60.帰蝶、怒る! 〔どうして尾張生駒家は灰や油の商いと馬借をやっていないの?〕
帰蝶は殿(信長)との視察から戻ってから少し困っていた。
中島郡の川賊退治に前田 利春と池田 恒興を送ったが、肝心の川賊が姿を消してしまった。
出て来ない敵の為に兵をずっと留め置くのは無駄であったが、おそらく織田の兵がいなくなると、再び川賊が徘徊すると思えた。
「殿、ここは1つ。わたくしにお任せ下さい」
大見得を切った帰蝶であったが、那古野城に帰って忍びの村雲流大芋衆に調べさせてみると思っていたのと違っていたことを知った。
まず、犬山城の家臣である生駒 家長を調略しようと考えたのだ。
(生駒)家長の娘 (吉乃)は土田家に嫁いでおり、生駒家と土田家は縁が深かった。
そして、土田家は織田弾正忠家と縁が深く、明智家の家臣筋であった。
攻略は容易いと思っていたのだが、肝心の灰や油の商いと馬借を扱っていなかったのだ。
えっ、どうして?
帰蝶は思わず、声を漏らすほどだ。
生駒家の本家は藤原良房の子孫で、灰や油の商いと馬借で冨を築いた。
当然、分家の尾張生駒家も商家を持っていると考え、商家繋がりで広野川(木曽川)の川賊と関係を持っていると考えた。
敵の川賊を織田家で貰い受けようと言う策であった。
馬借をやっていれば、そんなに難しくない。
商家に近い魯坊丸や津島の大橋氏など、損得勘定に聡い!
臣従しろと言うのはない!
荷を止めると言えば、川賊を簡単に差し出すと考えていた。
しくしく、帰蝶は涙をぬぐう。
報告をした下女の千早が困り顔で主人の顔を覗いていた。
「本当にまったく、川賊と関係はなさそうなのですか?」
「小折城は尾張と美濃を結ぶ岩倉街道に近い城です。馬借で儲けるには最適な場所かと思いましたが、馬借を商っていないので関係は薄いかと?」
「犬山を寝床にしている川賊と連絡を取ることができそうですか?」
「生駒家は犬山城主の織田 信清の家臣でございますから、連絡を取り、関係を持つことは可能と思いますが…………」
千早の声が尻すぼみになっていった。
声が小さくなるのも当然だ。
まず、生駒家を調略し、その生駒家に川賊と関係を作って貰い、川賊を寝返るように調略を依頼するのだ。
1年から2年を掛けるのなら無理ではないが、昨日、今日ですべてを完結するのは余りにも無茶であった。
やれと言われれば、やりますよ!
でも、期待しないでね!
そんな自信のなさが窺えた。
大和の本家が灰や油の商いと馬借で儲けているのに、どうして尾張の分家がやっていないのよ!
帰蝶は頬を膨らませて、横にあった饅頭を口に放り込んだ。
ぱく、ぱく、ぱく、重の上に山積みになっていた饅頭が見る見る間に減ってゆく。
千早は物欲しそうな目で見ながら、涎を垂らしていた。
「食べる?」
「ありがとうございます」
出されたお重に千早が飛び付くと、すっと襖が開いた。
ごつん、千早の頭に拳骨が降ったのだ。
「申し訳ありません。わたくしの教育が足りませんでした」
飛び出してきたのは千早の目付の佐吉丸である。
村雲流大芋衆の棟梁の娘である千早を支える為に付き従って来て、忍びとしての教育を行っていた。
千早の腕は一流らしいが、主君に仕えたことがないので、どうもふわふわしているそうだ。
「躾けがなっておらず、申し訳ございません」
「いいのよ。千早は小柄で可愛らしいし、愛嬌があって居てくれて助かっています」
「そう言って頂き、ありがたく存じ上げます」
「佐吉丸ももっと気楽に接してくれていいよ。我が織田家は忍びを虐げる風習はないのは承知しているでしょう」
「ありがたいお言葉に感謝も尽きません。しかし、主従の在り方は崩してはなりません」
「そう、千早でわたくしが口を挟むことではないわね」
「そう言って頂き、感謝致します」
ぱく、帰蝶は話しながらも饅頭を口に放り込むのを止めない。
帰蝶は思う。
わたくしの策ははじめから泥舟でした。
殿(信長)に謝れば許してくれる。
それは判っているが、頼ってくれた殿 (信長)を裏切るようで簡単に諦められないわ。
何とかならないかしら?
