弟を失い、わたしは彼女にすがりつく
職場で報告を受け、オリバー・ファフニールは胸の内で安堵した。
どうやら我が国唯一の王位継承者はファフニール家の長女を諦めたようだ。
パーティに呼ばれ、よもや断るわけにもいかず行かせたが、ロクサーナが倒れクリフと顔を合わせずに済んだのはオリバーにとって嬉しい誤算であった。
が、その後内々に求婚の申し入れがあり、命を賭ける思いで断った。
現国王であるアーロンには恐らく隠していると踏んだこともある。
あの王が、一人息子の結婚相手に庶民上がりの家の娘を許すはずはない。
(おぞましいことだ。あの二人が結婚するなど)
暗い町並みに浮かぶ、街灯のうっすらとした明かりを見つめると、今でもあの時のことが蘇ってくる。
やはりあの時も、こんな月のない夜だった。王に追われた王妃は、秘密裏に馬車で逃げ出した。
彼女はすでに臨月だった。
逃亡の最中、娘を産んだ。赤子を連れて遠くまでは逃げられない。折しもオリバーの妻も出産をした直後だった。最善策だと思えた。
だからその赤ん坊を、自分の子供として預かったのだ。忠誠を誓った女王の身を、守るためでもあった。
だが、女王は既に亡い。
(モニカ――)
オリバーは、娘を思った。
先の女王が産み落とした娘を、ファフニール家が引き取った。そのことは、誰も知らない。
――オリバー・ファフニール。どうかこの子を守って欲しい。
いつも気丈であった彼女が、初めて見せる懇願だった。
胸の内は決まっていた。
もしこれから先、その時が来るのであれば。
(モニカ。どうか、わかってくれ)
約束を果たすためには、それをしなくてはならないのだ。
◇◆◇
翌日、久し振りに家にいた父が静かに告げた。
「ルーカスが昨日戦場へ行った。彼には私から二人に伝えてくれと、頼まれたんだ」
昨日、あれきりルーカスの姿はなかった。家にも帰っていなかった。モニカが不思議そうな顔をしていたが、ロキシーは何が起こったのか言えなかった。
そのうち帰ってきて、何食わぬ顔で元の日常に戻れるはず。そう思っていた。
一体、いつから決めていたことだったんだろう。戦争へ行くなんて――。
モニカを見ると、驚いたような表情をしていた。それが演技か本当か、ロキシーにはわからない。
「すごいわルーカスったら! 男の子ね。国を守るなんて立派なことだわ! ねえ、お父様、そうでしょう?」
そうだとも、と父は答える。
我が国の男子たる者云々かんぬん、長い高説が始まりかけたところでモニカが言う。
「ね、ロキシー! ルーカスってば全然そんな素振りみせなかったのに、案外かっこいいわね?」
妙に上機嫌な妹は、ロキシーの腕にまとわりつき、表情を伺うように上目遣いで見てきた。
「本当ね」と答える声は、自分でも分かるくらいに動揺していた。
だがまさか、軍人の父の目の前で、弟が戦争へ言ったことへの悲しみを表現するわけにはいかなかった。
ロキシーも父の仕事を誇りに思っているし、必要な職務であると知っている。自分とモニカ、そしてルーカスまでも、軍人である父のおかげで裕福な暮らしができているのだ。
それでも――。
オリバーはまた、仕事へと戻っていった。次に家に帰るのはどれくらい先だろうか。
ルーカスが帰るのは、どれくらい先だろうか。そもそも帰ってくるのだろうか。
赤い目をしていたルーカス。言わずにいるつもりだった思いの丈を、口にしたのはだからだったのだ。
(あれは、お別れだったんだ)
震える声を思い出し、胸が締め付けられた。
自室で、ただベッドに横になった。何もする気が起きなかった。
どうしてルーカスは突然今までの考えを変えて、兵士になるなど決意したのだろう。
そっと指で、自分の唇に触れた。昨日、弟が触れた場所だ。
(……わたしは知ってたわ。ルーカスがわたしを女の子として好きだってことを)
知っていて、目を背けていた。
そうしていれば、日常は平穏に回っていくものと信じていた。その前提が、間違っていたのだ。
はじめからまやかしの上に成り立っていた日常だった。誰かがそのおかしさに気づいてしまえば、平和は音を立てて崩壊する。
ルーカスはロキシーに恋していた。
ロキシーは気が付き、見たくなかったものにようやく目を向けた。ルーカスの中の感情と、自分の中の感情。そして気が付いたとき、一切は全て手遅れだったと悟った。
弟の気持ちを無視していたのは、踏みにじっていたのと同等だ。何よりも大切だった彼だったのに、自分かわいさにひどい仕打ちをし続けていたのだ。
「ロキシー? ……入ってもいい?」
遠慮がちな妹の声が聞こえた。ゆっくりと扉が開かれる。
心配そうな顔をしたモニカは、ロキシーを見て悲しげに微笑んだ。手に持っていたカードを差し出す。
「わたくしの部屋に、二枚置いてあったの。ルーカスからのお別れの手紙ね」
そう言って、一枚を差しだしてきた。
受け取ったロキシーはそれを読む。
手紙とも言えない、たった一行のメッセージだった。
――心はいつも、ロキシーの側に。
遂に耐えきれずこぼれた涙が、その文字を滲ませた。
「心なんて――」
滲んだインクは瞬く間にぼやけ、ルーカスの几帳面な文字を消していく。
「――心なんて、いらないわ」
ルーカスが欲しい。
欲しいのは、生身のあの弟だけだった。
いつだって、彼だけだったのに。
(神様――! 他にはなにも望みません。だけどルーカスだけは、生きてわたしに返してください)
そのカードを抱きしめる。息が苦しかった。嗚咽が口から漏れる。本当に悲しいとき、人は呼吸すらままならないらしい。
これが過去の罪の償いだとしたら、神はなんと残酷なことをするのだろう。戦争に行った人が帰ってきた話は、まるで聞かない。
「かわいそうに、ロキシー。悲しまないで」
モニカの柔らかな両手がロキシーの頭に触れ、そのまま包み込まれた。彼女の腕の中は温かく、ロキシーの目から、さらに大粒の涙がこぼれた。
一人じゃなくてよかった。きっと耐えられない。
「……っ! どうして……。どうして……! こんなの、いやよ……!」
モニカを責めても仕方がない。それでも彼女は優しく受け止めた。
いつかモニカがロキシーにすがりついたように、今度はロキシーがモニカにすがっていた。
「平気よ、ロキシー。わたくしは、側にいるわ。ずっとあなたの側で、守ってあげるから。
戦争に行ってしまった人たちのことなんて、考えちゃだめ。結局、信頼できるのはわたくしとあなた、世界でたった二人だけなのよ。
ね、これからも、お互いに、助け合って生きていきましょう?」
モニカの手が、慰めるようにロキシーの頭を撫でた。心地よくて、されるがままに身を任せる。
「本当に、わたしの側にいてくれるの?」
見上げると、微笑むモニカと目が合った。
過去、いつだってロキシーはモニカを裏切ってきた。それを許し、過去に葬り去り、今のロキシーを大切に思ってくれている。
モニカの許しの中で、ようやくロキシーは自由だった。彼女がいなければ、再び孤独の中に陥るのだ。
「当たり前じゃない。前に約束してくれたでしょう? だから、一緒よ……」
歌うような優しい声が、降り注いだ。
「――大好きよ、可哀想で、かわいい、大切なロキシー」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
第二章はこれで終わりです。
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