閑話.内藤勝介のご苦労様。
なぁ、何ですと!
魯坊丸様の言葉に耳を疑った?
公方様の能会に近衛 稙家様がやってくる?
聞き間違いだ。
幻聴に違いない。
「そう思いたいのは俺も一緒だ。しかも一人ではなく、お仲間を連れて来られる」
「どう段取りすればよろしいのですか?」
「知らん。ともかく、庭に作った仮設の枡席を二列に造り変え、両側まで広げろ! それで倍の人が来ても何とかなる」
「しかし、元関白様を下段に座らせる訳に参りません」
「判っておる」
魯坊丸様でも何ともならないことがあるのがよく判った。
どうしてこう問題が続くのだ。
「内藤様!?」
「お市様が和歌のお勉強が嫌と逃げ出されました」
「追え!? 寺領から出すな!」
「畏まりました」
「また、鬼ごっこか!」
お市様は勉強が詰まらなくなると、怒り出してどこかに行かれてしまう。
昨日は裏山に入って山道を登って行かれた。
逃げ出すのは町だけではなかった!
「見つかったか?」
「まだでございます」
「魯坊丸様!?」
「ほっておけ、その内に戻ってくる」
「何を作っておられるのですか?」
「お市が次から逃げんように工夫をしている」
「木など切って? 心配ではございませんのか?」
「千雨も付いておる。腹が減れば戻ってくる」
魯坊丸様は何故か、薄情になられる時がある。
小刀で薄い木を作っていた。
一体、何を考えておられるのだ?
「勝介、お前が知っている好きな和歌は何かあるか?」
「知りません」
「頼りにならんな!」
「それはこちらが思っていることです」
お市様は見つからなかった。
何でも隣の祇園社に潜り込まれていたそうだ。
なんと言うじゃじゃ馬ぶりだ!
翌日、魯坊丸様が山科 言継様を連れて来て、総責任者に据えてしまった。
「勝介、山科卿の言われた通りに段取りを行え! 責任もすべて山科卿が取って下さる。言われた通りにやるのだ」
「お任せ下さい。100貫文分の仕事はきっちりとさせて頂きます」
これも公家様のこづかい稼ぎらしい。
普通の手伝いは1日二貫文くらいの手間賃を払う。
〔高給取りの大工で100文、その20倍。尾張の大工なら35文くらいで57倍で暴利だ〕
(近衛)稙家様を不快にした場合、織田家で責任を取れる者がいない。
公方様と公家様を一度に呼ぶ作法など誰も知らない。
何が不作法かも判らない。
そこで、すべて(山科)言継様に仕切って頂き、責任も丸投げにする。
それこみで100貫文と言う。
何でも銭で解決する魯坊丸様らしい考え方だ。
ともかく、言われた通りなら動き易い。
「今日は書道か、まだ逃げ出さないといいがな!」
「今、さり気なく何と言われました」
「何も言っておらん。がんばれ、勝介!」
心の籠らない声援を頂いた。
とにかく、言継様にこちらの段取りのすべてをお教えせねば!
細かいところで修正が加わる。
流石、公家様だ!
配置、題目、料理の礼儀のすべてをお教え頂く。
「この敷物では駄目です。格調がなさすぎます」
「季節の物を飾らなくてどうするのですか?」
「歩き方がなっていない」
言継様の注文は細かい!
台座に使う敷物まで注文を付けてくる。
舞台を見る時に配置する木の角度まで気にされる。
公家様の配置には格式や順列だけでなく、家の間柄も気に掛けるようにお教え下さった。
配膳の段取りも何度も練習させておく。
知恩院の僧方々も真剣だ。
ありがたい。
何とかなりそうだ!
「内藤様!?」
「お市様が筆で書くのは飽きたと逃げ出されました」
「またか!」
◇◇◇
当日のご来場も完璧だ。
何とか間に合った。
公家様方々が先に御到着されてお座りになって頂いた。
案内するだけで手が震える。
従五位以上の方が多いとは、これ如何に?
七位、八位でも雲の上の方だぞ!