「佐吉丸、あなたならどこが狙い目と思うのかしら?」
「敵である川賊を寝返らせる策でございますか?」
「ええ、そうよ!」
「それは帰蝶様がお判りのように、その主人を寝返らせなければ無理かと存じ上げます」
そうなのだ!
5~6人の川賊は村を襲わない。
普通に襲われるのは数人の旅人や行商人だ。
村を襲う川賊とは、川賊にあらず!
どこかの家臣か、雇われた傭兵なのだ。
「30人から100人も集まれば、土地の者であれば、すぐに気が付きます」
「つまり、領主が裏で絡んでいないと川賊は続けられない」
「その通りでございます」
その証拠に織田が兵を送ると、川賊がぴたりと止まった。
那古野の織田家と揉め事を起こしたくない証拠だ!
つまり、犯人は葉栗郡の領主か、美濃の領主とすぐに判る。
「どうでしょうか? 川が荒れて困る方に兵を貸して頂くのは」
「それはどういう意味かしら?」
「調べて歩いて判ったことですが、葉栗郡は耕せる場所が余りございません」
「川が氾濫する度に、川の流れが変わる為よね!」
佐吉丸は小さく頷いた。
葉栗郡の石高は少ない。
でも、決して貧しい訳でもない。
桑名や津島と美濃を結ぶ水運が富を零してくれる。
広野川(木曽川)は禍と富の両方を与えていた。
「黒田城の山内 盛豊殿は大層りっぱな方と噂されております」
「立派な方なのね?」
「大層ご立派な方でございます」
佐吉丸がにやりとすると、帰蝶の目もきらりと光った。
「褒美です。残りの饅頭は千早にあげます」
帰蝶は立ち上がると部屋からどたどたと長門守を探して慌てて出ていった。
◇◇◇
それから数日後!
長谷川 橋介を目付けとして伴って、先日の視察と同じ道を通って、大野の仮宿営地までやってきた。
そこから池田 恒興が100人の兵を伴って、舟で葉栗郡の黒田城に向かった。
黒田城の山内 盛豊にとって、はっきり言って迷惑であった。
一方的にお会いしたいと使者を送られた。
(山内)盛豊は織田伊勢守家(岩倉織田氏)の織田 信安の家老職を勤めていた。
一方、帰蝶は信長の妻、斎藤 利政の娘である。
一年前ならば、主人 (織田 信安)と信長の関係も左程悪くなかったので問題なかったが、中島郡を横領されて険悪な雰囲気が漂っている。
しかし、尾張と美濃の国境にある葉栗郡は、両者に関係が深い帰蝶の訪問を断れなかったのだ。
舟の上で池田 恒興が呆れていた。
「奥方様、まだ敵ではないと言っても無茶をなさいますな!」
「(池田)恒興、心配はありません。わたくしに何かあれば、織田伊勢守家(岩倉織田氏)は殿 (信長)と美濃の両方を敵にします。余程の馬鹿でなければ、わたくしに危害を加えようと考えません」
「ですが、万が一もございます」
「(池田)恒興がいるので安心できるのです。殿 (信長)が困ることはなさらないでしょう」
「当然です。奥方様を那古野までお送り致します」
「頼りにしております」
「お任せ下さい」
(池田)恒興は単純な武将であった。
それでいて、乳兄弟である信長への忠誠心だけは揺らがない。
川を遡ってゆくと、黒田城の手前に湊町が見えてきた。
舟が多く泊まり、湊は栄えていた。
尾張の生駒家は灰や油の商いと馬借をやっていなかったという説があります。
生駒氏は藤原忠仁の子孫で大和国平群郡生駒発祥であり、応仁の乱の戦乱などから逃れるために家広の時、尾張国丹羽郡小折へ移り生駒屋敷を構えたという。
生駒屋敷跡地にはそう書かれている。
この理屈でゆくと、生駒家は灰や油の商いと馬借をやっているべきです。
しかし、商売をやっていた文献が出ていない。
「武功夜話」に生駒家は「灰や油を扱う馬借」「豪商」と流布されたことが原因です。
そうなると生駒家本家であったのかも怪しくなります。
しかし、三代目の生駒家宗は大垣市曽根の領主である西尾氏から妻を迎え、四代目の生駒家長は神野氏という楠木正成の末流から妻を迎え、次は土田氏です。
勝手に名を名乗ってのではないのは明らかです。
生駒に分家がやってきたのか?
あるいは息子の誰かが、尾張にやってきたのか?
そのいずれかだと思うのです。




