52.織田弾正家、妙興寺の寺領を横領する。
清州勢が攻めて来て、捕虜になるまで半刻(一時間)も掛かっていない。
一体、何をしたかったのか?
そう言いたくなるほど、あっさりと戦が終わってしまった。
この後の処理も演習の一環のようだ。
余り早く戦が終わったので、儂は帰蝶に忠告した。
「帰蝶、これは戦ではない。戦とは命の取り合い、これほど緊張感もないものが戦と勘違いすると、必ず痛い目に会うことになる」
「存知上げております。幼い頃より父の戦を見て参りました。ご心配なさらずとも大丈夫でございます」
「であるか。そうであったな!」
帰蝶も元気に話していた者がその夜に躯となって帰って来たことを経験していた。
美濃の蝮 (斎藤 利政)の娘なのだから当然であった。
普通であれば、半日か、一昼夜を掛けて命の取り合いをする。
こんな一方的な戦がおかしいのだ?
「三ヶ月ではこんなものですか? もう少しマシな砦を造りたかったのですが致し方ありません」
不意に魯坊丸の言葉が蘇った。
これで『こんなもの』であるか?
あいつにとって、まともな砦とはどんなものを言うのだ?
ぞぞぞっと背筋に寒いものが走る。
やはり、敵にだけはしたくない。
「殿、どうされましたか?」
「今回の戦費を考えておった」
「そうですね。鉄砲の弾一発が10文も致しますから、100丁が50発を撃ったとして50貫文くらいでしょうか?」
空算で帰蝶が答える。
頭の回転が早い奴だ。
鉄砲を一発撃つと米一升分の経費が掛かる。
100丁で50発を使えば、50石 (米一万升、50貫文、300万円)が消えた。
〔一石=10斗=100升分=1000合=6万円、つまり、米一升分は600円〕
「なるほど、そう考えますと奴隷100人で100貫文が儲かったと思っておりましたが、他の経費を考えても一文の得にもなっておりませんね」
「であるか」
「殿。浮かれたわたくしが馬鹿でした」
「浮かれておったのか? そう見えなかった」
まだ時間があったので増田砦を任せ、中島郡の視察を続けることになった。
馬上の帰蝶は落ち着いていたように思えたが、この戦で100貫文の儲けが出たと浮かれていたらしい。
そう見えなかった。
100人の捕虜は、普通ならば清州が買い戻すところだ。
相場は一人四貫文から500文と色々だ。
大量に捕虜が出たときなど、25文まで下落する。
幸いなことに那古野は慢性的な人手不足であり、奴隷は一人一貫文くらいで取引されることになる。
つまり、この戦で100貫文を得る。
報償と怪我人の治療費を引いて50貫文が儲かったと勘違いしてしまったらしい。
浮いた銭に何を買おうかと浮かれて考えていたらしい。
色々と買いたいものがあるらしく、帰蝶は「ぬか喜びでした」としょぼんとする。
「戦がこんなに儲かるのかと一瞬思ってしまいました。わたくしもまだまだです」
「そこまで思い至る者の方が少ない」
「そうなのです」
帰蝶の琴線に触れたらしい。
急に饒舌になった。
どうやら、不満に思う所が多いらしい。
「何故? 戦をしないのかという陳情が多すぎます。説明しても判って頂けないのです」
戦をしたい武将が代官に兵糧を買いたい、武器を買いたい、馬を買いたいとおねだりをする。
領地に予算の余裕がなければ、代官は断る。
すると、その管理者である勘定奉行に文句を言いにくる。
勘定奉行もその苦情に困って、役方代の帰蝶に相談に来る。
文句を言いに来る。
苦情をいった武将を引き連れてだ。
「殿の元に陳情に行きますと言えば引いて頂けますが、何度も来られると困るのです」
「勝ち戦に飢えておる。相手も弱腰だから戦をしたくて仕方ないのだ」
「迷惑です。奪った土地を誰が管理すると思っているのですか?」
親父(故信秀)は配下に入った領主に代官を送り、田の管理を一元化した。
領地経営から解放された領主らは戦ばかりしたがるようになり、領主の支持を得るために年中戦をすることになったのだ。
詰まる所、親父(故信秀)は勝ち続ける必要があった。
親父(故信秀)が倒れ、儂が代わりに指揮を取ると負け戦だ。
これで支持を失った。
それをきっかけに信勝を当主にするという悪い流れができた。
さらに末森の家老であった山口 教継が今川に寝返り、襲う者から襲われる者に変わってしまった。
いつ襲われて滅ぼされるのか?