とにかく、言われた通りだ。
「(野口)政利 (平手政秀の弟)、楽師の方々はまだお見えにならぬのか?」
「まだ、到着されておりません」
「どういうことだ?」
公方様らには能会の前に食事をお出しする。
それに先駆けて、近衛 晴嗣様が余興に舞楽『青海波』をお舞いになることになった。
そうすることで食事処と舞台との移動を省略し、移動で起きるイザコザを回避する。
流石、(山科)言継様だ。
楽師も(山科)言継様が用意されると言ったのでお任せしたのに、その楽師が一向に来ない。
もう、公方様方々もお席に付かれた。
「では、そろそろ行きますか!」
(近衛)稙家様がおっしゃるとぞろぞろと公家様らが歩きはじめた。
廊下をぐるりと回られると、舞台後の楽師の席にお付になったのだ。
公家様らは思い思いの楽器を持っておられた。
嫌ぁ~な予感がした。
言継様が用意された楽師とは?
まぁ、まさか!?
ぷおぉ~~~んと笙の音を合図に公家様方々が音を合わす。
そして、(近衛) 晴嗣様が入場され、相手役の慶次も入ってくる。
儂は舞台のすぐ側で縁の下から慶次を見上げた。
慶次、躓くなよ。
この舞台を台無しにすれば、(近衛)稙家様に恥をかかせることになる。
それだけはならぬ。
大変なことになる。
慶次の手が動く度に心の臓がばくばくと音を立てる。
こんな心臓に悪い舞楽ははじめてだ。
慶次、(近衛) 晴嗣様に見事に合わせてみせよ!
踊り終えて退場するまで生きた心地がしなかった。
皆様が戻ってゆくのを見て安心し(えっ!?)…………てないぞ!
「(野口)政利、どうしてお市様が魯坊丸様の横に座られておるのだ!」
「公方様がお呼びになりました。魯坊丸様は御簾の内から出すのは拙いとお断わりになったのですが、裳着も済ませていないので問題ないとおっしゃられ!」
「裳着を済ませていないから、余計に拙いであろう」
「公方様の御命令です。逆らう訳に行きません」
儂は急いで魯坊丸様のいる場所に向かう為に館をぐるりと迂回した。
すると、魯坊丸様が部屋から出て来られたのだ。
「これは一体どういう事ですか?」
「見た通りだ! 公方様がすき焼きを所望された」
「すき焼きとは何でございます」
「城で食べたことがあるであろう。甘い肉の煮込み料理だ」
「あれでございますか? 確かに、あれは美味しゅうございましたな!」
あれは確かに美味かった。
などと、思い出している場合ではなかった!
「魯坊丸様!?」
どういう経緯か判らないが、魯坊丸様はその足で台所に向かっていた。
しかし、すき焼きを出すなど予定にない。
材料はどうされるつもりなのか?
「拙い、非常に拙いのだ!」
「魯坊丸様、何が拙いのですか?」
「はっきり言うぞ! 生卵を食すると百が一、千が一、万が一に死人がでる」
「何ですと!」
公方様がお亡くなりになるかもしれない。
拙いと言う問題ではない。
運が悪いとそうなることがあるらしい。
どうしてそんな恐ろしいものを食べるのか理解できない。
「旨い物を食べる為なら少しくらいの命を張るのは惜しくない」
戦で命を張るならともかく、食事に命を張るなど考えられない。
さらに、腹切りの作法も知らないと言われる。
あり得ない。
(中根)忠良 (魯坊丸の養父)はどんな教育をしているのだ!
武家として当然のことを教えていないのか?
台所で説教をしたが、一向に聞いてくれない。
「公方様がお亡くなりになった場合は、一乗院の覚慶を京にお連れして室町幕府第14代将軍にする話だ!」
頭が真っ白になった。
魯坊丸様は恐れという言葉を知らないのか?
公方様が万が一お亡くなりになったなら、責任を元管領の(細川)晴元様に押し付けて、次の将軍を擁立するだと!
「魯坊丸様、慶次、不敬過ぎますぞ!」
「聞いてきたのは勝介だろう」
無邪気に笑ったかと思えば、急に怒り出す!
まったく付いてゆけない。
儂とは考え方が何もかも違い過ぎる。
信長様、儂はどうすればよろしいのですか?
