予言者が、転生して、自分で予言を解決するみたいな
深淵を落ちて行く、魂が一つ。
――お前は、人心を惑わした。それは大いなる罪
魂に響く声。それは超越者のもの。
――よって、闇のなかで呻吟せよ。悠久の時を経て、生まれ変わり死に変わり
魂は声に頷く。
――いずれかの時代、いずれかの場所で、惑わした罪を償うのだ!
長く尾を引いて、星が流れた。
東の果てに向かって……
【若者の心中】
その日、俺は何のやる気もなく街に出た。
季節は初夏。湿度が増している。
確か、良く当たる占い師が、新宿にいるって聞いた。
もう、占いでも宗教でも何でも良い。
俺の人生、なんとかしてくれ!
「アナタノ、オナヤミ、ナンデスカ?」
新宿駅の南口を出たところで、何れかの国の男性が、文字を載せた段ボールを持って立っていた。
長い髪は紅茶色。彫りの深い顔。
眼の色は、くすんだ緑色。
欧米系の男だろうか。年齢は分からないが、多分中年。
男が手に持つ段ボールは、こう書いてあった。
Listen to your worries!
お悩み、聞き〼(ききます)
「聞き〼」の書き方が、いかにも胡散臭い。
普段なら、そんな怪しげな風体の、しかも異国の男に、一瞥をくれることなどない。
いや、いつもの俺なら、駅頭で路上演奏をしているとか、募金活動をしているといった人たちを、可能なかぎり避けて歩く。
しかし、今日は、なげやりな気分が強かった。
お悩み?
悩みしかない人生だよ!
俺はそのまま、異国の男に近寄った。
「俺の悩みも聞いてくれるか、おっさん」
「おっさんではない。私はミッシェル」
言葉が通じると、期待してもいなかった。
だが、先ほどの「オナヤミナンデスカ」という口調とは打って変わって、ミッシェルは流暢な日本語で答えた。
「じゃあミッシェル、さん?」
「呼び捨てで結構。せっかくだから、君の悩みを聞いてしんぜよう。その前に」
ミッシェルは段ボールを路上に敷き、その上に座り込んだ。
「ワタシ、ハラヘリマシタ。ナニカ、タベタイデース」
近くのファーストフード店で、俺はハンバーガーを買い、ミッシェルに二個渡した。
何で俺が見知らぬ男に、食べ物を恵んでいるんだろう。
そう思いながらも、ミッシェルの緑灰色の瞳に、俺は惹きこまれていた。
「君の名前は?」
「アンリ。四谷アンリ」
ミッシェルは、ハンバーガーを頬張りながら、「ほおっ」と言った。
「ではアンリ。話してごらん、お悩みとやらを」
俺も、ポテトをつまみながら、だらだら話し出した。
いくつになっても、誰かに聞いて欲しいことがある。
だが、誰に話して良いのか分からない。
見知らぬ人、一回こっきりの邂逅しかない人だからこそ、本音を吐き出すことが出来る。
まあ、ハンバーガーを奢ったんだから、愚痴くらい聞いてもらっても、バチは当たるまい。
「えーとね、まず内定が、取り消された」
「内偵? 君はスパイになりたかったのか?」
おっさん、いや、ミッシェル。
あんたの日本語の習熟度、へんだよ!
「それは、本当に、アンリがやりたかった仕事なのか?」
「そうじゃない。けど、この時期、就職先が決まってないのは、なんかハズイ」
「ハズイは正確な日本語ではないな。恥ずかしい、だ」
やかましいわ!
「では、その悩み、神ならこう答えるだろう。身近な人たちに対して、恥ずかしいという感情を持つのであれば、アンリ、君のことを知っている人が、誰もいないような場所で、ゆっくり仕事を探せばいい。かつて、私もそうして旅をした」
遠い場所で、職探し、ね。
それもアリかな。
「あと、彼女を、寝取られた」
「ほお。寝取られた、というからには、君は彼女とヤッたんだな?」
俺はぶるぶると顔を横に振る。
きっと顔面は真っ赤になっていただろう。
「い、いや。まだ、そんな!」
「ヤッてないなら、『寝取られた』は正確ではないな。単に取られた、が正しい」
うるさいよ、おっさん!
