73.魯坊丸、長逸なんて雑魚だ!
朝靄の中で (三好)長逸の兵7,000人が知恩院の北側に集結していた。
俺は外門を守るように土嚢で作った曲輪の上に公方様と一緒に立っていた。
「余はそなたとはじめて会ったときから、このように肩を並べて三好と対峙する日を心待ちにしておったぞ」
「そのように思って頂いて感謝に尽きません。俺はこのような事態にならぬように、らしくないおべっかや愛想までふりまいて、この事態を回避してきたと言うのに、一瞬で無にして下さって謝罪と賠償を求めたい気持ちで一杯でございます」
「ははは、謝罪と賠償には応じられないが、供に戦ってやるから感謝しろ」
「念の為に言っておきますが、余計なことはしないで下さい。これ以上、邪魔をするなら公方様を見捨てて尾張に帰らせて頂きます」
「ははは、今回はそなたの手際を見させて貰おう」
「本当にそうして下さい」
「随分と砕けた喋り方に変わったな」
「敬意を払っても全然通じないお方だと確信致しました」
ははは、俺の嫌味に公方様が笑っている。
俺と公方様が先頭に立っているので、口上の相手を部下に任せることもできず、長逸が馬に乗って近づいてきた。
もちろん、『やあやあ我こそは尾張の住人、織田信秀の10男…………』などと名乗り上げはしない。
「長逸、久しいな」
「公方様、我が家臣を騙し討ちとは酷うございます。ただでは済みませんぞ!」
「余に剣を向けてきたのはそちらだ! 無礼討ちにしたまでのこと。余に何の落ち度もないぞ!」
「謀略の士と聞いておったが、織田は中々にして汚い策を弄してくれる」
「勘違いして貰っては困ります。こちらははじめから戦う気などありません。勝手に仕掛けてきたのは三好様でございます」
「公方様と罪人を引き渡せば、許してやる」
「お断りします。こちらに非はないと何度も申しております」
昨晩、公方様に襲い掛かった三好勢は瞬く間に崩壊し、三好の直臣三人の首が飛んだ。
俺は三好の兵を助けるように命じたが半数の者が命を落とした。
公方様は当然だが、その側近10人も強かった。
刀で槍を持った足軽らを圧倒した。
ウチで言えば、慶次や前田兄弟が10人揃っているような連中だ。
ほとんどの死者は公方様が原因だ。
首を狩った三人はともかく…………止めを刺すなよ。
生き残った者には三好が公方様を襲ったと、何度も教えてから解放したが、どうやら長逸はそれを認めないつもりらしい。
そりゃ、そうだ!
自分から襲って、返り討ちに遭いましたとは体面が悪い。
「謝罪するつもりはないのだな」
「そちらこそ、恥の上塗りをすることになりますぞ」
「その口上は後で前に引き摺り出してから聞くことにしよう」
「上座でお待ちしております」
「抜かしたな、小僧。首洗って待っておれ!」
長逸が馬を返して去ってゆく。
そして、法螺貝が鳴り、敵が一斉に攻めはじめた。
『慶次、行け!』
こちらも精鋭200人を送り出す。
外門を守るように土嚢で作った曲輪は道を塞ぐように三重に重ねてある。
代わりに、大橋仕様で作った側道には何の障害物も置いていない。
慶次達の兵が大橋を走り過ぎると、右に進路を変えて敵に対峙する。
「余も先陣を駆けたかったな」
「公方様は強すぎます。一当てして戻って来られないではないですか?」
慶次に与えた作戦は一当てだけして、敵を引き連れて戻って来いと言うモノだ。
まるで罠ですと言わんばかりに空けられた側道の大橋に敵を誘い込む。
『釣り野伏せ』
そう呼ばれる作戦によく似ている。
慶次を含めた騎馬10騎と足軽200人が敵の先頭に当たった。
流石、向こうの先陣もやる気だ。
敵の右翼と互角に当たったが、向こうは7,000人の多勢だ。
すぐに左右から挟まれて、慶次が退却の指示を出した。
「余がやりたかった」
「公方様は逃げないで戦ってしまうでしょう。敵を誘うのが目的ですから、踏み止まって囲まれては困るのです。こちらは兵が足りないのですから援軍なんて出せませんよ」
「詰まらん」
「趣味で戦をするつもりはありません」
「何故、側道の左右に兵を伏せておかんのだ?」
「必要がないからです。とにかく、追い駆けてくる兵を外門の手前で防いで下さい。間違っても橋まで追い駆けないで下さいよ」
「承知した」
戦好きの公方様の為に、慶次らを追い駆けてきた三好勢を食い止める役目を任せた。
側近らは滅茶苦茶に怒ったが公方様はやる気だ!
