51.増田砦の小競り合い。
清州勢の勢力は清州川(五条川)の両海岸沿いに多く残っている。
清州城は大きな三日月湖を外堀にした天然の要塞である。
同じように、他の勢力も小さな河川を堀として利用している。
この周辺は肥沃な土地であり、織田大和守家の分家筋がいくつもの勢力に分かれて治めていた。
つまり、ここだけでも一大勢力地であった。
『放て!』
ダダダダダダァァァン!
砦正面に広がった100丁の鉄砲が一斉に火を噴いた。
被害は軽微だ。
砦の周りには三重の空堀があり、三つの門の前に通り道のみとして通行できるようにしてあった。
「随分と掘り下げているのですね」
「帰蝶様、その通りでございます。深さはほぼ二間 (3.6m)でございます」
「ははは、攻める方はほぼ垂直に落ち! こちら側からは斜めになっているので鉄砲や矢で狙い放題だ」
「一度、空堀に落ちると逃げるのも大変なのですね」
「そうなっている」
通路の両側も空堀があり、通路から落ちるとタダでは済まない。
門は東正門、北西門、南西門の3つだ。
その内、北西門、南西門は人が三人ほど通れるほど狭い通路であり、東正門だけ10人ほど横に並べる道になっていた。
「細い道で横から狙われたくない敵は東正面から襲って来てくれるのですね?」
「その通りでございます。都合三回、すべて東門を攻めて来てくれております」
「もう三回も?」
「帰蝶様から見て、この砦はどう映りましたでしょうか?」
「そうですね? 急いで造ったので如何にも簡単に落とせそうです」
ふふふ、思わず笑ってしまった。
使っている壁の板は不揃いの上に、焼け焦げたものや真新しいものが混ざってある。
如何にも急いで造りました。
そんな感じだ。
巨大な空堀も美しさの欠片もなく、不格好にがたがたな状態であった。
しかし、表面にローマンコンクリートを流し込んでいるので固い岩のようになっている。
「帰蝶様、板で囲っているだけの安普請に見えますが、この砦は三つの曲輪で造られております」
「曲輪と言うより、悪童が大好きな石垣造りだ。巨大な壁に木板を張っている。しかも張っている木板は、楠木 正成の千早城の二重の板壁を模している」
「では、登ろうとすると、木壁が崩れるのですか?」
「そうだ、しかも四重だ」
「念のいったことです」
「しかも落ちた敵に油入りの藁玉を放り込み、火を掛ける所まで真似ておる」
「攻める方は大変ですね」
そう言っている間に敵が迫ってきた。
『放て!』
ダダダダダダァァァン!
織田式の早合で素早く鉄砲に弾を詰め直して何度も撃っている。
しかし、敵も対策を考えたようだ。
通常の三倍はある厚い木盾を先頭に前に進んで来ていた。
「三度目になると流石に対策を取られました」
「どうする?」
『気にせずに撃ち続けよ』
「どうも致しません。ただ、撃ち続けるのみです」
敵が守っているのは丸太を紐で括って十数人で持っている破城槌だ。
破城槌で東門を壊すつもりだろう。
かなり近づいた所で木盾が割れて、破城槌を持った敵兵が走って来た。
うおおおぉぉぉぉぉ、大声を上げて勢いを付ける。
「鉄砲を撃った直後を狙われたな」
「おやか…………殿のおっしゃる通りです」
「落ち着いている場合ではございません。あの安普請の門なら一撃で壊れてしまいます」
「康直、一撃で壊れるか?」
「壊れると思います」
「何を落ち着いておられるのです」
「帰蝶、まぁ見ておれ」
ばしゃん!
大きな音と共に勢いの乗った破城槌が東正門を一撃で破壊した。
儂のいる場所は東正門の少し後の櫓台の上であった。
櫓は東正門の前に突き出しており、足元が開いてそこから下が丸見えであった。
うおおおおぉぉぉ、東正門を壊したことで敵に歓喜が起こった。
敵が一斉に攻めてくる。
丸太を引いて扉を強引に押し開けた。
その瞬間。
敵の顔から血の気が引く。
帰蝶は前に出て、上から覗き込んだ。
「まさか!?」
「帰蝶、危ないのでこちらに戻って来い」
「判りました」
帰蝶が櫓の方にてくてくと戻ってきた。
その顔は笑いを堪えている顔であった。
「どうであった?」
「門の奥にもう二つほど門がございました」
「今、押し寄せている敵兵はどうなると思う?」
「門から押し入った所で立ち往生ですね」
ぐつぐつぐつ、儂の目の前では大きな油鍋が煮込まれており、その熱気で少し熱いくらいであった。
『大鍋をひっくり返せ!』
康直の指示で油が入った鍋がひっくり返されてゆく。
溝に沿って油が流れ、天井から四方に飛び散ってゆく。
敵は扉を押し開けた。
だが、そこで立ち往生になった。
天井から熱い煮立った油が降り注ぐ。
ぐぎゃあぁぁぁぁ、大勢の悲鳴が飛び散っている。
「帰蝶様、御安心下さい。おそらく、死人はでないでしょう。煮立った油は適度に散るようになっております」
「下にいる敵兵のほとんどに掛かるということですか?」
「はい、東正門に押し寄せた兵のみですが、すべてに掛かることになります」
ざっと四・五十人が大火傷を負う。
わざわざ一つ目の門を壊すまで待ってやる所が悪童の性根がいい所だ。
(皮肉っており、褒めてません)
押し寄せる敵と逃げようとする敵がぶつかって空堀に落ちてゆく。
次から次へと落ちてゆく。
落ちた者もタダでは済むまい。
大渋滞を起こしている所に油入りの藁玉に火を付けて放り込まれた。
鉄砲と矢をひっきりなしに撃っている。
「敵の将はどう動くか?」
「私ならば、撤退致します」
「それが正しいな」
「鉄砲対策の次に、正門は1つでなかったことを学びました。次の対策を考えるべきでしょう」
「ははは、その先が楽しみだな!」
「殿、何故笑われるのです?」
「帰蝶、三つ目の門の先、つまり、ここの足元は石垣の一部だ。はじめから東門などない」
帰蝶が『はぁ?』と奇妙な声を上げて首を捻った。
中側から見ても飾りの東正門があるので、誰もが通れると錯覚をする。
しかし、兵が腰をかがめて通れるくらいの通用口があるのみであり、行列が入場できるような通り道は初めから作られていなかった。
三つ目の正門を壊した先に、石垣が現れた時に敵がどんな顔をするのか見物であった。
「そもそも、三つ目の正門まで辿り着きますでしょうか?」
「そうだな。次は壁をよじ登って攻略してくるだろう」
「落とし壁と藁玉が活躍することでしょう」
「だが、それが囮だとは誰も考え付かない」
「はい、はじめて聞いた時は背筋が寒くなりました」
「まだあるのですか?」
この砦の造りは単純だ!
