53.一所懸命な武士たち。
妙興寺を出ると一ノ宮の真清田神社を参拝してから北上して大野に至った。
大野は広野川(木曽川)から分岐した浅井川が墨田川、野府川、古川に枝分かれしており、中島郡と葉栗郡の境界になる。
この中島郡はその名の通り、川がいくつも分水し、小さな島が連なったような土地であった。
中島郡の領主が信長にあいさつに訪れてきた。
「信長様、この度は視察に来て頂きありがとうございます」
「何か不足はないか?」
「商人らも戻って来ており、特に問題はございません」
「村の衆には負担になっておると思うが、河川の補修は念入りに行うように!」
「もちろんでございます」
ほぼ中島郡の領主・国人衆は臣従した。
皆、儂を歓迎してくれる。
領主らは用事があるならば、派遣した代官を通して意見を言えばよい。
場合によっては評定に特別に参加させている。
川賊の被害が多く、陳情に来た時がそうだ!
今日はあいさつのみとした。
中島郡の村々を視察するのは、また今度だ。
村を回ると時間がいくらあっても足りない。
餅なども用意してやりたい。
「信長様、さきほど『ほぼ』とおっしゃりましたが、臣従していない者がいるのですか?」
「中島郡で弾正家に臣従していない者はいない」
「では、何故ですか?」
「……………」
藤八は妙な所で鈍感だ!
儂の口からそれを言わせるつもりか?
帰蝶が小声で藤八を窘めた。
「藤八!?」
「はい、帰蝶様」
「織田弾正家のご当主は誰ですか?」
「もちろん、信長様です」
帰蝶をはじめ、周りの近習が首を横に振った。
横の(長谷川) 橋介が小声で『信勝様だ!』と言っている。
那古野に臣従した者も要れば、末森や勝幡に臣従した者もいる。
そして、妙興寺に領地を寄進した領主も割と多いのだ。
妙興寺は弾正家の保護下にあり、はじめから津島の商人が出入りし、蝮土の供給もされていた。
妙興寺の支配下に入ると間接的に織田弾正家の支配下となり、物資の供給が得られた。
それを得る為に美濃路が完全に封鎖される前から弾正家にくら替えした者もいた訳だ。
当然、彼らは清州勢と小競り合いを繰り返すことになった。
他の領主は岩倉の支配下にあることを建前に静観した。
しかし、去年の『岩塚の戦い』で織田弾正家が圧勝すると、中島郡の領主・国人衆は手の平を返したように織田弾正家に臣従を申し出てきたのだ。
その臣従をどう扱うかで揉めた。
末森が管理するには領地が遠く、儂が管理するのを信勝が嫌がった。
勝幡ですべて任せるのは論外だ。
しかし、事実上、勝手に認めたのはあの悪童だ。
蝮土の配給を開始し、農作物の技術者を派遣した。
そうなれば、議論の余地がない。
斑模様のままで那古野も末森も追認して代官を送るしかなかった。
悪童はケロリと言う。
清州封鎖は織田家が命じた訳でなく、熱田商人と津島商人が独自に決めたことだと。
当然、独自に一部を解除しても文句は言えないハズだと。
まったく、主人(信長)や当主(信勝)を無視して好き放題にやってくれる。
手打ちにされても文句が言えない身勝手さだ!
「のどかですね!」
「警護のしがいがございません」
「殿が無事ならば、それでよいのだ」
「これほどのどかならば、毎回ついて行けるのに!」
「帰蝶様はずっとついてくるのでしょうか?」
「ふふふ、いつものどかなのかしら?」
「今回ほど静かなのは珍しいと存じ上げます」
「では、無理ね! 藤八、わたくしの代わりに殿をお守りしてね!」
「もちろんです」
本当にのどかだ!
