少女。
背丈は変わっているが、確かに彼女を知っている。
「……リーチェ?」
それは兄の留学に付いていった商家の娘、リーチェ・オースティンに他ならない。
帰っていたのか。いつ。連絡くらいしてもいいのに。いや、それよりも。
「リーチェ、どうしてこんなところに」
反乱軍に、なぜ彼女が。
だがリーチェが答える前に、マーティーが疑うように目を細めた。
「ロクサーナだと? ファフニール中将の娘か?」
「い、いえ違います! 違うロクサーナ様です!」
リーチェが必死で言い返す。
「この人は普通の町娘で、あたしの友達です。誓って貴族じゃありません。それに、告げ口するような人じゃありません! だから、帰してあげてください」
マーティーは見定めるようにリーチェとロキシーを交互に見つめ、最後には頷いた。
「……分かった。リーチェを信じよう」
◇◆◇
「いつ帰っていたの?」
リーチェと二人で帰路に着きながら、そう尋ねた。夕陽はもう沈みかけている。すっかり遅くなってしまった。
「あたしは少し前に。お兄様は、まだですけど……」
緊張したような声が返ってくる。次の質問に備えているようだ。
「どうして、あんな場所に?」
投げかけた問いに、彼女は素早く反応した。
「ロクサーナ様! あたしは、国をどうこうなんて考えていないんです。ただ、オークリーが……」
「さっきの子?」
リーチェは頷いた。
「オークリーは留学先でできた友達なんです。同郷だから、仲良くなって。
元々、あたしの家みたいに商人だったんですけど、戦争で家族を失って、財産もなくなって……。オークリーは国を恨んで、マーティーさんに出会って、共感して同じように反乱軍になったの。
だけどオークリーって、ちょっとおっちょこちょいだから、心配で。絶対に向いてないから止めようと思ってたら、いつの間にかあたしも出入りするようになっちゃって」
おっとりしたリーチェらしいいきさつだ。
「マーティーさんが、あたしを反乱軍に加えたのは、お兄様が目当てなんです。お兄様、すごいんですよ? 学校を飛び級して、今大学生です。学年で一位なんです。マーティーさんの方が年上ですけど、同級で、彼が退学になるまで仲が良かったんです。
お兄様が反乱軍の指揮を執ってくれればいいって、マーティーさんはそう思ってるんです。お兄様は、誘いをきっぱり断ってますけど。暴力に訴えては、人は着いてこないと」
意外に思った。フィンは反乱軍のリーダーとして躍進的に活躍するのかと思っていた。消極的な印象は今までなかった。
「悪い人ね、マーティーさんって。リーチェを利用するなんて」
しかしリーチェは首を横に振る。
「マーティーさんも、弟さんを亡くしているんです。義理のお兄さんも、強制兵役されたって。同じような悲劇を繰り返さないために、国を変えたいと思ってるから、反乱軍を組織したって聞いたことがあります。
かっこいい人ですよ。新しい時代の新しい人です」
ロキシーはマーティーを思った。
強い人だとは思うが、威圧的な態度はあまり好きじゃないと感じた。
「今日はリーチェに助けられたわ」
「いつだってロクサーナ様に助けてもらっていたんですもの。大したことじゃありません」
リーチェはロキシーの記憶の中よりも、ずっと大人びていた。
そのまま、ぽつりと言う。
「今日会ったことは、忘れてください。お兄様にも、あたしが反乱軍とこうして関わってることは秘密なんです」
「リーチェも、もうあそこに行くべきではないわ。危険すぎるもの」
今はまだ、反乱軍は活発に動いてはいないようだ。だが銃を盗み出そうとするなど、平和的とは言えない。リーチェが心配だった。
泣きそうな表情になりながらも、リーチェはまた、首を横に振る。
「分かっています。危険だってことも、ロクサーナ様があたしを心配してくれてるってことも。だけど――」
それから、悲しげに微笑んだ。
「恋って、ままならないものなんです――」