「簡単に、ほかの男に股を開くような尻軽ビッチは、どうせ同じことを繰り返す。別れて大正解だ」
いや、あんた、ビッチとかって、そうかもしんないけど。
彼女いない歴イコール年齢の男に、ようやく訪れた奇跡だぞ!
心、ぽっきり折れたんだよ!
「アンリ、良いことを教えよう。男の価値とは、何だ?」
「えっ? 金持ち、とか、イケメンとか」
ミッシェルは鼻で笑う。
「最近のニッポン男子の矜持は落ちたものだな。刀一つで黒船を追い払おうとしたサムライは、一体何処に消えたのだ」
いつの時代の話だよ! 知らねえよ!
「アンリ、男の価値とは信念だ」
信念……
何それ美味しいの?
「私は自分の信念を貫くために、今、此処にいる。そして君のおかげで過去生では果たせなかったことが、どうやら果たせそうだ」
「ミッシェルの信念とかって何なんだ?」
「空から降る、恐怖の大王を阻止することだ」
「恐怖の大王って? 空から?」
俺が質問すると同時に、ミッシェルはいきなり、白衣の男性数人に、取り囲まれてしまった。
「そろそろお帰りの時間ですよ、ノートルダム様」
「ミッシェルで結構」
ミッシェルは不愛想な表情で、路上に停車している車に、連れていかれる。
「アンリ!」
ミッシェルが叫ぶ。
「最後に君に会えて、良かった。君の未来に心配はいらない。私には、君がこの国で、成功者となる姿が見える」
「マジかよ、ミッシェル!」
「本当だ! なぜなら私は偉大なる予言者、ノス…」
車は走り去った。
去った車の後部には、精神神経科で有名な病院の、名前が印字されていた。
ああ、そうか。
ミッシェルは、そうなんだ。
なんとなく、納得した。
夕刻に近づく都心部に吹く、風は袖の隙間を抜けていく。
それでも良かった。
たとえ、電波を受信できるタイプの人であったとしても。
俺は心が軽くなった。
そう、ハンバーガー二個分くらい。
【おっさんの祈り】
ミッシェルは、長らく滞在している病院に連れ戻された。
連れ戻したのは担当医と事務職員。
ミッシェルを病室に促し、施錠したあと、二人は自販機で飲料を買う。
「なんで、気がつくといなくなるんでしょうね。朝、施錠の確認してますよ」
担当医は心底どうでも良い、といった風情で答える。
「本人が言う通り、『偉大なる予言者で、超能力者』だからじゃない?」
「記録を見ると、彼は千九百九十九年の8月から、ここにいるそうですね」
「恐怖の大王を阻止するって皇居前で叫んで、この病院に運ばれたそうだ」
そのミッシェル。
病室で深々と神に祈っていた。
どうやら間に合ったようだ。
千人目の若者が、アンリという名だったのは、きっと神の恩寵だ。
ミッシェルはかつて、予言の書を記した。
予言の内容は、当時の本国のみならず、二十世紀末に向かう東洋の国にまで広がり、人々を大いに不安に陥れたのだ。
それは罪である。
そう超越神は言った。
生まれ変わり死に変わり、人々に不安を与えた罪を贖うように、と。
そのために、千人の魂を救うように。
彼が予言の書に記載した年に、地球の滅亡はなかった。
神が滅亡を救ってくれた、というわけではなく、単にミッシェルが、計算間違いをしたからである。
本当の恐怖の大王は二十一世紀になってからやって来る。
今夜零時にやって来る。
その大王を片付けたなら、ミッシェルの長い旅路に、決着がつくのだろう。
アンリよ、若者たちよ。
絶望するなかれ。
顔を上げ、前を見よ。
君たちの苦悩をいくばくかでも、私が引き受けるから。
私が引き受けて、神に捧げるから。
折れた心も包帯を巻けば、いずれ蘇ってくるのだから。
ミッシェルの祈りは、神に届いたのだろうか。
深夜零時。
関東一円で、無数の火球が観測された。
それはあたかも流星群の如く、青く小さく光った灯を、首都圏に降らせた。
翌日のニュースは、こんなことを伝えた。
「火球の原因は不明ですが、国立の天体観測所の見解によれば、隕石が何らかの影響で、砂状に砕けて落下したのではないか、ということです」
ミシェル・ド・ノートルダムは、日本では、ノストラダムスという名で知られている。