心配と言えば、春の零れ日に帰蝶の白い肌が焼けてしまいそうなことだ。
帰蝶は少しくらいなら焼けても大丈夫と言う。
去年の夏、お市は小麦色の焼けた肌を自慢していたが、帰蝶があのような色になるのはどうかと思う。
「どうかなさいました?」
「やはり日に焼けるのではないか?」
「ふふふ、大丈夫でございます」
「そうか?」
「それよりも父上(斎藤 利政)との会見も、こちらを迂回すれば、穏やかにできたのではございませんか?」
「悪童は派手好きだからな! 信安を驚かせたかったのであろう」
「ふふふ、信安様もさぞ肝を冷やしたことでしょうね!」
「まったくだ!」
(魯坊丸にそんなつもりはない。
自分が楽をしたいだけであった。
ただ、それだけであった。
外交のできる者を育てようと任せた結果、岩倉織田伊勢守家との微妙な関係に気づかないで最短ルートが選ばれた)
儂は帰蝶と魯坊丸の愚痴をしばらく言い合った。
城では実の弟のように庇うのだが、やはり帰蝶も思うところが多いようだ。
帰蝶に蝮土の化粧代が入ってくるように、魯坊丸も別の財布を持っているのは間違いない。
弟の財布の中を覗かせろと言えんが、今回の件で思い知らされた。
桁が違い過ぎる。
「ふふふ、上洛も派手なことをしていますからね!」
「勝手にやっておいて、後で銭を出せと言って来ても儂は知らんぞ」
「そもそも、そのような銭は余っておりません」
「あいつはいくらほど銭を隠し持っておるのだ?」
「知りません。殿が直にお聞きになっては如何ですか?」
「そんな恥ずかしいことはできん」
(お市の上洛も魯坊丸は一切関与していない。
三好と堺商人の暴走だった。
しかし、信長らは全く気がついてない。
魯坊丸が裏で動いたと信じていた。
世間でもそう思われている。
そもそも他にそんな大銭を出せる当てもなかった。
つまり、すべて魯坊丸がやったことにされていたのだ。
いい迷惑であった。
魯坊丸の実像と世間が噂する虚像との乖離は益々酷くなっていた)
のどかな風景に目に付くのが、河川の改修であった。
織田普請と呼ばれ、手の空いた村の者は川の底をさらって、土砂を土手に積む。
土手を少しでも高くするように命令が出されていた。
「これだけの土地がありながら放置されている所が多いのですね?」
「雨が降る度に川の経路が変わる。耕したところで雨が上がると池になっておれば、やる気も無くなる」
「流石、四刻八刻十二刻ですね!」
大雨が降ると洪水になるのが揖斐川で四刻(8時間後)、井川(長良川)は八刻(16時間後)、広野川(木曽川)は十二刻(24時間後)に到達する意味だ。
その為に低い土地は湿地帯や砂や石が混じった荒れた土地が多く、そのままでは田畑には向かない。
少し土地が高い場所に田畑が形成され、その他の土地は放置されているのだ。
「土岐川(庄内川)のように河川を整備すれば、かなりの石高になりそうです」
「魯坊丸は巨大な河川工事になるのでやらないと言っておったぞ!」
「そうなのですか?」
「五十年は掛かる大工事だ! しばらく手を付けんと言っておった」
帰蝶は溜息を吐いた。
残念そうだ!
確かにここを開拓すれば、一面の稲穂が垂れた姿が目に浮かぶ。
尾張だけで100万石も夢ではない。
だが、川を制するのは厄介だ。
それはともかく!
