69.迷惑な三兄弟、喧嘩御免なんて許してないぞ!
「お市様ぁ~~~~~~!」
御所へ向かう織田の行列を見て、犬千代こと前田-利家は何度も何度も行列が見えなくなるまで叫んだ。
『家で待つのじゃ』(ハウスじゃ)
犬千代はお市にそう命じられた。
犬千代は悩む。
信長様の命は「一時も離れるな」である。
お市が見えなくなって、一つの結論に達した。
果たして、これで信長様の命を守っているのだろうか?
否、否である。
俺はお市様をお守りするのがお仕事だ。
部屋に戻ると長槍を持ち出した。
「お市様、この犬千代がお守りに行きますぞ」
犬千代は走った。
急げば、まだ、間に合う。
知恩院の大門の横の開かれた通用口は常に開かれている。
不用心のように思えるが大門の外には寺領が広がり、織田の兵や傭兵などが暮らしている。
寺を城に見立てるならば、大門の外に外堀があるようなモノであった。
織田同士に行き来も多く、閉めておく方が不便だった。
その通用口には足元に突き出た縁があり、それを跨いで通ってゆく。
犬千代は長槍を横に向けて、ぴょんとその縁を跳び越した瞬間、すっと足を刈られた。
ごろごろごろ、ずだだだん!
通用口があるとちょっとした階段があり、犬千代は見事にごろごろと転がってズドンと落ちた。
「情けない。それでも前田の者か」
足を掛けた本人が掛ける言葉ではない。
いててて、犬千代は頭を押さえながら立ち上がった。
「安勝兄上、何の悪戯でございますか?」
「悪戯ではない。だが、まさか本当に来るとは思っていなかった」
「思っていなかった?」
「お前の行動は魯坊丸様に読まれておったぞ」
「利玄兄上、そんな所に座って何をされておるのですか?」
「お前が寺を出て御所に向かうようならば、取り押さえておけと内藤様から命じられた」
「某は信長様より命じられました」
利玄は懐から手紙を取り出して犬千代に投げた。
信長から目付の内藤 勝介に宛てられた手紙であり、勝介の要望を聞いて、犬千代の役目を解任し、勝介の下に入れるという内容であった。
『何ですと』
こうなると捨てられた子犬だ。
「俺はいらない子ですか?」
「そういうことだ」
「残念だったな」
前田兄弟は弟を慰めると言うことはしない。
むしろ、虐める。
「内藤様より命だ。俺らの下に付け」
「ほれ、お前の役目は槍持ちだ。これも持っておけ」
「どうだ! 俺の槍と交換しないか?」
「それは駄目です。これはお市様から頂いた大切な槍なのです。お市様のご命令がない限り、手放すことなどできません」
「仕方ない。ほれ、俺の槍も持っておけ」
「兄上らはどこに行かれるつもりなのですか?」
「非番の日は町の巡回と決めておる」
町に徘徊する野良の武士やはぐれ者を退治すると町の衆から称賛を受け、内藤様からもお褒めの言葉を賜った。
これに気を良くして、役目が休みの日には自主的に町を徘徊するのが前田兄弟の日課となっていた。
◇◇◇
「利玄様、おはようございます」
「おはよう」
「安勝様、今度うちの店に来て下さい。お安くしますよ」
「悪いな。そんな余裕はない。傭兵らの方が銭を持っている。そいつらから搾り取れ」
「そうします」
「利玄様、お一つどうぞ」
「貰うぞ」
利玄は握り飯のような塩団子を受け取ると、懐から10文を取り出して置いた。
屋台の主人が頭を下げた。
「犬千代、お前は銭を持っていないのか?」
「お市様と一緒ならば、下女の千雨が銭を払ってくれるので困ったことはございません」
「預かっていないのか?」
「まったく持っておりません。慶次も持っておりませんがツケが利きました」
「それはいいな。お前のツケで買い食いをしよう」
「某の顔でツケは利きません。彦右衛門殿と慶次は魯坊丸様の家来扱いですが、某はお市様の家来扱いです」
「まったく、頼りにならん」
「兄上こそ、銭を持ってないのですか?」
「持って来ておるが限りがある」
雇われている者は月毎に銭が貰えるが家臣はそうではない。
前田家など、上洛に必要な経費を自前で用意しないといけない。
当然、こづかいも少なくなる。
お市の財布で好き勝手していた犬千代とは違った。
さて、三条通りで前田兄弟を知らない者はいないほど有名人になっていた。
「兄上らは何をなさっていたのですか?」
「非番の日には巡回をしておった」
「非番とは?」
「6日に1度、休みが貰える。休みと言ってもだらだらとするのではないぞ。自らの鍛錬や調べ物、あるいは、自分でできることを自分で考えてやるのだ」