そんな恐怖に怯えた。
皆、領地を守ることに必死になった。
魯坊丸はその心の隙に付け込んで、戦もせずに石高を上げ、守りの兵まで貸してやる。
まるで人を騙す妖術のように末森の家老らを手懐けて大人しくさせた。
長門に聞くまで気がつかなかった。
一方、常備兵のお蔭で那古野は連戦連勝が続いている。
気をよくした那古野配下の領主らが戦をやりたがっている。
去年の『岩塚の戦い』で清州に近い新たに得た土地だけでは物足りないらしい。
どうも武将らは勝ちが見えてくると欲が深くなる。
「儂から言ってやろうか?」
「それはなりません。それはわたくしが虎の威を借る狐になってしまいます。わたくしの問題はわたくしで処理致します」
「であるか。任せた!」
「任せられました」
両手をぎゅっと前で握って、がんばりますと声を出す。
意外と可愛らしい一面があったのだ。
儂は思わず、頬を緩めた。
「橋介、信長様があのように優しげに微笑んでおられる」
「あぁ、そのようだな」
「俺の存在意義がなくなってしまう。あの笑みは俺のモノだ」
「藤八、馬鹿なことを言わずに仕事をしろ」
「俺の仕事は信長様を引き立てることだ」
「違う、護衛だ」
「槍はお前より巧い。問題ない」
「ぐぅ、それはそうだが、とにかく…………」
帰蝶が嫁いで来てから、藤八をあまりかまってやっていなかったから焼き餅を焼いているのかもしれない。
ははっは、愛い奴だ!
今度、茶でも誘ってやろう。
「藤八、良いですか」
「はい、帰蝶様」
「わたくしが視察にいけない時は、わたくしの代わりに殿を引き立てて下さい。お願いできるかしら」
「はい、必ずや信長様を引き立ててみせます」
帰蝶が藤八に笑みを送った。
藤八はそれだけで満足したようだ。
「橋介、帰蝶様はいい人かもしれない」
「お前、単純だな~」
橋介が呆れるような声でうな垂れた。
流石、藤八は犬千代(前田 利家)の弟だ。
単純な所がよく似ている。
どちらも儂に忠義を果たしてくれる。
対して鳥頭ですぐに忘れるのが玉に瑕だ。
ははは、困った奴らだ。
◇◇◇
妙興寺が見えてきた。
妙興寺は中島郡にある由緒正しい寺であり、足利義詮の祈願所となり諸山に列し、後光厳天皇の勅願寺となっていた。
しかし、応仁の乱で幕府の庇護を失い、我が祖父である織田 信貞に横領…………げふん、げふん。
もとい、妙興寺を幕府に代わって保護したのだ。
それによって我が織田家は勢力を伸ばし、勝幡城を築城して津島を支配下に治めた。
織田弾正家は妙興寺との付き合いが長い。
「これは信長様、わざわざのお越し、ありがとうございます」
「息災で何よりだ」
「さぁさぁ、茶の席を設けております」
「頂こう」
住職に案内されて居間で茶を頂き、中島郡の様子を確認する。
儂に寝返った領主、国人衆はおおむね良好なようだ。
妙興寺には中島郡の要として、これからも働いて貰わねばならん。
茶を終えると、次は川賊と戦っている前田 利春の慰問に行かねばならない。
余り時間がないので、すぐに席を立った。
「見送りご苦労」
「いいえ、これからもよろしくお願い致します」
「相判った」
馬に乗ると、住職が深々と頭を下げる。
まったく、不審を抱かせない堂々とした態度であった。
「そう言えば、言い忘れていたことがあった」
「何でございましょう」
「蝮土を真似るのは良いが、もう少し水捌けの良い場所でやる方がいいと、魯坊丸の言伝を預かっておった」
「まぁ…………いいえ」
住職がはじめて動揺を見せた。
そうであろう。
来年の肥料となる『蝮土』を作る為に土地を譲って貰った。
蝮土の作り方は尾張の最重要機密だ。
それを盗もうとしていることがばれているのだから慌てもする。
「作成はもう少し水捌けが良い場所でないと、肥やしになる所か、病魔を呼ぶ死の沼と化すと言っておった。疫病を流行らせる訳にはいかん。場所を変えよ」
「信長様、我々は決して…………」
「取り乱すな。罰するつもりはない。作る過程の考察を提出するが良い。より良いモノができたなら、それはそれで良いのだ」
「ありがとうございます」
「よいか、寝かすのは一年以上であり、雨が当たらぬようにしろ。白石(石灰)を使わぬならば、落ち葉と灰を多く入れる方が良いと魯坊丸が言っておった。白石(石灰)の代わりに貝殻を細かく砕いて撒くのも良いそうだ」
「本当に続けてよろしいのでしょうか?」
「盗もうとするならば許さんが、自ら作るのであれば罰するつもりはない。この信長はより良い物を求めておる。蝮土のさらに上を行くものを作れ」
「畏まりました」
これで肝が冷えたであろう。
先ほどから馬上で帰蝶が笑い続けている。
奇妙な顔をしたあと、我らを住職が地面に寝そべるように頭を下げて見送っていたからだ。
ばれていないと思っていたのだ。
「ほほほ、申し訳ございません。ツボに入って笑いが止まりません」
「確かに、住職らは滑稽であったな」
「見事に狸が化けておりましたのに、最後に化かされていたことに気が付いた時の顔が可笑しくて」
帰蝶はその場で一生懸命に笑いを堪えようとしていた。
あの眼と口が飛び出しそうな顔を思い出して笑いが止まらないようだ。
寺の者はどこも強かでズル賢く、隙があれば出し抜こうとする。
狸中の狸だ。
化かすことは得意でも、化かされるのは苦手らしい。
しばらくは妙興寺も大人しくなる。
織田に代わって中島郡の支配権を伸ばそうなど画策できまい。
ふふふ、楽しいモノが見られた。
「今日は帰蝶を連れて来てよかった」
「殿、まだ終わっておりませぬ……ほほほ」
まだ、笑いが止まらぬようだ。




