68.魯坊丸とお市が帝に拝謁する。
帝は日の本でもっとも畏きお方である。
帝との拝謁は天文22年 (1553年)4月2日の大安の日と決まり、あっと言う間にやってきた。
金銀キラキラの衣装を纏い、織田の行列が知恩院を発つ。
沿道に町の衆が一目見ようと群がっていた。
この日、お市は輿を許された。
最初は牛車の予定だったのだが、どうしてもお市をひと目見たいという希望が多く寄せられて、御所もそれを無視できなくなった。
立派な笠の付いた輿に乗って、十二単を身に纏ったお市が担がれてゆく。
見た目、立派な姫様だ。
今日はお淑やかにする約束を交わした。
皆、この日の為の準備をしてきた。
悪いが血の気の多い者は試験で弾かせて貰った。
公家の先生には厳しく選抜して頂いて100人ほどに絞った。
御所で問題を起こされては困るのだ。
前田兄弟は全員落選となった。
予想通りだ。
織田の行列は御所に入り、紫宸殿の方へ向かってゆく。
建礼門を通り、承明門をくぐって内裏にある左近桜と右近橘の間で止まった。
これがどれほど厚遇なことか俺は知らんし、まったく判らん。
拝謁は最も格式の高い正殿紫宸殿で行われた。
帝は中央の御座『高御座』にお座りになられ、俺とお市は部屋に入るとすぐに平伏した。
「織田三河守三郎信秀が子、魯坊丸でございます」
「同じく、市でございます」
のじゃ姫もここだけは『のじゃ』が封印された。
今風の子供用の十二単のお市は実に愛らしい。
七五三のようだ。
兄上 (信長)が居れば、鼻を伸ばしてだらしない顔でお市の周りを何度も何度もぐるぐると飽きずに見て回ることだろう。
今日のお市はきりりとして、また良い顔をしている。
俺も負けていられない。
身振り素振りに品があるように美しく背筋を正しておいた。
左右に列を為した公家様たちにどう映っているのか判らないが、少なくとも落胆の溜息は聞こえない。
「よう来た。朕は嬉しく思うぞ」
帝のお言葉はその一言のみだ。
あとは右大臣の近衞 晴嗣が一歩前に出て、俺を褒め讃えた。
「魯坊丸、そなたは衰退しておった酒座の復興に尽力し、そなたが献上した医学書によって多くの命が救われた。その功績を讃えて、帝からお褒めの言葉を賜った。感謝するように」
「感謝致します」
「お市、そなたは戦過に苦しむ民に安らぎを与えた。その功績は極めて大きい。帝からお褒めの言葉を賜った。感謝するように」
「感謝致します」
次に織田弾正忠家の功績が讃えられる。
御所修繕の献金、尾張朝廷荘の復活、伊勢などへの援助や各公家への救済など、数々の貢献が読み上げられ、兄上 (信長)に尾張守、信勝兄ぃに三河守の官位を授け、その使者に俺が任じられた。
同じ従五位下でも俺の方が上位という細かい配慮だ。
だが、そろそろ止めてくれ。
お市がそわそわし始めた。
関白で左大臣の一条-兼冬が不在の為に、晴嗣の独断場だ。
こちらは俺にとってはありがたかった。
◇◇◇
拝謁を終わると小御所をお借りして、次の宴会の為にお着替えだ。
「あぁ、心臓が止まるかと思いました」
「お市様が体を左右に揺らしはじめたからな?」
「右大臣様の配慮で早急に終わらせて頂いたのは助かった」
まったくだ。
あといくつか儀が残っていたが晴嗣の機転で中略し、早々に拝謁を終わらせた。
お市が「もう飽きたのじゃ」と言って立ち上がるのでないかと、後ろで見ていた者は気が気でなかったようだ。
右大臣が晴嗣で助かった。
さて、お市は帝 (後奈良天皇)の女御である万里小路 栄子のお誘いを受けている。
栄子様のご希望でお市は再び天女の姿に戻っていた。
「もうわらわは疲れたのじゃ。もう帰りたいのじゃ」
「がんばれ、お市」
「それに腹も減った」
「さっきの茶漬けでは足りんか?」
「あれでは力が出ないのじゃ」
御殿の雰囲気に当てられたのか、今日のお市は元気がなかった。
本当に飽きているのだろう。
逃げ出さないだけでも大した成長だ。
俺は懐から飴玉を取り出して、お市の口に放り込んだ。
「甘いのじゃ」
ほっこりほろほろと頬に手を当てて甘味を堪能する。
こういう堅苦しい所はお市に向かない。
晴嗣にお市の拝謁が二度と起こらないように頼んでおこう。
そこに女官が入ってきた。
「帝が前をお通りになられます。どうか控えて下さいませ」
その言葉に(内藤)勝介、(林)通忠、(千秋)季忠が腰を抜かした。
彼らは紫宸殿の御前で控え、檀上の上に遠く微かに見える帝の影で満足していたのに目の前を通ると言うのだ。
今生の幸せであった。
だが、何故、こんな所を通るのか?