最初は慶次と共に先陣を切ると言って止めて、そこで妥協して貰った。
側近らも大変な主人を持ったと思う。
逃げ遅れた者は見捨てられる。
この作戦は足並みが命だ。
ゆえに精鋭の200人はほとんどを精強な傭兵で占めている。
織田の者は名乗り出た者のみだ。
もちろん、前田兄弟や熱田の者らが名乗り出た。
その中から武芸と足が速い者を選出した。
その殿を希望したのは、公方様と慶次くらいだ。
一当てした味方が戻ってくる。
今にも殺されそうになりながら、慶次が馬上で活き活きと敵と対峙する。
味方を庇いながら最後尾を後退し続ける。
皆、必死の形相で駆け戻ってくる。
橋の幅は五間半 (10m)であり、長さは三条大橋に向かって165間 (300m)の長さがあった。
一晩でこの大橋を包み込む巨大な曲輪のような土嚢の壁を造るのは苦労した。
やっと慶次も敵を引き連れてのお戻りだ。
こらぁ、橋まで進むなと言ったのに公方様が慶次の援護に橋に入った。
側近らも雪崩込んでゆく。
さっさと戻って来い。
一方、敵の左翼は街道に立てていた木板を蹴り飛ばし、知恩院の北側に迫ってきた。
だが、目の前には大きな池のような堀が立ちはだかる。
堀の先には土手があり、その上に木の壁が崖のように立ち塞がっていた。
そして、壁の向こうから矢が降ってきた。
「どういうことだ? このような池があるとは聞いていないぞ」
寺を攻めるのに攻城戦の準備などしていなかった。
完全な手詰まりだ。
ちゃんと下調べをしないからだよ。
◇◇◇
慶次が何本かの矢を背中に立てながら外門に戻って来ると、そこで足を止めて踏ん張ってくれる。
公方様も戻ってきた。
まったく。
敵も土嚢の曲輪に取り付くと壁を越えてくる者もいた。
そういう奴が横から襲ってくるが少数だ。
土嚢の壁を乗り超えるのは一苦労、当然、道に殺到する。
しかし、我ながら逃げてくる味方を通しながら耐えよという無茶な作戦だ。
だが、公方様が先頭を切って戦ってくれると、恐れを為した敵の足軽の足が止まる。
敵は交通渋滞を起こした。
先駆け一人で戦況を変えてくれる。
助かった。
思っていたより被害が小さい。
『引け!』
俺の号令で6本の綱引きが始まる。
外門の内側には綱引きのような長い綱が何本も用意されていた。
折角の人材だ!
流民達にも力を貸して貰う。
「引け! 引け! とにかく、引け! 根性みせてみろ!」
指揮の声で一斉に綱を引く、最初はビクともしない。
抵抗が重く感じる。
だが、心を1つにして引けば、ガタンという大きな音と共に一気に抵抗がなくなる。
1つが外れると、残る5本の綱も簡単に引けた。
内側では尻もち大会に変わっていた。
ゴゴゴゴゴゴォォォォォ!
地面が割れるような音を立てて、大橋が崩れていった。
大勢の敵の足元が崩れて、積み木倒しになって落とし穴に落ちてゆく。
魯坊丸と言えば、『落とし穴』だ。
大橋は支柱六本で支えている割と単純な造りであり、地震が起これば一瞬で倒れる安普請だ。
普段使いさせないのは、いつ崩れるか判らない代物だからだ。
崩れたら崩れたで池として使うので問題ない。
「俺としては、五間 (9m)は掘って欲しかったのだが?」
「若様、それは無茶です。二間 (3.6m)を掘るのも棟梁が苦労しておりました」
「そうなのだ。それ以上掘ると北のように空堀ではなく、水が湧いて池になってしまう」
「そう言う意味ではなく、その上に橋を掛けるのが難しいと言う話です」
俺は首を捻った。
先遣隊を送って作業員も材料も先に準備させておいた。
何が難しいのだ?