肥料を撒き、簡単な水路を作れば、収穫は増える。
領主達はそれで満足するだろう。
◇◇◇
大野の仮宿営地が見えてきた。
中島郡の領主らは以前から川賊に悩まされていた。
神出鬼没な川賊は目ぼしい村を襲って去ってゆく、領主らも対抗するが、どうしても後手に回ってしまう。
川賊の背後には美濃斎藤と岩倉織田がいる。
家臣の暴走か、国主の策謀か、蝮の腹の内など判る訳がない。
岩倉織田は家臣の独断だろう。
いずれにしろ、頼られた信長としては兵を送らざるを得なくなった。
暇そうで力が余っている前田 利春と池田 恒興に川賊の討伐を命じた。
それぞれ20人ほどの手勢を出し、常備兵から軍奉行一人と兵300人を付けた。
小早に似た川舟を津島から10艘借りて、警戒に当たっていた。
川舟は14人乗りであり、半数は陸を移動する。
「信長様、申し訳ございません」
「よい! 中島郡の領主から川賊が出没しなくなったと感謝の言葉を貰っておる」
「捕える所か一戦も及ばず、誠に申し訳ございません」
前田 利春と池田 恒興は、まさに一所懸命の家臣であった。
手柄を立てることが忠義と信じて疑わない。
主人に言われたことをやり遂げるまで、手を緩めようとしない。
この生真面目さが儂は好きだ!
だから、手柄も立てていない森 可行に俸禄1,000貫文、伊丹康直に俸禄500貫文と聞くと激怒した。
言いだしっぺの魯坊丸を評定に呼んでおくと、案の定のように魯坊丸と激論を交わした。
「魯坊丸様、承服出来かねます」
「利春は反対か?」
「某は知行300石、家老の方々でも500石でございます。城主では100石の者も多くございます」
「林殿は1,000石もあるぞ?」
「猶更でございます。昨日今日、入ったばかりの新参者を林様と同格に扱うのは如何なものか?」
「森家は土岐家に仕えた重鎮であり、その武勇は疑いようもない。また、伊丹家は摂津の城主であり、家格として当然であろう」
「我らを軽んじるおつもりか?」
「ならば、知行300石と俸禄1,000貫文と交換してやるぞ! 明日から俸禄1,000貫文だ!」
「馬鹿になさるな! 殿より頂いた大事な領地を交換などできん」
「まさにそれだ! 知行と俸禄は比べるものではない」
魯坊丸は「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きた」と銭で知行は買えないと叩き込む。
さらに四男の利家、五男の藤八はいずれ側近衆から馬廻衆か、足軽大将に昇進するが、知行を貰っているので辞退するかと問い質した。
穀潰しの三男、四男に役職が貰えるのだ。
そう言われると誰も反対できない。
「鎌倉幕府が滅びたのも、与える土地がなくなったからだと言っておりましたわね」
「それは弾正家も同じだとな!」
「土地で褒美を与える限り、いずれはそうなりますね」
「だから、褒美を土地から銭に変える」
「納得するでしょうか?」
「して貰わねば困る」
魯坊丸は納得しない者が集まって叛乱を起こし、それを討伐してやっと終わると簡単に言う。
だが、その中に一所懸命の(前田)利春と(池田)恒興がいるような気がする。
儂は儂の手で彼らを討ちたくない。
嫌いではないのだ!
しかし、魯坊丸は狡い。
軍奉行筆頭は林家の一族から選び、同じく俸禄1,000貫文を提示した。
さらに家老の推薦で足軽大将と物頭を決めさせた。
これで一族から士分に取り立てられた者が多く輩出される。
家老らは一族に貢献したので面目躍如だ。
これで家老らが反対することもなくなった。
憎たらしいが学ぶところが多い。
「美濃でくすぶっていた森家、伊勢で放浪していた伊丹家を召し抱えたことで、美濃・伊勢であぶれていた者が来てくれました」
「はじめから質のよい兵が集まったのは大きいな!」
「あの子ははじめからそれを狙っていたのでしょうね!」
「おそらく、そうであろう」
その優秀な兵であっても出て来ない川賊を捕えるのは難しい。
川の小競り合いを口実に、儂との戦にしたくないのだろう。
織田の兵がいる限り、向こうは警戒して出て来ない。
しかし、いつまでも(前田)利春と(池田)恒興を遊ばせておく訳にはいかない。
「殿、ここは1つ。わたくしにお任せ下さい」
「何か、策があるのか?」
「策というほどのモノではありませんが、打てる手立てを1つ思いつきました」
「相判った。帰蝶に任せよう」
儂は兵を労って那古野に戻っていった。
次は、京の魯坊丸に戻ります。




