74.籠城したい。いつまでも!
停戦の条件は、10日間の交戦の禁止、知恩院から半里以上の後退である。
事実上、長逸の兵は吉祥院城まで後退した。
但し、街道には兵を分散して配置し、関所はより厳しく取り締まった。
逃がさないぞ!
そういう意志がありありと感じられた。
本気で逃げ出すならば、いくらでも逃げ道はあるけどね!
知恩院の広間は公方様と駆けつけてきた奉公衆によって占領された。
奉公衆の兵も少しずつ集まってきており、本堂まで入ってきて勝手に占領していた。
こっちに相談しろよ。
はっきり言って奉公衆は邪魔だ!
広場の一部を家畜場に変更させ、三ヶ月は悠々と籠城できるように猪や鹿など生け捕りにしてくるように命じた。
もちろん、鶏も可能なだけ買って来させる。
これで新鮮な肉と卵を確保する。
「家畜の餌も忘れるな!」
その横で流民用の家が急ピッチで建てられた。
流民の中でも戦う気のある者は抱っこ紐(吊り紐)を使った投石を教え、力の足りない女や子供は河辺で石を拾ってくる作業を与える。
農作業ができそうな者は追加の空堀や落とし穴の作成を手伝って貰う。
「俺は和睦するつもりで交渉に行かせているが、三好と戦いになるかもしれない。恐ろしいと思う者は名乗りを上げよ。ここから出て行くことを許可する。わずかだが食糧も与える。織田家と命運を共にする必要はない」
「若様、ここに残れば、若様の家来にして頂けるのでしょうか?」
「約束はできないが、俺はそのつもりだ! すべて召し抱える!」
なるほど、流民に紛れて来た粗雑者らは仕官するつもりで集まってきたのか?
まぁ、いいさ!
織田の法が守れるならば、どんな奴も拒絶しない。
敵の間者も多そうだから、そこが要注意だ。
もちろん、対策も取っている。
数は少ないがこちらも間者を紛れさせてある。
要注意は戦闘中に井戸に毒や食糧に火を掛けられるようなことを絶対にさせないことだ。
俺なら絶対にそれを狙う。
というか、次の狙いは長逸の兵糧だ。
長逸の兵糧に火を掛けて、さらに追い込む。
尼子と毛利の戦いで儲ける為に畿内の兵糧を買い占めて送った。
米の値段は倍近くに値上がり、丹波の八上城攻めで高い米を買わされることになった (松永)久秀は戦費に頭を抱えてくることだろう。
最初に魚屋を通じて銭1,000貫文、出陣に際して追加で銭1,000貫文を送っておいたが米の差額はきっちりと回収し、俺は一文も損をせずに恩だけ売っておいた。
米の高値の原因が三好の八上城攻めである以上、文句の付けようがない。
おそらく、大和や摂津の領主も高値に釣られて米を放出しており、備蓄も少なくなっている。
つまり、兵糧を確保したいならば、八倍以上に値が吊り上がっている堺から買うしかない。
三好の勘定奉行は頭を抱えていることだろう。
長逸がその意を汲んで和睦すれば回避できる。
どうする長逸?
「若様、悪い顔をされています」
「いかん、いかん、俺は今、窮地に立たされている織田の若様だったな!」
「はい、三好に追い詰められ! 三好当主の長慶の到着を待つことを頼りにする憐れな若様でございます」
「紀伊湊の乗っ取りは巧く行っているか?」
「はい、高野山に献金を多くしたので好意的であります。特に湊 惣左衛門と津田 算長が乗り気です。300石船と鉄を融通して欲しいそうです」
「紀伊湊で荷止めし、東国の米は高値でしか入らないと堺衆と口裏を合わさせているな!」
「問題なく」
「越後の米は敦賀から尼子に廻させた。他に畿内に入る米はないな?」
「そちらも抜かりはございません」
俺が一日籠城を長く続けるだけで三好の財政破綻が一日早くなる。
堺の借財を踏み倒せば、その日から三好の没落がはじまる。
堺は20万貫文相当の富を生む三好の根源だ。
それを失っては畿内の覇者を続けることはできない。
それは長慶も判っているハズだ!