◇◇◇
千代女が兵舎の料理人と材料を持って戻ってきた。
どうやらすき焼きは何とかなりそうだ。
魯坊丸様は部屋に一旦戻られると、本を手にして会場に戻られた。
用事以外で上段に上がる訳にはいかぬ。
声が入り乱れ、聞き取り難い。
何を話されておるのだ?
こちらからは、(近衛)稙家様や公方様を諭されているようにしか見えんぞ。
儂にはそんな恐ろしいことは絶対にできん。
最後は(近衛)稙家様や公方様が話されるのに相手もしないとは大胆過ぎるにも程がありますぞ!
(卵の事実を知って、魯坊丸はお市が心配するくらいの放心状態です)
能が順調に終わると、突然に(近衛)稙家様が風呂を要求された。
何やら不穏な会話も拾っていたが、あれは幻聴だ。
儂は預り知らんぞ。
それよりも風呂だ。
また、こちらの思惑と違う行動だ!
「風呂は出来ているか?」
急いで確認させた。
能がはじまると同時に炊いていたので間に合っていた。
風呂には、(近衛)稙家様、晴嗣様、公方様、(松永)久秀様が魯坊丸様と一緒に入っておられる。
奉公衆の(細川)藤孝殿が入れてくれん。
大丈夫なのか?
「内藤様!?」
「どうかしたか?」
「夜食は順調に進んでおりますが、酒の減る量が異常です」
「十斗は用意したであろう」
「その内の一斗を山科卿が開けられてしまいました」
「何だと!? すぐに行く」
一人で一斗だと?
(細川)藤孝殿のような化物が他にもいたのか?
山科卿の前に酒樽ごと置かれていた。
「これは?」
「山科卿が取りに行かせるのも面倒だと言われて、すべての酒樽を会場に入れろと申されました」
「それはよい。何が問題だ!」
「山科卿が皆様に酒を勧められ、皆様の呑む早さが異常でございます。このままではすぐに底を突くのではないかと?」
「仕方ない。倉から酒樽を取って来させろ!」
「しかし、倉は魯坊丸様の許可が必要です」
「魯坊丸様は多忙に付き、儂の命で行う」
「どなたが鍵を持っているのでしょうか?」
「知るか! 兵舎に忠貞 (魯坊丸の義理兄)がいるであろう。忠貞に命じて、持ってこさせろ!」
「承知致しました」
面倒なことになってきた。
よく見ると公家様とお付きの方々が一緒に呑んでいる光景が目に入った。
何故、公家様が?
公家様の担当は(織田)重政だったな!
「重政!?」
「ここにおります」
「何故、公家様がまだここに居られるのだ」
「夜食が届けられると、ここで食うとおっしゃられましてどうすることもできず!」
「林 通忠殿、千秋 季忠殿はどうした?」
「奉公衆、奉行衆のお相手をされております」
そうだった。
京に来て誰とも好を通じることなく、尾張に帰ることはできない。
接待を通じて名を覚えて貰うようにと言ったのは儂であった。
予定では魯坊丸様が公家様や奉公衆、奉行衆の屋敷を訪ね、その折にその家臣と好を通じる予定だったが、公家様が毎日のようにやって来て、出掛ける暇もない。
随行員はほとんど京で知己を得ることもないまま過ごしていたのだ。
このままでは何の為に京に連れてきたのか判らない。
一方、熱田衆は傭兵の訓練や工事に付き合っており、他家の家臣が見学に来ており、町衆とも交流を深め、得難い人脈を築いていた。
「他家の家臣と軽く言うが、蒲生家の家老とか、大友家の重臣もいるからな!」
「俺らより、充実しているかもしれない」
「魯坊丸様の義理の兄君だ。縁を結びたいと思っているのだろう」
「おまけであっても知己を得られるのは羨ましいことだ」
野口 政利 (平手政秀の弟)や織田 重政と一緒に同行した随行員の者も人脈を広げるのに苦労していた。
ないのではない。
山科卿以外の人脈がおかしいのだ!