武衛屋敷の作業の一環としてやらせていたので怪しむ人もいなかった。
穴を掘って、柱を立てて、後は組み立てるだけだ。
後で話し合おう。
さて、俺は見晴らしの良い、最前線の見張り台に移動した。
三好の軍勢が一望できる場所だ。
そして、武蔵に拡張器を持たせている。
紙を丸くメガホンのように巻いただけのモノだ!
『三好に告げる! 貴様らの仲間500人余りは落とし穴に落ちた。中には油が充満している。火を掛ければ、全滅だ。10日間の停戦を望む。三好 長逸、停戦か、味方を見殺しにするか、どちらにするかを選べ。三好 長逸、味方を見捨てるか?』
俺の言葉を武蔵が復唱する。
「武蔵、何度も繰り返せ」
その声明を聞いたのか?
公方様が防衛戦を放置して慌てて見張り台までやってきた。
敵も茫然としているので問題ない。
公方様は凄い形相で梯子を上がってきた。
何故か、凄く怒っている。
「何故、すぐに火を掛けん。 一気に500余りを失えば、敵の士気が消える。この好機を見逃してどうする?」
「どうもしません。高々、500です」
「今が好機だ」
「長逸に勝っても恨みを買います。その恨みを買って、(松永)久秀、(三好)長慶と戦うつもりですか?」
「そうだ! そして、勝てばよい!」
「そして、畿内は再び戦火に見舞われ、民草が逃げ惑う世の中に戻すつもりですか? 誰がこの畿内を正すのですか?」
「余が正す」
「そんな戯言は、独自で三万の兵を揃えてから言って下さい。絵に描いた餅で腹は膨れません」
「死にたいか」
「俺を殺せば。この戦は負けるぞ!」
俺と公方様は睨みあった。
その間も忠実な武蔵は復唱を繰り返す。
織田も三好も戦う手を止めて、長逸の動向を見守っていた。
「何故、それほど長慶に肩入れする?」
「しておりません。ただ、この畿内を治めることができるのが、長慶のみというのが事実だからです」
「それほど恐ろしいか?」
「まったく、恐ろしくありません。長逸など雑魚一人を御せない者を恐れるものですか?」
「ならば、何故だ!」
「強かになって下さい。三好はいずれ分裂します。長逸を生かすことで分裂します。長慶から少しずつ力を奪い取り、将軍家の力を取り戻して下さい。そのときは力を貸しましょう」
「本気か?」
「ここで嘘を言うほどの度胸はありません」
「三好は割れるのか?」
「割れます」
「力を貸すのだな」
「間違いなく」
「約束を違えた場合は切るぞ」
「ご随意に」
俺はいっさい目を離さずに答えた。
やっと刀の柄から公方様の手が外れた。
マジで怖かった。
公方様が俺を殺そうと思った瞬間、千代女が刺し違えても俺を助けようとするだろう。
間違いなく千代女は助からない。
俺も助かるかどうか怪しい。
室町幕府第13代征夷大将軍、足利 義藤(後の義輝)。
まるで激情の塊だ。
火砕流のように自らを飲み込んですべて炎にくべてしまう危うさがある。
熱過ぎる。
はっきり言って、俺の手に余る。
「良いか、約束を違えるな」
そう言いながら見張り台から飛び降りて外門に戻ってゆく。
俺は公方様を見送りながら、頭を掻いて「参ったね」と呟いている。
長逸が愚かな武将なら公方様の希望通りに総攻めをして終わることになったのだが、そこまで愚かではなかった。
そりゃ、そうだ。
味方を見殺しにすれば、長逸の為に命を賭ける者はいなくなる。
そんな軍はすぐに崩壊する。
そんなことも判らない者が総大将を務められる訳もない。
しばらく時間を置いて、長逸は10日間の停戦に同意した。