(そう魯坊丸様がおっしゃった)
「我らは町の治安を守る為に巡回をしておる」
「お前に非番はなかったのか?」
「お市様の側を一時たりとも離れるなと、信長様から命を賜りました」
「そうか、それは仕方ない」
前田兄弟という猛獣が町をうろつけば、狂犬のごろつきが近寄らない。
安上がりな用心棒と三条通りの町衆は、織田家にお礼の品を送って来ていた。
勝介は気を良くして、利玄・安勝の前田兄弟を褒めた。
「見回るのも簡単ではない。家紋を背負った者とは争ってはいかん」
「他家は他家の武士の面子があるからな。面子を潰さんように和解をせねばならん」
「これが中々に難しいのだ」
「どうされるのですか?」
「向こうの家まで連れて行って貰い。向こうの家で話し合うのだ」
「それならば変な噂も立たんからな」
がははは、前田兄弟は高笑いをする。
他家にしろ。
町にしろ。
前田兄弟が暴れて被害が出た所には酒と見舞金が送られてくる。
魯坊丸からお叱りも受けているが、そんなことを気にする前田兄弟ではなかった。
「相手の面子を潰したときは腹を切らされるぞ」
「兄者、腹を切るのを恐れて喧嘩などできるか?」
「その通りだ」
「犬千代、よぉ~く覚えておけ。相手が再び挑みたくならなくなるまで徹底的に叩くのだ」
「きゃんきゃんと吠えるだけの屁のつっぱりはいらんぞ」
「俺はそんなのではない」
がははは、前田兄弟は三条大通りから西堀川小路に曲がって下京の方に向きを変えた。
「伏見稲荷の町衆も見回って欲しいと言ってきましたな」
「では、九条大路まで下って、東に向かうか?」
「そうしましょう」
京の町は東側が高く、西が少し低くなっている。
雨が降ると西を流れる桂川が氾濫して、南西の町を洗い流すことが多々あった。
前田兄弟が南に下ってゆくほど、辺りにみすぼらしい家々が増えていった。
◇◇◇
京の南、朱雀大門の南西には吉祥院がある。
ゆえに、この辺りは吉祥院の地と呼ばれていた。
吉祥院の北にあたる八条大路と西大路が交差する近くに吉祥院城があって、(三好)長慶が入城したこともある三好家の拠点があった。
その城を預かっていた若槻 光保は苛立っていた。
「(三好)長逸様は幕府の命には従うなと言うが、そんなことができるか?」
京の警護は左近衛大将西園寺公朝、右近衛大将久我 晴通が自ら兵を率いて、大番役を務めると言う。
公方様はそれを認め、三好家もその下に入れと命じている。
すでに、京の巡回ははじまっていた。
長逸様の命で三好家はこれを無視する形で独自に警備を続けていた。
だが、今までのように大規模にできないでいた。
三好の兵と織田の兵がイザコザを起こしたらどうなるか?
いずれはどこかで起こると、(若槻)光保は懸念していた。
光保は細川京兆家の奉行人を務めていたので、こういう格の問題に敏感であった。
朝廷も幕府も力はない。
権威も力がなければ、何の役にも立たない。
それは長逸様の言い分が正しい。
しかし、違うのだ。
国衆など、その格がないと従わなくなる。
三好家が朝廷や幕府、あるいは、管領から認められるから国衆は従っている。
すべてからソッポを向かれた瞬間、三好家は誰からも相手をされなくなる。
それを判っておられない。
だが、意見を申し立てれば、長逸様から不審を買われる。
下手に動けない。
「今日の巡回を中止する。見回組のみとする」
「今日も中止されるのですか?」
「何か文句があるか?」
「何もさせずに城に留めおくと、皆が腐ってしまいます」
三好の兵が町を巡回すると、あちらこちらで問題を起こすことはよくある。
血の気の多い三好の兵は好き勝手に横領や乱暴を行う者がおり、多少の発散は必要だと侍大将もそれを身逃すことが多い。
戦がないと彼らの収入が激減することを思ってのことだった。
最悪、その侍大将も馳走になることもある。
今までは多少のことならば、泣き寝入りしてくれた。
だが、今問題を起こすと大番役の織田の兵が駆けつけてくる。
考えたくない。
そうだ、タダでは済まない。
「相判った。桂川に跋扈する流民を排除させよ。彼らの為に都の景色は見苦しくなっておる。ごみを焼き払い、この都から追い払え」
「畏まりました」
桂川の流域は巡回の経路から外れていた。
これで兵の不満も多少は解消するだろうと、(若槻)光保は考えたのだ。
しかし、長逸様にはお知らせできんな。