戦を続けるならば、三好は高値の米を買うしかない。
一日籠城を続けるだけで俺の懐は温かくなり、堺衆の発言力は三好の中で増してゆく。
堺衆にとって都合のいい改革ができる。
保険は掛けておくものだ!
三好が弱体化し、将軍の権威が下がろうとも問題ない。
(細川)晴元、おまえがどういう裏工作をやっているのか想像も付かない。
そちらはまったく完敗だ!
だが、おまえが復活する世界はやって来ない。
俺がさせない。
精々、足掻くがいい!
ふっ、俺は軽く笑う。
義理兄はやってくれるし、公方様もトンでもない。
まったく、想定外だ。
長逸、おまえは判り易くっていい。
俺の為に一日でも長く戦を続けてくれ!
そして、俺を勝たせてくれ!
「若様、また悪い顔をされています」
「すまん、こうも早く再戦の機会が来ると思ってもいなかったのでな!」
「(細川)晴元様ですか?」
「あぁ、今度は勝つ!」
この騒ぎを黙って見ている(細川)晴元ではない。
◇◇◇
寺の本殿を追い出された(内藤)勝介らが寺領の小屋を1つ占拠して対策を相談していた。
とりあえず、兄上(信長)に報告するという内容だった。
長く議論した割に下らない。
まぁ、それも仕方ない。
寺領の管轄は熱田衆が行い、運営は傭兵衆が行い、指導は黒鍬衆が指示を出す。
熱田衆は俺の直轄なので命令もできない。
今更、頭を下げて仕事を回して貰うのも癪だろうし、そうなると那古野衆は戦の時に戦うことくらいしか用がなかった。
「公方様がお呼びでございます」
寺の別館は俺が借りているハズなのに?
軒を貸して母屋を取られた。
そういう訳で、広間で公方様がお待ちになっていた。
公方様を上座に置いて、左右に奉公衆が座り、下座に俺らが並ばされた。
俺を先頭に、目付けの勝介ら、那古野衆、その後ろに熱田衆と傭兵衆の代表格も呼ばれている。
「魯坊丸、参考までに10日後の予定を聞きたい」
「参考でございますか?」
細川 藤孝が口を開いた。
「本来であれば、意見など聞く必要はない。公方様の御好意で話を聞いてやることになった。すでに10日後に決戦を行うことは決まっておる。幕府軍2,000人、織田軍1,500人、雑兵3,000人と総勢6,500人。7000人の三好軍に対して、互角以上の戦いができると判断した。よいか、命じたぞ!」
「お断りします。負けぬのに、負けるかもしれない戦をするなど馬鹿のすることです」
「なっ!? 公方様に意見するのか?」
「意見ではありません。否定です。拒絶です。何なら馬鹿ですかと罵ってやりましょうか? やるならば、幕府軍のみでやって下さい。こっちを巻き込まないで貰いたい」
「(魯坊丸様、口の利き方が雑になっております。お止め下さい)」
勝介らが何か言っているが、ここは無視だ!
藤孝が激昂し、巨体を前に出している。
なんと、上野 信孝、木下 昌規も俺を睨んでいるではないか?
「考えてみて下さい。10日もあるのです。公方様が援軍を求めることができるように、長逸も援軍を求めるでしょう。摂津から援軍がないとして、一万から一万五千に膨れ上がると思った方がよろしい。六角が援軍にでも駆けつけない限り、決戦はありません。しかも、こちらの雑兵は半分が女・子供です。数に入れないで頂きたい」
「戯言を言うな!」
「都合のいいことばかりを考えないで下さい!」
「幕府の命に従わぬと言うのか?」
「負けるかもしれない戦に巻き込むなと言っています。勝てるならば、参加させて頂きます。一か八かの戦など遠慮させて頂きます。さらに言わせて頂くと、幕府軍の援軍は無用、我々だけで勝てますので! どうぞ、お帰り下さい」
「我らを愚弄するか!」
おぉ、何人かが立ち上がった。
だが、公方様の供で来ていた者は立ち上がらない。
今朝の戦を見ているからだ!