二ノ曲輪、一ノ曲輪、本丸曲輪と三つの壁を造って木板を張り付けただけだ。
通行は掛け橋で行う。
特に最後の本丸曲輪は入口がない。
階段状の掛け橋で中に入る。
一ノ曲輪と本丸曲輪の間に居住区が造られており、二ノ曲輪と一ノ曲輪の間は比較的に余裕がある以外は何も置かれていない。
木小屋を作って、藁玉などを納めている程度だ。
特に東門の裏にある大広場には1,000人近い兵が入る。
「東正門から入れないとすると、狭い通路しか残っておらん」
「そうなります。使い勝手は悪く思います」
「そうだ。一度、中に入ると中々でられないようになっている」
頭のいい帰蝶でもすぐには思い付かないらしい。
儂も悪童に聞くまで気が付かなんだ。
「この砦は敵を誘い込み、自らは本丸曲輪まで引くように出来ておる。本丸曲輪は通用口を除くと、出入り口がほとんどない」
「益々、使い勝手が悪そうです」
「あぁ、だから掛け橋でそれを補っている。しかし、掛け橋を上げると、この砦ほど使い勝手の悪い砦はない。出口は二か所しかなく、しかも狭い」
「狭い、狭いと何度もおっしゃるのですね! まるで中まで引き入れたいような口ぶりです。えっ…………まさか!?」
帰蝶が何かに気が付いた。
木の板、油を吸わせた藁玉とぶつぶつと呟いている。
「そんなことができるのでしょうか?」
「何をするつもりだ?」
「火計です。ですが、それでは中の者まで焼け死んでしまいます」
「だから、砦の中にもう1つの砦が作ってある」
悪童が考えた策は諸葛孔明がやった『空城の計』だ。
敵を城の中まで引き入れて、火を放って敵を葬る。
自分らは本丸曲輪の中に避難して、火が消えるのを待つと言う。
一ノ曲輪の内側には油と蒸留酒を入れた樽が張り付けられて置かれており、蓋を外すと二ノ曲輪に流れ出す。
一瞬で火が付くと、二ノ曲輪と一ノ曲輪の間に入っている敵をすべて葬ることができる。
それで1,000人から2,000人の敵を一度に減らすことができる。
鬼の所業だ。
「今の清州で1,000人の兵が焼け死んだなら崩壊しますね?」
「帰蝶もそう思うか?」
「今のような戦いで敵の数を減らすだけでも大きな痛手になると思います」
「悪童の狙いは、まさにそこだ」
「なるほど。清州の家老らはこの砦を放置するか、排除するかを決めねばならぬ時が来るのですね!」
「悪童はそれを待ってから最後の仕掛けを使う気なのだろう。ふん、儂は気にくわん」
「やはり、殿はお優しい」
「別に清州の民を憐れんだ訳ではないのだぞ」
「はい、承知しております」
清州の民も尾張の民だ。
すべて、斯波 義統様に仕えるべき者なのだ。
清州の馬鹿者らの為に散らすのが惜しいと思っただけだ。
憐れんだ訳ではない。
「承知しております」
「だから、憐れんでおらんと言っているであろう」
何度言っても帰蝶は信じてくれない。
まったく、変な所で頑固な嫁だ。
「殿、戦況が変わりました」
茫然と混乱する兵を眺めている本陣の隙を突いた者がいた。
そうだ!
北砦を守る遊撃隊100人が横槍を入れた。
同時に巡回に回っていたこの砦の警邏隊100人も反対側から突撃を開始した。
「こちらの遊撃隊も出す。門を開け」
康直が大声を上げて、裏門から兵を出す指示を出した。
儂を見て、気づいたように頭を下げた。
「申し訳ございません。勝手に指示を出してしまいましたがよろしかったでしょうか?」
「構わん。ここの指揮官はおまえだ」
「ありがとうございます」
「好きにやれ」
康直は頭を下げると、櫓の先端まで出た。
「武器を捨てよ。武器を捨てた者は命を助ける。このままここで死にたいか?」
副官が大きな筒の拡声器を持って、同じ言葉を繰り返した。
正門の前の混乱が静まってゆく。
兵達が振り返ると、本隊は横槍で混乱して指示を仰ぐことができない。
鉄砲と弓、それに藁玉を構えた兵が待ち構えている。
一人、二人と武器を捨てる者が出た。
すると、武器を捨てる者と逃げる者に別れた。
東正門の通用口から兵が出てゆき、一人一人の手を後ろに出させて縛っていった。
戦は呆気ないほど簡単に終わった。