意味が判らなかった。
俺も判らない。
とにかく、皆はひたすら平伏していた。
帝の足が俺の前で止まった。
「魯坊丸、朕はそなたに詫びねばならぬ。朕がそなたに会いたいと言った為に迷惑を掛けた。許せ」
なるほど、その一言の為にわざわざ遠回りをしたのだろう。
これは謝罪ではない。
一人言だ。
その証拠に帝はこちらを向いていない。
だから、俺も一人言を呟いた。
「お気にすることはございません。臣下が帝に尽くすのは当然のことです」
「そうか、心が軽くなった」
「これからも尽くさせて頂きます」
「うむ、期待しておる。天女様もご苦労であった」
「大したことないのじゃ」
よく見ると、一人控えることもなく、にっこりと笑うお市に勝介らが慌てている。
「よい、天女を罰せられる者は誰もおらん」
そう言って帝は足を動かし通り過ぎられた。
小御所をお借りした意味がやっと判った。
これは予定調和だったのだ。
宴会では公家様の話を聞くばかりで帝と話すこともなかった。
◇◇◇
宴会が終わると、俺とお市は馬上の人となる。
夕日を浴びながら、京の町を再び行進して知恩院に戻ってゆく。
お市は三度、天女の姿を晒した。
随分と拝む人が多くなった。
「魯兄じゃ、わらわはふらふらじゃ」
「そちらも大変だったであろう」
「大変どころではない。一杯、集まってくるのじゃ」
「そうか」
「そうなのじゃ、質問攻めじゃ。 同じことを何度も聞かれた」
「ははは、大変だったな」
「大変だったのじゃ。今度は百人一首を一緒にやろうと言われてしもうた」
そりゃ、大変だ。
お市はもう一度御所に行かねばならないのか?
勝介らも取り乱している。
お市の女官は(飛鳥井)雅綱様から借りている二人だけだ。
今日はその二人で何とか凌いだ。
千代女も千雨も公家の作法を学んだばかりで咄嗟の対応ができない。
今度は女官も育てないといけないのか?
問題が山積みだな。
「魯坊丸様!?」
さっそく勝介が声を掛けてきた。
慌てるな。
今日、明日の話ではあるまい。
明日でも (山科)言継に相談だな。
三条大橋を越えた辺りで少しざわついた。
否、そうじゃない。
行列を見守る層が変わったのだ。
どこか煌びやかな服を身に纏った町の衆から賤民が一気に増えたのだ。
街道沿いに溢れている感じだ?
行列に入って千代女に一言二言だけ交わして出ていった者がいた。
あれは千代女の部下の一人だ。
千代女が俺の馬の下まで前に来た。
「千代、どうかしたか?」
「詳しいことは後で話します。桂川の下流で織田の兵と三好の兵が揉めたようでございます」
「今日がどんな日か判ってやっておるのか?」
「探らせておりますが、どうやら本当に偶発的なもののようでございます」
桂川と言うことは、今日の昼か?
ならば、右近衛大将久我 晴通様と義理兄(中根 忠貞)が関係するな。
三好め、要らんことをする。