元関白様、右大臣様、権大納言様などと知己を得ている。
聞けば、人も羨むことであろう。
しかし、手紙を出し合うのも憚れる。
これでは余りにも位が高過ぎて使い道がない。
「欲をかくから苦労するのです」
「買い物など、我らの仕事ではない」
「そんなことを言っているから人脈が増えないのです」
「足軽頭風情に言われたくないわ!」
随行員の中に一人風変り者がいた。
赤塚の戦いで足軽頭として付き従っていた者だ。
読み書きができるので人員に加えたと魯坊丸様が言ったが、町の買い物などにも出てくれるので重宝していた。
「お前は名を何と言った」
「蜂屋 頼隆と申します」
「そうか! で、何の用だ?」
「そろそろ、武家様にもお風呂に入る方が出るかもしれませんので、兵の配置替えをした方がよろしいかと思いまして、お聞きに上がりました」
「判った! そなたに任せる。警備と湯上りの世話をするように!」
「畏まりました」
中々に気が利く。
あのような者があと数人もいれば、もっと楽ができるのに!
「内藤様!?」
「次は何だ?」
「台所方の者が後ろで宴会をしている滝川様らが邪魔なので退かせて欲しいと言って来ております」
「おまえがやっておけ!」
「私では無理です」
「すぐに行く!」
失敗した!
(林)通忠殿だけでもこちらに残しておくべきだった。
慶次を台所から追い出して、賄いの方にも声を掛けた。
足りない材料は、兵舎から調達するという頼もしい言葉が聞けて安心した。
「内藤様!?」
「次は何だ?」
「魯坊丸様が湯あたりでお倒れになりました」
「容体は?」
「そちらは問題ございません。しかし、(近衛)稙家様や公方様の相手をされる方がございません。何卒、こちらに来て頂きたいと申しております」
儂に(近衛)稙家様や公方様のお相手をしろと言うのか?
無茶を言うな!
逃げ出したいが、堪えてすぐに向かった。
(近衛)稙家様と公方様の一言一言が重い!
何と答えればいいのか判らん。
「そなたも呑め!」
「ありがたき幸せ!」
手が震えて酒を零してしまった。
「申し訳ございません」
「よい、呑め!」
味がしない。
馬鹿騒ぎの宴会は朝まで続いた。
儂も頭が真っ白なままだ!
(近衛)稙家様や公方様らは夜が明ける前にお帰りになった。
それから順に目を覚ました公家様を風呂に案内し、風呂で溺れぬように監視しながら背中をお流しして牛車に乗せてゆく。
武家様の方は(蜂屋) 頼隆が巧くやってくれたらしい。
助かった。
儂一人ではとても捌ききれない。
山科卿が次々と酒を勧めて、酔い潰してくれたので刃傷沙汰が起こらなかったのかもしれない。
しかし、林 通忠と千秋 季忠らが酔い潰された。
最後の最後で山科卿に裏切られた気分だ。
結局、儂の所にすべての仕事が回ってきた。
やっと終わった。
朝日が零れる中で最後の一人を見送った。
これで寝られる。
宴会場、廊下、台所、木の下と思い思いの場所で、皆が力尽きていた。
これだけの雲の上の人が集まったのだ!
警護する方も疲れもする。
何とか部屋まで戻ってくると、大部屋に一人で気持ちよく寝ている馬鹿を見つけた。
昨日まで相手をする暇もなかった。
この幸せそうな寝顔を見ていると無性に腹が立ってきた。
「この馬鹿者!? 一体、いつまで寝ているつもりだ!」
思いきり頭を蹴ってやった。
ははは、岩室 重義がびっくりして起きおった。
後は、一眠りしてからだ!
内藤様!?
折角、寝たと思えば、起こす馬鹿者がいた。
「なんだ!?」
「角倉与左衛門殿が魯坊丸様にお会いしたいとやって来ておりますが、お通ししてよろしいでしょうか?」
「魯坊丸様の客人であろう。何故、儂に聞く?」
「必ず、誰であろうと内藤様ご自身が確認されるとおっしゃっておられました」
そうであったな!
もう、今日はもう良い。
寝かせてくれ。
これで京都編の中盤も終わりです。
岩室重義に関係した一連の事件がすべて終わりました。
さぁ、後編に向かって出発です!
でも、その前に尾張編の中盤も終わらせないと!?