五倍の兵力差をどうとも思わない策謀家である。
公方様もよく知っている。
「もうよい、藤孝座れ!」
「ですが!?」
「だから、言ったであろう。こいつを御せる奴は誰もいない」
凄く雰囲気が悪くなった。
向こうが馬鹿なことを言っているのだ。
俺のせいじゃないよね!
「では、参考にまで、おまえの策を聞こう」
「策と言うほどのことはございません。籠城しておれば、負けません。相手が五万であろうが、六万であろうが、一ヶ月くらいなら持たせる自信がございます。その一ヶ月の内に長慶が上洛すれば、織田と三好の和議がなり、長逸が詫びを入れて、織田の勝ちが転がってきます。何も死体の山を築く必要もございません」
「安い策だな!」
「安上がりな策でございます。詫びを入れてきた折に、京周辺に朝廷の田畑を耕す許可を貰うつもりでございます。出来ますれば、二万人から三万人の農地を耕し、半農半兵の朝廷の兵を揃えたいと考えております」
「二万人から三万人か?」
「朝廷を守る盾でございます。帝がどなたに指揮を任せるのか? それは帝がお決めになることです。長慶も否と申しますまい」
「なるほど!」
「あぁ、失念しておりました。長慶には帝の為に京周辺の荒れた土地を耕したいと申し出るだけです。二万人から三万人の半農半兵と言う話はお忘れ下さい。田畑を広げる前に止められては困りますから!」
公方様は目をギラつかせ、俺は含み笑いをしてみせた。
俺を憎む奉公衆は敵意を高め、今朝一緒に戦った三淵 藤英らは大きく頷いている。
「ならば、さらに聞こう! 幕府軍は邪魔か?」
「邪魔とは言いませんが、飯を食うだけで出番はございません。それでよろしければ、どうぞ、ご逗留下さい」
「(三淵)藤英、やはり我らは邪魔らしい。どうすれば良いと思う?」
「ここより南、築城中の東山霊山城を拠点として、遊撃に徹するのが良いかと存じ上げます」
「無駄にならなかったな!」
「はい!」
去年、和睦がなり、京に戻ってきた公方様はこんなこともあろうかと東山に城を築いていた。
城の名を東山霊山城と言う。
築城に無駄金を使うので、近衛家から朝廷への貢献を増やせとか言われるのだ。
公方様はさっと立ち上がり、奉公衆に言い放つ。
「陣を移す! 付いて参れ!」
こうして、知恩院の別館を返してくれた。
これで目出度し、目出度しとはならなかった。
「若様!?」
「千代、何かあったか?」
「外に置いてあった荷車をすべて持って行かれました」
「3ヶ月分の兵糧を全部か?」
「はい、倉の中にまだ半分残ってございますので大した問題ではございませんが、取り敢えず、ご報告に参りました。追い駆けて取戻しますか?」
「止めておけ! 公方様も兵糧がないのであろう」
やってくれる。
この図々しさが、諸悪の根源なのではないだろうか?
「千代、今の相場で室町殿(花の御所)に借上状のみ送っておけ、どうせ踏み倒されるだろうが、せめて献上金にさせないと割が合わん」
「畏まりました」
「千代、低金利ではなく、比叡山の金利に合わせて書いておけよ」
「承知致しました」
八倍の米相場で6ヶ月後に倍に跳ね上がる。
(比叡山の金利は6ヶ月で倍です)
つまり、持って行かれた米1,250石(貫文)は、金利を含めて十六倍の二万貫文の借用書に変わる。
そんな銭が幕府に余っている訳もなく、献金という形で幕府に貢献した記録になる。
二万貫文の貢献は大きいと思うぞ!
二十俵を積んだ荷車が300台も列をなして移動したら、その報告を聞いた長逸がどう思うか、それだけが見物だな?
〔※.一俵30kg〕
どうも釈然としないが仕方ないか!




